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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第三章「白昼の悪夢」
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9‐2 目覚め

 暗闇を破るようにして瞼を押し上げる。


 天井が朝日で明るく照らされていた。


 ■■は吐き気とともに目を覚ました。珍しいことに夜半の目覚めはなかった。ただ、普段より睡眠時間が長かったせいか体が異様に重たい。


 口をもごもごとさせながら首を動かして、寝台の傍らに妹の姿を見つけた。椅子に腰掛け、布団に突っ伏して寝ている。


「ジーノ」


 小さく声をかけると彼女が目を覚まし、瞬きを繰り返しながらこちらに視線を寄越した。


「あ! っと、これは」


 頬をつねって現実であることを確認する。


「痛い。ということは夢ではないのですね! よかった!」


「ジーノの方は大丈夫?」


「私ですか? あちこち擦りむきましたが、大事ありません」


 ジーノは疑うような顔で首を振った。しかし■■は、「擦りむいただって?」。肘を張って上半身を起こそうとする。妹はそれを両手で制した。


「急に起きるとクラクラしてしまいますよ。一日ずっと眠っていたのですから、安静になさってください」


「俺のことはいいんだ。ジーノ」


「え?」


「怪我をしたんだろう? 誰にやられたんだ。まさかあの女、ついに暴力を振るうようになったのか……?」


 ■■は起きあがって寝台に座り、妹と向き合ってその手を握る。


「大丈夫だよ。俺がキミを守るから。安心し――」


 ジーノは眉をひそめて手を振り払い、椅子から勢いよく立ち上がった。それはまるで相手を拒絶するような仕草で、■■は目に不安を浮かべた。ジーノはしまったという顔つきになり、身振り手振りで自分の行動を謝る。


「あっ、その……! と、とにかくケイ先生にお知らせを! そのままじっとしていてください、ソラ様!」


「そら?」


 聞き慣れない名前に首を傾げる。ジーノはあわただしく部屋を出ていき、隣の扉を開けて誰かを呼んでいる。


「何を言ってるんだ? 俺は……、……おれ?」


 天井を見上げてからベッドサイドに目を向け、空の花瓶に映るのっぺりとした顔を見る。


 癖の強い黒髪に、眠たそうで生気のない目。瞳は茶色い。


「じゃない。……私」


 胡乱な眼差しで虚像を睨む。顔の輪郭をなぞって鼻筋に右手で触れ、はたと気づく。自分が無意識に使う手は右で、髪は金色ではないし、目も青くない。


 それなのに、左手には生々しい感触が残っていた。


 夢の中――柔らかな肌を裂き、骨を刺し砕いて、呼吸が漏れる赤い喉を潰した。彼女は悪びれもせず「それ」を行った。


「ダメだ、ダメだ。違う。あの子はそんなことしない」


 まどろみの犯行だったにせよ倫理観の欠如は著しく、身勝手すぎる正義感だった。しょせんは他人事だから罪悪を感じることなく、傲慢にも「守る」だなんて。たとえ己で納得できる理由があったとしても、犯してはいけない罪だというのに。


「あー、この感じ……。マジで気持ち悪いな……」


 氷都でも感じた悪寒が再び背筋を駆け抜ける。以前の自分がどうだったか想像もできないのに、本当に変わってしまったのだと思い知らされる。ベッドに腰掛けたまま膝に額を押しつけ、彼女は深く息を吐いた。


 薄暗い視界の外でドアが開き、三人分の足音が近づいてくる。そのうちの一人が肩に指先で触れ、


「どこか具合の悪いところがおありですか、ソラ様」


 エースの声だった。


 彼女はバッと顔を上げて、自分をのぞき込む海色の瞳に不器用な笑みを浮かべた。エースは騎士の変装を解いて普段の装いに戻っていた。


「私は大丈夫だよ」


 そう答えると、彼の隣に白髪交じりの眼帯女が膝をついた。黒衣を纏う彼女は魔術師のケイである。


「キミ、自分の名前を言ってみてくれるかな?」


「私の名前は」


 視線をジーノに向け、彼女の清かな青い瞳を見つめる。ソルテで出会ったあの時も、彼女の眼差しから自分の名前を連想した。


「ソラです。アオイ・ソラ」


「うん、間違いない。次に、ここがどこだか分かるかい?」


「どこかは分かりませんが、私が最後にいた場所はカシュニーだったと記憶しています」


「それで正しいよ。ここはカシュニーの騎士宿舎なんだ。そうしたら、ここにいる人間の名前を言える?」


 ソラは順に兄妹とケイの名を口にし、部屋の入り口を塞いでいる騎士二名にも触れる。


「そちらにいるのは私を追っていた騎士さんです。名前は知りません。というか、私は捕まってしまったんでしょうか?」


「彼らについてはあとで。今はとにかく、落ち着いているようで何よりだ」


「ええ。いろいろと混乱していたみたいです。ごめんね、ジーノちゃん」


「い、いいえ。私のことはお気になさらずとも……」


 ソラの異変に驚いて拒絶してしまったことを申し訳なく思っているのだろう。ジーノはソラから目をそらし、下を向いてしまった。


 ケイが「いいかな」と声をかけてベッドに座る。


「キミの身に起こったことをざっくり説明しておこう。早い話が魔法治癒に特有の事故というかね。魔法で治療する際に魔力の中和が不十分だと、施術士の記憶が患者に流れ込む事例があるんだ。今回はキミとエースで相互にその症状が生じたと思われる」


