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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第三章「白昼の悪夢」
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9‐10 隠匿

「……それは異界の侵寇者。異なる世界より来たりし黄昏の女は〈始まりの魔女〉と呼ばれる。境界の外からやってきたソレは自身の体を蝕む病ゆえに、他者を呪うことでしか己を慰めることができなかった」


 その本質は居場所を変えても変わらず、彼女は人に、そして世界に嫉妬した。


「嫌悪、憎悪、怨悪。そういった負の感情が彼女の魔力を悪しき黒に染め上げていた。この世界へやってきて、自分に世を呪う力があると知った魔女は、やがて聖霊族をそそのかして地の軸へと至った。軸を守る帳の内側、〈座〉にまで到達したソレは世界の混沌を願い、軸に満ちる神秘の光を穢したとされる」


「……そもそも、地の軸というのもよく分からないのですが」


「地の軸とは、およそ千年前に起こった〈第一の災厄〉の際に形成されたものよ。崩壊しかかった世界を支えるため、光の魔力を持つ聖霊族の少年が自ら命をなげうって作り出したと伝えられているわ」


 そこでセナが憎らしげに口を挟む。


「世界を救おうとしたのも、脅かす片棒を担いだのも聖霊族なんだから、皮肉な話だぜ」


「地の軸が作られたのちに魔女が現れ、陰の魔力を振るってこの世を呪った。一度は世界を救った聖霊族も、魔女を助けた愚行がもとで人間社会から孤立していったわ。そうでなくても個体数が減少傾向だったこともあって、数十年後に絶滅したのよ」


「魔女の出現は地の軸が作られたあとの話なんですね。第一の災厄は何が原因で起こったんでしょうか」


「不明よ。千年も前の出来事だから、分からない部分が多いの」


 ノーラは肩をすくめて新しい煙草に火をつける。息を大きく吸い込んでから、横を向いて煙を吐き出した。「いや分からんのかい」とソラは内心で突っ込みを入れたが、地球でも過去の全てが明らかになっていたわけではない。


 結局のところ目新しい発見はなし、というのが成果だった。


「魔女については、負の感情がもとで彼女の魔力が黒く濁り、悪いものになった。という理解でいいですか」


「ええ」


「それならこの世界の誰も恨んでない私に、どうして同じ魔力があるんでしょう?」


「バカ言うなよ。この世界の誰も恨んでないだって? 少なくともお前を指名手配した元老のことは憎く思ってんだろ」


「確かにあのジジイには全身もれなく複雑骨折しろボケカスとは思ってますけど、だからって人類みんな滅亡せよとまではなりませんよ」


 乱暴なこじつけを試みるセナをソラはきっぱりと否定し、迷惑千万とばかりに渋い顔をした。自分の倫理観がまともと言えないのはその通りだが、一方でそれを正す理性もソラには残っているのだ。悲観はすれども正気を失うほどの絶望にはまだ遠く、鬱積を晴らすカタルシスも感じたことはない。


 未だ一線を越えるに至っていない自覚があるソラはふと首を捻った。


「魔力は持ち主の精神状態に左右されるものだとすると、この世界の人たちも悪い感情に囚われて、呪われた魔法を使うことがあるんですか?」


「それは……」


 ノーラが言いよどむ。


 同時にわざとらしく冊子を閉じる音がし、ソラたちが一斉にテーブルの方を向いた。そこには研究という名目の迷妄を読み終えたエースが苦々しい顔で立っていた。


「俺は魔力と精神に相互関係はないと思います」


「エースくん。もう読み終わったの?」


「はい。師匠は……」


「私はあと一冊残っている。今しばらく待っていてくれ」


 ケイは片手を上げて、エースに先を促す。


 ノーラを見つめるエースは珍しく批判的な口調で続けた。


「俺は氷都の教会文庫で古い文献を読みました。そこには魔女の魔力に陰りがあったこと、そして怨念を抱いた彼女が悪しき化身となり、世界を呪ったことが書かれていました」


「それは伝承記にも同じ記述があると思うけれど?」


「正確に言うと、貴方がた魔法院が編纂した伝承記と、俺が読んだ文献とでは記述に相違があります。些細なことではありますが、それは決定的な違いです」


「伝承記にある魔女の記述ってぇと」


 セナが視線を天井に向けて諳んじる。


「魔女、異界の地より怨念に囚われ現る。魂のひずみ故に幻脈曇りあり。彼の者が振るうは黒き業にて、大地を災厄で覆いけり……」


「俺が読んだ文献ではこうです。〈幻脈に陰さす者、異界の地より顕現す。いつか怨念を纏いて悪しきに成り果て世界を呪う、これ即ち魔女なり〉」


「そう。そんなことが書かれていたのね」


「魔女が陰の魔力を用いて世界を呪った……その記述は共通です。そして彼女には強い憎悪の感情があったことも一致しています。しかしこの怨念について、伝承記ではあたかも魔力の陰りと関係があるように書かれていますが、文献の方はそうでもなかったんです」


