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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第二章「悪の牙」
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7‐7 最悪の拒絶

 双方が攻撃の再開を見計らう最中さなか、ここしかないとソラは動いた。戦場において捨て置かれた異物が、暴力に染まった空気を縫って進む。


「ソラ様! お待ちください!!」


 制止するエースを無視して、ソラはナナシの前で足を止めた。彼女は自分の正体を覆い隠すベールを脱ぎ去り、「貴方。ナナシという人」。細い声で話しかけた。


 杖を突いて見るからに無力なソラの呼びかけに、ナナシは人好きのする笑みで応える。


「何か用かな? お姉さん」


「貴方が言う〈お母さん〉は、そこの女の子の母親、ってことですよね」


「うん。そうだよ」


 外見と裏腹に無邪気な声で肯定するナナシにソラはたじろぐが、引き下がりはしなかった。


「最初は彼女に感化されて復讐を手伝っているのかと思ってた。だけど貴方はまるで自分も当事者のような口振りで……。どうして、あの人をお母さんなんて呼ぶんですか」


「まるでも何も当事者だもん。あれが僕のオカーサンなの」


「そんなわけない」


 彼の「正体」を知っていればこそ、ソラが騙されることはない。


「だって、話しぶりからして貴方は私と同じ立場なのに……」


 皆はソラの行動に戸惑うばかりだったが、その言葉を聞いたエースとジーノは静かに狼狽した。周りに意識を割く余裕のないソラは、ジョンを指さして問うた。


「その子には復讐を望む理由があるのかもしれないけど、貴方にはないはずです」


「ハァ? 理由なんてありまくるっての。あのクソ親父……人が汗水垂らして働いた金を巻き上げてパチでスりやがって、僕の稼ぎで日がな一日煙草ふかしてさ。その上、飯が不味いだのなんだのウルセーったらねえクソカス。あいつのせいで僕はこんなことに……」


「貴方は!」


 焦燥に急かされ、ソラの語気が強くなる。ナナシはこれまで好意的だった顔をわずかにしかめた。


「僕が何だって言うんだよ」


「貴方は私と同じ、こことは違う世界からきた人間だ。それなら貴方の父親はこの世界に存在しない。関係がない!」


「ハァ? 親父はオトーサンのことだろ。もう死んじゃったけどちゃんと居たし関係大ありだっつーの!」


「……っ」


 声を荒らげたナナシにソラはついに怯んでしまい、なかなか次の言葉が出なかった。


 ジョンを含めた外野一同が二人を注視している。


 ソラはそれら懐疑の視線にも気づかないほど切羽詰まっていた。同郷と思われる人間がこの世界で非道を働いていれば当然の反応と言えるが、果たして彼女の胸にあるのは正義感か?


 いいや違う。


 ソラは自らの胸中を見つめる。ナナシの行動には連帯的な自責の念を覚えるものの、彼女を突き動かすのはもっと独りよがりな衝動だった。


 目下、ソラの目的は「悪しき魔女」という汚名を返上し、害心はないと理解してもらうことだ。善良なる人物と認められるには、第一に当人の行動が正しくなければならない。現状であればナナシを諭し、この暴挙を終わらせるのが最善の振る舞いだ。


