その二
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旅先での良い出逢いを期待して入った食堂で、どうやったら斯んな忌まわしい顔になるんだという女将がのしのしと化け狸みたいに出て来て、
「何にすんだい? えっ?」
と吐き捨てる様に問う。旅の恥は掻き捨てで其処等辺の椅子をその女将の顔向けてぶん投げ、
「あーっ、痛たたたっ! あーっ! 誰かーっ、誰かーっ、警察っ! 警察っ!」
という化け狸の悲鳴を楽しみながら逃走するのも可でしょう。或いは逆に故意に私は人々の憐れみ無しには生きて行く事の出来ない哀れな貧乏人で、今も行く宛の無い行路を続けているのですといった卑屈に怯えた顔、そして搾り出す様な小さな声で、
「うどん二杯」
と注文し、淋しそうに黙々と食べてみるのも可いでしょう。無論、帰りに店の外に出てから、近所の犬の糞を集めて店の前に放り投げておくのみならず、遠くから店に向かって投石、窓硝子を三つ四つ割るのですが。
何でも宜しい。限界が来たなら小さな旅をして下さい。それくらいは許されるでしょう、屹度。
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「有難う、決して悪い人生ではなかった」
最期にそう口にする事が出来る為に、今為すべき事が多くある筈です。
「泣くな、お父ちゃんはいつも御前の傍に居る。お父ちゃんに会いたくなったら、お父ちゃんの書いたものを読むが良い。その中にいつも、御前の知っているお父ちゃんが居る」
大事な時に息子にそれを言う為に、私は毎日ぼけだらりと過ごしている訳にはいかないのです。私は私のその言葉を嘘にして仕舞う様な人生を送る訳にはいきません。嘘は直ぐに霧の様に消え去って仕舞います。私が息子に遺したいのは、私の父が私に遺してくれた様な、絶対に消えず失われず色褪せず変質しないものです。
自分の言葉を不朽の真実にするのも、正視する事も出来ない最低のはりぼて、見るも忌まわしい虚栄にして仕舞うのも、全て今日を生きる自分の生き様で決められていきます。今日を生きる事に緊張して下さい。それで『普通』でしょう。緊張しないというならばそれはあなたが『病気』なのです。私にはそうとしか思えません。
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自分の地位が高くまた人に名を知られる様になると、上っ面な人間が信じられない程沢山寄って来るものと予想します。いや私も実際そういう証言を幾つか聞いた事があります。
「いやー、御目に掛かれて光栄です。やっと御会い出来ました。感激です」
「あなたの仰る事、私は深く深く納得致します。これからもずっと、私とお付き合い下さいます様に」
「先生の御意見、本当に尊敬します。ついては、この後も続けて御指導をお願い致します」
皆一人残らず腹に何かの目的を隠しているのです。誰一人として本心を口にしない。出て来る言葉はその場限りの口から出任せばかり。嫌になって仕舞うのも無理はありません。逆に自分が無名で全く世に知られていない時には、まるでゴミの様に取り扱われたというのに。
信じられる人間を見付けて下さい。今あなたが人から粗末に扱われているというならば、その時こそ信じられる人間を見付ける好機です。誰一人としてあなたに御追従など向けないでしょう。だから誠意誠実優しさを向けてくれる人がはっきり分かるのです。そしてその知人を大切にして下さい。そういう時に見付ける人物こそ、いつまでも心から信頼するに足る人ですから。
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遠い未来を望んで下さい。すると予想されるその果てしない行程に茫然と放心するのではなく、却って踏み出す一歩に確かさが生まれます。遥か先の目標であるのにそれが何も彼も飛び越えて、直ちに現在の自分に作用します。
正しい、その名に値する目標とはそういうものです。探し、見付けて下さい。在りますから。
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