「伝承記では、こっちに来る前からの感情って解釈だな。その怨念があったからこそ、魔力に陰りが生まれたわけだ」


「古い文献の方は、元から魔力に陰りはあったものの恨みを抱いたのはその後……ということになりそうね。でも、その違いがなんだというの? 結局のところ魔女が世界を呪ったことに変わりはないじゃない」


 ここにきて平然と短絡的なことを言ってのけるノーラに、エースの不信感が臨界を迎える。彼は眉に不快の念を刻んで確言した。


「伝承記の記述は意図的に間違えているのではありませんか」


「お兄様!?」


「うっそー。お兄さんそれ否定しちゃう~? 面白くなってきたぁー」


 それまで大人しくしていたジーノとロカルシュが仰天する。セナとノーラも同じく驚いているものの、彼らの目はその結論に至った過程を説明するよう求めていた。今さら引き下がるつもりのないエースは一歩を踏み出して口を開く。


「仮に伝承記の記述が正しいとして、怨嗟の感情が魔力の陰りにつながるというのなら、ソラ様に陰の魔力があるのはどう考えてもおかしいんです」


「この世界を憎んでないからってか。それがどうした。魔女はこの世界に来る前の感情を元に魔力を腐らせやがったんだ」


「では、ナナシと名乗ったあの男はどう説明する? 彼の心には明らかな憎悪があった。だのにフラン博士は彼を聖人だと言ったらしいじゃないか」


「うんうん、魔女さんに固執してたなら魔力の陰りを見逃すはずないよねー。何より、追い出されたとはいえ魔法院に在籍してたんだし、少しでも陰りがあった場合にその言葉は出てこないはず~」


「そうです。あのナナシという男は怨念の塊のような人物だった。しかしながら彼の魔力に陰りはない。それはなぜか」


 エースは懇願するように言い募る。


 この世界の人間が使う四属の魔法にしろ、自分が使う魔術にしろ、その善悪は力を「何のために」「如何に使い」「どのような結果となったか」、それを見る者の目で決まる。技術そのものに罪はない。ところが光陰の二属だけは善と悪とに振り分けられて論じられる。


「俺はどう言い訳をしてみても、納得がいかなかった。ソラ様の人柄を考えればなおのこと、善悪の前提こそが疑わしく思えて……いいや、俺はそれが間違いであると確信している」


 ソラとナナシ。ふたつの新たな「事実」は真実が既成と異なる可能性を示していた。


 エースが語気を強め、ノーラを睨む。


「なぜ魔法院は事実と異なる記述を是とするのです? 貴方たちは何を隠しているんですか」


「……」


 ノーラの答えはない。エースは眼光を鋭くして返答を催促する。ソラとロカルシュは猜疑を浮かべ、ジーノとセナも如何わしげな目で魔法院総本山の次期元老を見やった。それでもノーラは鉄面皮を崩さず、煙草をくわえて白々しく煙を吐く。


 いよいよエースがしびれを切らすタイミングで、ケイが論文の束を机に置いた。


「さて、私もようやく読み終わったぞ。そちらでは何か論議が白熱していたようだが、どうした?」


「何でもないわ。ちょうど終わったところよ」


「博士!? 何を言って――」


「先にフランの件を済ませたいの。いいかしら」


 程度の差はあれど人でなしの集まりといえる魔法院において、ノーラは出世の階段を駆け上ってきた。図太さを体現する彼女に愚直なる青年が太刀打ちできるはずもなく、エースは有無を言わせぬノーラの態度に押し負けてしまった。


 ノーラは席を立ち、無力な自分に打ちひしがれるエースを横目に視線をケイへと移した。彼女は弟子の出端を挫いたと分かっていて、しゃあしゃあと知らないふりをしていた。さすがはノーラなんぞと長年の親交を持つだけあり、この女もまた面の皮が厚い。


 エースも悪い師を持ったものだ。


 ノーラはテーブルの端に置かれていた灰皿に煙草を捨て、一同を振り返り言った。


「では、反吐の出る話を始めましょうか」

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