 ソラは自分のためにこそ、とりつかれたように食い下がった。


「あ、貴方の言う〈お父さん〉って、いったい誰なの?」


「誰って、だからオトーサンだよ。フランって人」


「私が話しているのは貴方が親父って呼ぶ人のことで――」


「分っかんないかなぁ? オトーサンはお父さんで、親父のことなんだって。んで、あれがオカーサンな」


 ナナシに人差し指を向けられたノーラは声をうわずらせて否定した。


「変なこと言わないで! 私は貴方の母親なんかじゃないわ!!」


「そう。彼女の言うとおりだ」


 彼の両親を暴いたところで何になろうか。今更ながらにそう思ったソラだったが、行動を起こしてしまった以上は後戻りもできない。


「あの人は貴方のお母さんじゃない。そうでしょう」


 おざなりに差し伸べた手がチリチリと焦げるように痛む。ナナシは面倒くさそうに応答した。


「アンタ、日本語通じない人なのな。何度も言うけど、あのノーラってのが僕たちのオカーサンなの」


「違う、よ……。お願いだからよく見て……!」


 ソラは小さな子供を説得するように必死で声を柔らかくした。


 ナナシはノーラを睨み嘆息する。


「よく見ても見なくてもアレが僕らのオカーサンだってば。なあ、オカーサンだろ? そうだろ? だってオトーサンが言ってた。ノーラって名前だって。顔も同じだ。アンタがオカーサンだ。僕らの。ぼくの」


 その纏わり付くような視線にソラは狂気を感じた。大人のくせに言動が幼稚な点もどことなく恐ろしい。伸ばした手を下げたくなるが、ここまできて諦めるわけにもいかない。彼女は杖を手放し、弱気になる腕を掴んでその場に押しとどめた。安易に退けない本心はむろん保身の部分が大きかったが、明らかに現実を誤認している不安定なナナシを無下に突き放せない気持ちもあった。


 つなぎ止めたとてどうすればいいか分からず、未来がどう転ぶか見当もつかないけれど。それでも、見捨てるのは違うと思った。


 そうして必死にこらえ、彼が応えてくれるのを待っていたのに。


「……気持ち悪い」


 ノーラが最悪の拒絶を示した。


 場の空気が凍り、ナナシがノーラを見る目を細くする。ソラは石像のように固まってしまい、後退する彼を追うことができなかった。


 ナナシが掴んだのは、これまでずっと一緒だった少女の手だった。


「ジョーン。いいこと思いついたから、サポート頼んだ」


「まっかして」


 ナナシが前方に小さな盾をひとつ展開し、ギリギリとねじって細長く変形させ始めた。事態の悪化を感じたケイが小刀を投げ、それをおとりにエースが速やかにソラをさらう。小刀はナナシを狙って飛んだが、ジョンが用意したガラス質の防御魔法に弾かれた。


「こたえあわせ! まりょくがないせいで、とおりぬけるなら。じったいのあるかべを、つくればいい。でしょ?」


 ジョンは内側からコンコンとガラスの壁を叩き、ベッと舌を出す。その間にナナシはついに盾を長剣へと作り替え、目線の高さに浮かべた。


 狙うはただ一人。


「そしたら、さよならだね」


「ばいばい。しらないひと」


 ナナシは掲げた手のひらを軽く前に振る。反射的にジーノとケイがノーラの前に防壁を配し、標的とされた本人も鋼鉄の盾を置いた。騎士も槍を構えてノーラの前に出ようとした。


 次の瞬間にはノーラの腹に穴があいていた。


 誰も声を上げる間はなかったし、動くこともできなかった。


 おびただしい量の血が噴出し、ノーラがくぐもった呼吸を漏らして膝から崩れ落ちる。悲しいかな、ナナシの魔法が相手ではいくら防御を重ねようとも薄紙同然だった。


「ノーラ!!」


 ケイが襟の下に手を突っ込み、ネックレスに通して隠していた指輪を掴む。その石座に置かれた深碧の鉱物は医療用の魔鉱石である。鎖を引きちぎり、ケイは輪を指に通してノーラのもとへ駆けつけた。じわじわと土に染みていく血溜まりに膝を突いて、傷口に手をかざす。


「おっとー? あのおばさん、ちゆまほうもつかえるんだ?」


「そしたら、回復したところをまたぶっ殺そうぜ。二回も殺れて僕もジョンも大満足ってやつですよ」


「にかいじゃたりない、わ。きがすむまでくりかえす、のです!」


「仰せのままに、お嬢様」


 二人は楽しい遊びを見つけてご機嫌だった。ジーノたちは背筋が凍る思いでそれぞれの武器を握りしめた。

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