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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第三章「白昼の悪夢」
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10‐3 誰かの家

 つい先ほどまで誰かが居たような、生活感のある部屋。


 見慣れたベッドと折り畳まれたパソコンが置かれた机。


 中途半端に戻した椅子が斜めになってそっぽを向いている。


 懐かしいような、よそよそしいような……奇妙な感覚に内心で首を傾げ、その空間を出る。


 短い廊下にはふたつのドアがあった。初めに左側を開けてみるが、白い壁でふさがれていた。もうひとつも同じく封じられている。ドアがあってもその先がない状況に喪失感が募る。廊下の終わりは階段になっていて、床がとぎれていた。


 段差を下って一階に下りる。


 すぐ隣のドアを開けると、そこはダイニングだった。六人で囲める食卓に、椅子が一脚のみ残っている。壁際の大きな棚には一人分の食器だけが片づけてあった。


 続くリビングに目を向ける。三人掛けのソファに、これもまたひとつだけクッションが放置されていた。空気は停滞し、明かりがなければ影もなく、全てが平面的だ。胡散臭くて、見れば見るほど気が滅入る。静まりかえった部屋を見渡し、寒々として腕を両手でさすった。


 人が住んでいたとはとうてい思えない。


 しかし、誰か一人が確かにここで暮らした痕跡がある。姿は見あたらないが、「居た」と分かる証拠が玄関にあった。その「一人」はドアを開けて外へ出たのだろう、ノブに手の跡が焼き付いていた。自分も握ってみると、その手形は己のものより小さかった。


 誰が残したのだろう。子供というほどでもないなら、女の右手か。


 その手形から墨が滲み、ぽたりと足下に垂れる。広がった黒い染みは他人を模して背後に影を作った。


 たまらなくなって家を出た。


 外は真夏の日差しか、あるいは一面を雪で覆われた銀世界だった。目がくらんで景色をまともに見ていられない。眼球の痛みを我慢してうっすら瞼を上げると、遠くに黒い点が見えた。


 背後の家は振り返らず、その暗闇を目指して歩いていく。


 次第に近づいてきたのは一枚の扉だった。


 黒く、重く、大きなそれ。


 恐ろしい気配にひるむが、目をそらしてはいけない気がして、掴んだ取っ手を回した。細く続く薄暗い廊下の真ん中、居間への扉が開いている。隙間からは男女の声が漏れ聞こえた。


「夜盗の仕業にするなんて、なぜそんな嘘を?」


「では、憲兵に突き出せと言うのかい。あの子は何も悪くないのに」


「お前の気持ちは理解できるが、罪は罪だ」


「言われなくとも私は、……あの子だって分かっているさ。自分が何をしたか、よくよくね」


「それで、遺体はどうしたんだ」


 女が観念したようにため息をつき、男を問いただす。


 そこで扉を押し開け、男女を見上げた。かなり大柄な二人、いいや、いつの間にか自分の視線が低くなったのだ。


 ――僕は、


 浅ましくも涙をこぼしながら、ひとつの言葉を繰り返すことしかできない。


 殺めてしまったあの人に。


 迷惑をかけてしまった養父に。


 愚かな弟子を持ってしまったと失望しているであろう師に。


 服をぎゅうと掴んだ手は後悔に震えていた。はらわたをかき回して今すぐ心臓を吐き出したい思いで、「ごめんなさい」。そう謝る以外に、どうすればいいのか分からなくて……、


「ゥ、ぐっ!!」


 暑さのせいだけではなく、エースは汗をかいて目を覚ました。その耳にパキンと華奢な音が届く。御者台ではケイの隣に座るソラが防御魔法の訓練を行っていた。数日で魔力操作を物にした彼女だが、盾の形成には慣れても保持が難しいらしく、ケイから助言を受けている。


 クラーナ地方に入ってからというもの、刺すような日差しに燦々と照らされ、乾いた風に吹かれる日々が続いている。その強い日差しを避けて、エースとジーノは幌の下へ逃げ込むことが多くなっていた。雪と氷の世界で育った二人はやはり暑さに弱い。エースはソラが幾度となく経験してきた猛暑の記憶を持っているため、南国の「夏」を初めて体験するジーノよりは耐えられると思っていたが、現実はそう甘くなかった。兄妹はここのところずっと茹で蛸状態で、台車で荷物同然になりながら日中をしのいでいる。


 後ろをついてくるロカルシュは笠の縁から日除け布を足下まで垂らす格好をしていた。笠はつど解体と組立ができるもので、骨格だけのそれに日除けを被せて各所を紐で結ぶつくりだった。生地の麻が風になびくと、正面のスリットから日陰で涼むフクロウの姿を見ることができる。


 セナはもとより南方の生まれで、ケイも各地を旅してきたとあってどんな気候にも慣れており、この両名はつば広の笠を被っただけで実に元気だった。


 ソラにしても、故郷の高湿な夏と比べればクラーナの環境はずいぶんと過ごしやすかった。いつも通り顔をベールで覆い、ペンカーデルから着ていた上着を肩に羽織って日差しを遮れば、屋根のない御者台の上でも平気だ。


「お! 町が見えてきたぞ!」


 笠のつばを持ち上げ、ケイが遠くを指さした。


 陽炎の中に建物が揺れている。


 そこが東ノ国の巫女と落ち合う港町で、北国の兄妹はようやく季節に合う服を調達できる喜びから、ぐったりとしつつも顔を上げた。


 ソラが台車を振り返ってからケイに聞いた。


「先生、お買い物が先ですか? それとも東ノ国の方にお会いする方が?」


「相手が相手だからな。まずは巫女様に話を聞くとしよう」


「ですね。異国の使節様をお待たせするのは私も気が引けます」


「エースたちには悪いが、買い物はそのあとになる」


「俺は……大、丈夫……ですので……」


「ええ。私も……平気です。おそらく……たぶん、きっと……」


 二人の返事は氷が溶けるように消えていった。


 ちょうど昼が過ぎた頃、町に入ることができた。クラーナ地方の建物は太陽の光を跳ね返す白い壁が特徴で、正面の窓を色ガラスで装飾するのが伝統的な様式だ。地下の構造が弱いことからどの家も平屋建てで、背が高いものは教会の礼拝堂か騎士兵舎くらいだ。砂地の地面は乾いていて、人や馬が行き交うたびに細かな砂粒が舞い上がる。


 一行は東ノ国の御仁が泊まっている宿へと急いだ。

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