9‐4 逆恨み
風呂から戻ってきたソラは寝具を取り替えたベッドに横たわり、ケイの診察を受けることになった。エースとジーノは朝食を取りに行っており不在で、騎士二名は部屋の外で扉を守っている。
ケイは医療用の魔鉱石を指にはめ、魔力を中和してソラの膝に触れた。
「ゥ、ヒヒッ……!?」
「どうした、ソラ?」
「い、いえ。何かくすぐったいというか、膝の中をモゾモゾ探られている感じというか。ふ、ヘヘッ、変な感触がして」
「通常は触覚を感じないはずだが……、ふむ。キミに備わる光陰二属は四属の上位となる魔力、だったか。我々と異なる力が体に満ちているのなら、違和感もあり得るか」
ケイは我慢するように言って触診を進める。ソラは所々で奇妙な声を上げながら、真剣な眼差しで患部を診るケイに素朴な疑問をぶつけた。
「先生は私の正体を知ってるみたいなのに、普通にお話ししてくださるんですね」
「そりゃあ、キミが指名手配中の魔女だと聞いたときは驚いたさ。けれど、〈始まりの魔女〉を恨めどもキミにまでその感情を向ける理由はない。私もいい年だが、共通する特徴の一点を挙げて今の個人と古の禍根とを短絡的に結びつけるほど耄碌はしていないよ」
「そう言ってもらえると、安心できます。ありがとうございます」
ソラは力の抜けた笑みを浮かべて膝を見やる。
「それで、どうなんです? 何か悪いところはありましたか?」
「……」
「先生?」
「うん、魔力の流れに滞りがあるようだ」
と言いつつ、ケイは難しい顔を崩さない。ソラはこれまでの症状を思い出し、痛みはあるものの異物感などはないと伝える。頷いたケイは膝から手を離し、するとソラが感じていたくすぐられるような感触も消え去った。
上半身を起こしたソラが膝を軽く曲げて撫でる。目を覚ましたときの異変などみじんも感じさせないその姿を見ながら、ケイが意を決したように聞く。
「ソラ、少し立ち入ったことを聞いてもいいかい」
「話題にもよりますけど、何でしょう?」
「話したくなければ黙っていてくれて構わないんだが……」
ケイは姿勢を正してソラに向き直った。
「キミはエースの記憶を見たのか」
「……ええ」
「では、あの日のことも?」
ソラがチクリと痛みを感じたのは膝ではなく、胸だった。それは悲しみか、後悔か、はたまた不快ゆえか。眉を寄せた彼女にケイが肩を落とす。
「あの子の菜食主義の原因を、知っているのだね」
表情を冷たくするソラは短く肯定した。エースはこれまで卵や牛乳、バターは口にしても、動物を殺して得たものだけは食べようとしなかった。ソルテで本人から菜食主義であると聞いたときは価値観の延長かと思ったが、彼の過去を体験した今、それが軽い思想ではないとソラは知っていた。
動物を食べないのはエースにとって、人殺しの罪を悔いる罰だった。
ソラは左手を握ったり開いたりして、夢の中で彼に成り代わって殺害した学者の顔を思い浮かべる。瞳の奥に屈辱を浮き沈みさせ、声の代わりに血を吐いて絶命したその女を。
殺したことにソラが後悔を覚えることはない。
対して、まっとうな少年は自分を責めさいなんだ。追いつめ、傷つけ、すり切れ、身動きできない袋小路に入り込んだ。いずれゴミとして燃やされることを願いながら、今も縮こまって泣いている。
「先生は最善を尽くされたと思いますよ」
ソラもまた膝を抱えて小さくなり、ふてくされた子供のように言った。今度はケイが胸に痛みを覚え、つらそうな顔をする。
「だが、正解ではなかった。私も、スランも」
「先生はエースくんのこと、どう思ってるんですか」
「……」
ソラの声色は他人を非難するものだった。
「私は彼が悪かったとは思えない」
温度のない目がケイに問う。
一度でもエースに成り代わったソラは何があろうと彼の味方だ。それは彼女らしい自己弁護であり、歪んだ道徳の成れ果てでもある。
「そうは言っても、エースがしでかしたことは罪悪だ。償う必要がある」
「償うだなんて、そんなの。彼はもう十分に代償を支払っていると思いますが」
「何だって?」
抗議をにじませたケイに、ソラは眼光を鋭くする。
「あの子の笑顔。最後に見たのはいつです」
「……」
「ねえ、分かってます? 最初に手を出したのはあの女ですよ。何気ない言葉の暴力で彼の心は殺されてしまったんです。彼の感情は死んでしまった。自分を愛することなどできず、他人へのそれも分からない。人の心が分からない、信用できない。自分さえも信じることができない」
抱えた膝に顔を埋め、
「エースくんはあの学者を憎むあまり、彼女が在籍していた魔法院さえも嫌った。それが間違っていて、自分こそが悪かったと分かってるのに、後悔と憎悪を止められない」
誰にも見えないところで目に業火を燃やす。
「あの子は自分を無能だと思っている。非凡な才能を持っていても、何ひとつ彼の自信にはならない。年若く、この先いくらでも可能性があるはずなのに、それを掴み取れない。掴み取るべきではないと考えている」
彼は本当だったら植物の命だって摘みたくなかった。けれどそれでは自分が飢えて死んでしまう。エースとしてはそれでも構わなかったが、そんなことをすれば息子を救えなかった事実に押しつぶされて養父がどうにかなってしまう。
だったら、どうしたって生きているしかない。
生きて、苦しんで、何も残せないままいつか死ぬのを待つしかない。
「これがどれだけ辛いことか、分かりますよね。死んだ方がマシなくらいの地獄ですよ。あの学者はそれだけの傷をあの子に負わせた。だから」
死んで当然だ。
最後までは言わずとも、彼女の主張はケイに伝わった。
「人を殺したのはあの女が先だ。因果応報ってものです」
「それでもキミは……、キミの言葉は間違っている」
「そうでしょうとも。だけど貴方だって、人のことは言えない。ケイ先生、貴方は彼が辛い思いをしていた時期に、大陸を回る旅へ連れていってくれと頼まれたことがありましたね」
「ああ」
「貴方はそれを断った」
「私は……エースが置かれた状況を見抜けなかった。元気がないとは思っていたが、ただそうと〈分かっていた〉だけで……」
「本当のところは何も見ていなかった」
「……あの時、私が気づいて連れ出していれば、あんなことにはならなかったのかもしれない」
「そうですよ」
ソラは膝の痛みを忘れ、ケイににじり寄って胸ぐらを掴んだ。
「そうすべきだったんだ。貴方があの子を連れて……!」
涙など出ない。ただただ、どうにもならない悔しさがあって、ソラは唇を噛んでケイから手を離した。ケイもまたエースの一件で自分の未熟さを思い知り、忸怩たる思いを抱えたことは想像できる。心身両方の傷を診るため傾聴を心がけるようになったのはその頃からなのだ。
「……すみません。そこに居もしなかったお前が言うなって話ですよね」
ソラはアオイ・ソラという人間であり、それ以外の何者でもない。記憶を体験しようとも、エースではないのだ。誰かの代わりを自称して憎しみを吐き出すなど正気ではなかった。
肩から首筋へかけてザワザワと不快感がこみ上げる。
己の意図しない変容を恐れるのなら、これ以上に歪む行動は自ら取るべきではない。ソラはおずおずと引き下がり、深呼吸をした。




