8‐5 一か八か
ノーラを癒す施術は未だ継続している。一見すると、ただ手をかざして魔力を受け渡しているだけに見えるが、傷を癒すという行為は見た目ほどに簡単ではない。
魔法施術士が傷を癒す手順としては、まず医療用の魔鉱石を用いて施術士の魔力を属性の偏りなく中和するところから始まる。次いでそれを患部になじませ、患者本人の魔力を刺激して細胞の再生を促進するのだが、この仕事を成し遂げるには高度な技術と人体への理解が必要となる。施術士は己の知識を総動員し、傷を癒すに足る魔力を確保した上で、さらに患者と自分以外の存在を意識から消し去るほどの集中力をもってして、魔法による治療を行うのである。
ケイは現在、まさに山場を迎えたところだった。
ジーノはそんな彼女の邪魔にならないよう、ひっそりとエースの隣に屈んだ。
「お兄様、知恵をお貸しください。ナナシという男が使う魔法のことで、少し分かったことがあります」
「聞かせて」
エースは輸血の様子から目を離すことなく、耳だけを妹の言葉に傾ける。
ジーノは声を沈め、語った。
「あの男は自身を聖人と称し、自らが扱う魔法は四属の上位に当たると豪語しました。物質を強化すれば張り合えますが、魔法そのままでは干渉すらできず、かなり厄介です」
「……聖人を自称したのも驚きだけど、魔法に上下の力関係があるなんて聞いたことがないな」
「光陰の二属は四属を上回るとフラン博士から聞いたそうです。それからジョンという少女の発言にも気になるものがありました。彼女はあの男の魔力を借りて、本人に魔法の使い方を教えたと言っていました」
「魔力を借りる……相手から譲渡されたのではなく、自分の都合で徴発したということか」
「二人は魔鉱石に頼らず魔力を魔法に変換できるようですが、それにしても、他人の魔力を操るなどできるものでしょうか?」
「……」
エースはジーノの疑問に答えを出せなかった。魔力の徴発も、他人のそれを操作することも可能ではある。それは治癒魔法の応用で、中和した自分の魔力を他者の中へ垂らし、癒す手順を逆にして吸い上げればいい。とはいえ、それは叡智ある者が医療用の魔鉱石を用いればこそ成功する話で、石の手助けなく行うとなれば困難を極める神業だ。魔力操作によほどの自信があっても、簡単にできるものではない。
そばで兄妹の会話を聞いていたソラが苦い顔をする。
「何で私、魔法が使えないかな。上位がどうのってのが本当なら、私こそ対抗できるのに。ホンット肝心なところで役に立たない」
「ソラ様、ご自分を責めないでくださいまし。それよりも、あの男はソラ様と同じ異界の人間なのですよね? 弱点など分かりませんか」
「生まれた世界と、国もたぶん同じだと思う。でも、名前も知らない他人だし。弱点なんてそんなの……」
普通に殺せば死ぬはず、とは軽はずみに言えなかった。この世界はゲームのようにイベントをやり直すことも、死から復活することもできないのだ。
ジーノは言いよどむソラにやきもきしながら兄に視線を振る。エースは治療の補助を続けつつ、先ほどからブツブツと思案を繰り返していた。
「上位の魔力を使えるとして、媒体は……」
エースも魔鉱石は持っているし、魔力を徴発する理論も記憶の中から取り出すことは容易だ。医療用ではなくとも、石を介すればジョンの真似事もやってできないことはない。
そこで、エースはソラが証石を手にした光景を脳裏に再生する。魔力量を示す光は弱々しかったものの、平均をやや下回る程度で人並みと言えるものだった。
「俺の持つ石では硬度が足りない……」
ヤワな石で許容量以上の魔力を魔法へ変換しようものなら、石の破損どころか魔法が暴発して使い手が死ぬこともある。自分の魔鉱石に頼る試みは一蹴するしかなかった。
エースはすがるようにケイを見やり、治療の進行具合を確認する。いずれノーラの治療を本職の施術士へ引き継ぐにせよ、彼女の傷はまだ楽観できる段階に至っていない。師の指に輝く魔鉱石を借り受けるのはもうしばらく無理だろう。
だからといって、治療が終わるのを待っている時間はない。
ならば方法はひとつしかなかった。
「ソラ様。貴方の魔力を貸していただきたい」
エースが己の無力さに辟易するのはいつものことだが、今回ばかりは知識と技術だけでも備わっていることに感謝した。卑下と安堵を混ぜた複雑な心境を表すエースに、ソラはその決断が苦肉の策だと知る。
「いいよ。私で力になれるなら、何でも」
抑止に足る力を持ちながら役に立たない自分を嘆き、何かできることがあればと願った彼女の心はエースと同じである。貸せるものがあるのなら断る理由はなかった。