「記憶が流れ込む、ですか。じゃあ、やっぱりあれはエースくんの……」


「エースがやったのは魔力の徴発といってね。魔力を中和する魔鉱石――私が持っている医療用の石などがあれば、記憶共有の症状もこれほど強く現れることはなかったんだが、コイツときたら。媒介もなしに強引な構成式で自分の魔力をねじ込んで、キミの魔力を引っ張り出した」


「あのとき考えついた手はそれしかなく……お詫びする言葉もありません」


 エースは床に両の膝をつき、がっくりと頭を垂れた。彼の性格を考えるに、気に病むなと言ったところで自分を許しはしないだろう。ソラはどうしたものかと頬を掻きながら言った。


「ケイ先生の話を聞くに、キミだって記憶がこんがらがって危なかったんでしょ」


「俺のは自分でやったことなので、いいんです」


「そういう自暴自棄はどうかと思う」


「……すみません」


「確かに問題はあったけど、結局のところ私もキミも無事だった。それだけで十分だと私は思うよ」


 エースの肩に手を置き、励ますようにトントンと叩く。それでも彼は顔を上げられなかった。見かねたケイは弟子の頭をがさつにかき回し、顎を掴んで無理やり上を向かせた。


「ほかならぬソラがこう言ってくれているんだ。エース、お前も反省したなら前を向きなさい」


「……はい」


「――そろそろこっちの話も聞いてもらおうか」


 消え入るエースと入れ替わりに少年騎士が口を挟む。彼は部屋の真ん中まで歩いてきて、腕を組んでソラを見下ろした。


「魔女ソラ。お前の身柄は一時的に俺たち特務の方で預かることになった。上司から指示があるまでは扱い保留で監視、ってのがしばらくの方針だ」


「問答無用で魔法院に突き出されるよりはマシですね。ところで、ナナシとジョン……あの二人は?」


「お前とそこの兄のおかげで追い払うことができた……んだが、奴らめ。ここら一帯に魔法で雨を降らせて自分の痕跡を消しやがったもんでな。今は人手を増やして周辺を虱潰しに捜索、近隣の集落にも布令を出して警戒を促したところだ」


「そうですか」


 重苦しい空気が流れ、一同が沈黙する。ソラは窓を振り返って外の様子をうかがった。この宿舎はロの字に建てられており、部屋の窓は全て中庭に面する。町の有り様を知ることはできないため、彼女は目を閉じて意識がとぎれる前の光景を頭に描き出した。


 燃える家、黒い煙のにおい。


 半壊した礼拝堂、瓦礫が落ちる音。


 地面は抉れ穿たれ、整然は見る影もない。


 平穏は一瞬のうちに崩れ去ってしまった。


「私が、最初から魔法を使えれば……」


 ここまで被害を出さずとも宿借りを追い返すか、捕まえられたかもしれない。ソラが暗い表情でつぶやくと、その後悔を否定するように色白の騎士が、「ねーねー! あのさ~」。少年騎士に後ろから抱きついて自身とソラとを指さした。


「私たちこれから一緒に行動することになるんだしぃ、自己紹介しておいた方がよくなーい?」


「勝手にしろ」


 少年はのしかかる青年を押し返して背を向ける。


「じゃー挨拶するね! 私はロカルシュっていうのー。みんなからはロッカって呼ばれてたりするよ。あと、この子はフクロウのふっくん。私の目の代わりになってくれる、小さいときからの大事なお友達~」


 ロカルシュは肩に乗っているフクロウを優しく撫で、朗らかにニコリとした。


「貴方の目の代わり? ということは、ロカルシュさんは目が……」


「困ったことにぃ、私ってば生まれつき目玉がないの。だから普段からふっくんの視界を借りて生活してるんだ。獣使いの能力ってとっても便利だよね~。んで!」


 ロカルシュはそっぽを向いている相棒の袖を引っ張る。しかし彼は自分から名乗るつもりはないようだった。


「えっとねぇ。こっちは私の頼れる相棒、セナ。ちっちゃいのにとっても優秀! 口とか態度とか柄とかいっぱい悪いけど、悪い子じゃないよ~」


 陽気なロカルシュの隣でセナは向きを変えない。ソラは背中を丸めて低い位置から彼を見つめ、その意志を探る。


「これが、貴方が自分で考えて出した答え。ってことでいいんでしょうか」


「……お前の行動を実際にこの目で見て、魔法院の言い分に疑問を覚えただけだ。誰かに言われたからとかじゃない。断じて」


 少年の言葉はつっけんどんで、今回の決断も不本意であることは明白だったが、不服を飲み込むだけの理性はあったらしい。個人的な感情を抑え、かかとを踏み鳴らしている。ソラはそんな彼にほっと胸を撫で下ろす。


「ロカルシュさんの言うとおり、貴方は悪い人ではな――」


「うるせぇ黙れ魔女が知ったふうな口利くな腹立つ死ねよクソが」


「アッ、ハイ。スミマセン……」


 矢継ぎ早な悪態にザクザクと精神を刺された。ソラは鬼の形相で杖を握ったジーノを引き留めつつ、セナとは不即不離の距離感を保つべしと心得た。


「ちょっとセナー、魔女さんに態度悪い~」


「知るか。アンタもあんなのにヘラヘラしてんじゃねえよ」


「そっ!? そんなヘラヘラとかしてない、と思う。けどぉ?」


「何だその微妙な反応は」


 疑うセナに対し、ロカルシュとフクロウが一緒になって明後日の方向を向く。そんな一人と一羽にケイが助け船を出した。


「無理もないさ。彼の出身であるプラディナムでは魔女も信仰の対象なんだ。本物を目の前にして舞い上がっているんだろう」


 ケイは出した船に油をまいて火を放った。エース以外が一斉に驚き、特にセナは先ほどのジーノと同じ顔つきでロカルシュを一瞥した。

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