8‐2 その目に見たもの
ジーノは傷を負いながらもナナシと戦っていた。近づいてくる相手を風圧で押し返し、ひっきりなしに攻撃を浴びせる。豪雨のように降り注ぐ魔力の塊に対し、ナナシは乱雑に配置した盾で難なく防いだ。ジョンも機を見計らって防御の隙間から魔法を放ち、ジーノに苦戦を強いている。
ジーノが足を踏み込み、足下から岩の槍がナナシを狙う。常人であれば全身全霊ともいえる量の魔力を割いて作り出されたそれであるが、ナナシは後込む様子もなく適当に生成した防御で全てをせき止めた。
セナはその光景に刮目する。
「あの男、あんな軽い魔法で金髪女の攻撃を凌いでやがるのか?」
よく見ると、ジーノは防御を放棄していた。その顔に余裕はなく、むしろ相手からの反撃を恐れるがゆえに、その暇を与えぬよう攻めに徹していた。魔法への理解はともかく、威力だけはバケモノじみて抜群な彼女であっても、正面切ってぶつかりたくないナナシという人物はいったい何者なのか。
引き続く戦闘にジーノも消耗気味で、降り注ぐ魔法がほんのわずかに途切れた。ナナシは針が一本通るかというその空白を逃さなかった。彼はそれまで不可視だった盾を数本の剣へと変え、ジーノに向けて放った。ジーノはそれら剣を防御魔法で受けるのではなく、軌道を目で捉えて身をかわす。たかが数本の細剣だが、彼女の魔力を持ってしても防ぎ切れない威力があるらしい。
避けきれなかった一本がジーノの上腕を切りつけた。彼女はそれを痛がっている時間さえ惜しいと猛攻を再開する。
ナナシの反抗はつかの間、再び防御に追い込まれた。第二波として用意していた剣が制御を失って落下し、そのうちの一本が地面に刺さる。
他人を傷つけることに使われた、白く輝く神秘的な剣。
セナは形を保てず数秒で消え去ったソレの残滓を見た。
「眼」に映ったのは、角を生やした歪な白い結晶だった。
「あれは……!?」
忘れもしない、フランの屋敷で見つけた異形の痕跡だった。
セナは息を呑んで「現実」を見つめる。彼は全身が燃えるように熱くなるのを感じた。ドッと汗が吹き出て、そうかと思えば体温は徐々に冷えていって。その低温が頭にも回り、狭かった視野が急速に広がっていく。
見ようとしていなかったものが視認できるようになり、そうなれば聴覚もまた、これまで聞こえなかった音を拾い上げた。
「ノーラ!! あと少しだ! 頑張れ!!」
セナはナナシたちに意識を向けたまま、礼拝堂の方へ目をやった。溢れ出た血を吸って黒く変色した地面の上に、女が一人横たわっている。
「そうですよ! 頑張って!」
絶え絶えに呻くけが人を魔女が必死に励ましていた。全壊した教会跡からは騎士姿の青年が駆けてきて、鞄の中から赤い袋と棒状の器具を取り出した。
「私の鞄は無事だったか?」
「はい。すぐ輸血の準備に入ります」
「でき次第始めてくれ。慌てず焦らず、いつも通りやるんだぞ」
青年は器具を患者の隣に立て、支柱をスルスルと伸ばして先端の鉤に赤い液体が満ちる袋を掛けた。袋の尻に細長い管を繋げて垂らし、彼は魔法施術の補助に就く。
魔女が患者の手を握り、力強い口調で勇気づける。
「大丈夫、出血はもう止まりますから! そうなったら、あとは傷口を塞ぐだけです!」
「ああとも! こんな傷、私の手に掛かればすぐに終わる。あっという間さ。だから頑張ってくれ!」
セナは信じられないとばかりに瞬きを繰り返し、その有り様を見つめる。魔法が炸裂する騒音の中、少年の耳に細い声が届いた。
「いかないで……。一人に、しないで……」
今にも消え入りそうにすがる患者の手を魔女が握りしめた。
「はい、はい。ずっとここに! 何があっても、絶対に貴方を一人にしたりしませんから。大丈夫ですよ!」
セナは魔女の献身的な振る舞いに絶句した。それが演技ではない真心なのだから、なおさら言葉がなかった。あれほどまでに憎み、任務を無視してまで殺そうとした相手が、本当に「まとも」だったなんて。
受け入れがたい事実だったが、間違いと分かったのなら理解を改めなければならない。
セナは狼にロカルシュの元へ戻るよう指示する。狼は疑うようにセナを見上げたが、彼の瞳に私情の怨念はなかった。耳をピクリと翻した狼は足音もなく後退し、茂みから姿を消した。
少年は拳銃を腰に戻し、革紐を引いて狙撃の準備に取りかかった。細長い弾丸を装填して銃床を肩に当て、照準をナナシの胴体に合わせる。引き金を絞ると、発砲音と同時に肩へ衝撃がきた。
拳銃よりは貫通力のある鉄礫だったが、それは防御の盾に当たって砕けた。突然の不意打ちにナナシが不機嫌な顔で辺りを見回す。「狙撃」とあって数日前の出来事を思い出したジーノは即座に魔力の大半をソラの守護に回し、追ってくるジョンの攻撃を足先で避けた。
その間にセナは手早く弾を装填し直し、先ほどよりも魔力を多く注いで銃弾を撃ち出す。
パンと乾いた音が響く。
二射目は盾に食い込み、空中で止まった。
「うえぇ!? 何これ、僕の魔法にひびが入ってる!」
ナナシの悲鳴にジョンが攻めの手を止めた。
異様な静寂の中、セナは狙撃銃を背に戻し、拳銃を握った。両手に構えた銃口を悪鬼二人に縫いつけ、木陰から姿を現す。
「フラン博士を殺したのはテメェらだな」
「急に出てきて何だよ? アンタ誰さん?」
「お前の魔力、屋敷に残されていたものと同じだ。言い逃れはできないぞ、大人しく縛に就け」
「キミ、ちっこいけど警察の人? もしかして俺たち、オトーサンのブッ殺し容疑で指名手配でもされてた?」
「まあ、いやだわ。ぼくらはごみをかたづけただけなのに」
「ゴミだと? 人の命を何だと思ってやがる」
「んなもん、そっちこそじゃん! 子供がクソ溜めで育児放棄どころか、叩かれていじめられてたんだぞ。それを知らん振りは最っ低の罪悪だろ。だから被害者の俺たちが犯人に罰を下したんですぅ」
セナは二人の足元を見る。ナナシは革靴を履いており、ジョンは裸足だ。十中八九、フラン邸で見つけた不可解な痕跡は彼らのものだろう。掘っ建て小屋に閉じこめられていた白髪の子供をこの男が救い出しただけなら、彼の行動は美談だった。だが、ナナシとジョンはフランの悪行を憲兵に告発することなく、屋敷の全員を殺して回った。
「それでお前は正義の味方気取りか」
「きどってません~。ななしはせいぎのみかただもん。ぼくをたすけてくれた、とぉーってもいいひとなんだから」
「世界だって救っちゃうんだぞ!」
「そーだそーだ!」
二人はここ碩都までの道中でも、十数名の命を奪っている。自らの行動を悔やむでもなく無責任で無慈悲な言い分を口にする彼らは、もはや救いようのない殺人鬼で、処罰すべき犯罪者だった。
事態を見極めたセナがジーノに目配せし、言う。
「悪いが、俺は見た目ほどガキじゃない」
その意をくみ取り、ジーノはナナシとジョンに向かって杖を振った。




