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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第二章「悪の牙」
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7‐1「その目を開いて」

 碩学の都カシュニーの歴史は森の中に掘られた穴蔵から始まった。地下に広がる広大な迷宮は知識の保管庫で、蓄光石が常に輝く不夜の空間となっている。収蔵物の内容は多岐に渡り、魔法に関する書物はもちろんのこと、今日の献立から家の建て方、子育ての指南書までそろっている。節操なく集められた書籍の数々は、「収集癖」あるいは「執着」と言って括るには有り余る量であった。


 元来、カシュニーの人間は知識というものに異常なまでの興味を示す。彼らはその探究心と勤勉さでもって魔法を大いに発展させた。大陸が統一される前、領地時代には密かに開発した魔法兵器を手札に、現王都を統治していた勢力と結託して統一戦争を成し遂げた。


 その成功体験は彼らの純粋な研鑽を野心に変えた。


 戦後、カシュニーは自らの叡智を万人に普及させようとはしなかった。秘蔵の知識が外に漏れることを嫌い、地下書庫の上に塔を建てて入り口を隠してしまったほどである。その塔はやがて魔法院の総本山として畏怖を集めるようになった。


 これは余談だが、信念の相違や獣使いを不当に扱うことから反感を持つプラディナムは、彼の地を「理屈の掃き溜め」と揶揄する。


 さて、碩都とは塔を都の中心に置いて楕円状に成り、中央の広場から少し南東へ下ったところに絢爛な佇まいの教会がある。礼拝堂の窓は色とりどりの玻璃で装飾され、十字の柱が掲げられているのは他の地方と同じだ。違うのは屋根の構造で、棟から左右に傾斜する切妻のそれはプラディナムを軽蔑する西方ならではの造りだった。


 礼拝堂と庭を挟んで向かいに事務所があり、彼女はその一室で机に向かっていた。


「悪いけれど、もう一度言ってもらえる?」


 壮年の女が眉間にしわを刻んで白髪混じりの栗毛をかき乱し、机上の通話装置に話しかける。


『ですから、博士にお会いしたいというご婦人がお見えで……』


「そのあとよ。あと」


 つり上がった細い眉が一言ごとにピクピクと動き、もとから神経質そうな彼女の顔はよりいっそう気難しくなって見えた。灰色の瞳は不満げな瞼で半分に切り取られ、目に映るもの全てを敵と見なさんばかりの威勢だった。ヘの字に曲げた口で煙草の先を真っ赤に燃やし、まさに不機嫌である。


『眼帯をした黒衣こくいの御仁で』


「無駄に大きな胸を隠しもせずむしろ強調したような格好の、筋肉質で破廉恥な年寄り女?」


『え? っと、それは。あのぉ……』


 装置の先でガサゴソと音がして、しゃべる人間が変わる。


『お前な。いくら旧知の間柄とはいえ、その言い方はひどくないか』


「あら、ご本人。全て本当のことでしょう」


『頼むから入館許可をくれ。約束が入っていないとかで待ちぼうけなんだ』


「そのままずっと待ってればいいのよ」


『ほーう? そういう意地の悪いことを言うのなら、私にも考えがあるぞ』


「まさか居座るつもり?」


『ただぼんやりと待っていても暇だからな~。そうだ、受付のお嬢さん方とお茶でもしながら昔話をしよう。魔法院の次期元老に推されているお偉いさんの子供時代を知る機会なんてそうないし、きっとみんな興味津々で聞いてくれるだろうなァ』


「さっさと用事を済ませて帰ってちょうだい」


『何だ、始まる前から降参か? つまらん』


「いいから、早く。来なさい」


 装置の突起から手を離してブツッと通話を切る。女は肺一杯に煙草を吸い込み、半分ほどが燃え尽きたそれを灰皿に押しつけた。四本目の吸い殻を捨てた皿に蓋をし、真っ白な息を吐き出す。


「まったく、忘れた頃にフラッと戻って来るんだから。困ったものだわ」


 口調はいかにも忌々しげだが、表情は先ほどと打って変わって穏やかだ。親愛なる相手にさえ憎まれ口を叩いてしまうのがこの女の性分なのである。


 拳で扉を三回打って、招かざる客人が顔を出す。女はわざとがましく椅子から立ち上がり、胸がでかくて筋肉質なお年寄りを迎えた。


「いらっしゃいませ」


「やあ、ノーラ」


 年寄り女は軽く手を挙げて破顔する。彼女はほとんど白髪のくすんだ金髪を馬のしっぽのように結い、右目を眼帯で覆っていた。左目には灰青色の瞳が甘くとろけるような垂れ目に収まる。勇ましく上を向く眉がその媚びた視線を打ち消し、それでいて表情は軟らかく、見る者をことごとく虜にする美貌は年を取った今も衰えていない。


 軸もブレずに長身をピンと伸ばし、その肉体は老齢に片足を突っ込んだ人間のものとは思えなかった。厚みのある体格は誰よりも頼もしく、腰に細身の剣を差す姿はどこぞの騎士隊長と言っても疑われない勇壮な佇まいであった。


「久しくご無沙汰だが、元気だったか?」


「それなりには、ね」


 彼女は適当な場所に背負っていた荷物を下ろし、肩をぐるぐると回した。部屋の主、ノーラは黒衣の女を横目で見やり、


「相変わらずイヤミな格好だこと」


「うらやましいだろ」


「年甲斐がないって言ってるのよ」


「あのなー、この体型を維持するのにどれだけ苦労をしていると思う? それはもう大変なんだからな。見せなきゃ損というものだ」


 彼女は腕を組んで豊満な乳をもったいつけずに持ち上げた。襟元の黄玉が角度を変えて明かりを反射し、気品ある光を放つ。


 硬くて重そうなそれを見たノーラは、ありもしない肩の痛みを覚えて首筋に手を置いた。ついでに自分の胸を見下ろして舌打ちする。


「せっかくの賜物なのだし、大切に仕舞っておいてはいかが?」


「それはない。見場が悪くないよう体を鍛えることが結果として心身の若さにつながるのだ。お前も座ってばかりいないで、少しは外に出て体を動かせ。筋肉は肉体の瑞々しさを保つ上で必須だぞ」


「脳まで筋肉になったんじゃ目も当てられないわね」


 ノーラは相手を鼻で笑い、精一杯の虚勢を張る。


「というか、その眼帯も外しなさいよ。ここには私しかいないのだし、誰も見咎めたりしないわ」


「ではお言葉に甘えて。実を言うとさっきから歩くのに難儀していたんだ。物も上手く掴めんし、いやはや助かるよ」


 女は覆いの下から金色の目を露わにする。


 ノーラはその美しい瞳を見て満足そうに微笑み、椅子にどっしりと座り直した。


「それで、私に何のご用事?」


「用事というか、お前の無事を確かめに来た」


 女は別から椅子を持ってきて、机を挟んでノーラと向き合った。


「フラン博士が亡くなったと聞いた」


「何者かに殺されたらしいわね。そして、次の標的は私じゃないかと目されている」


「見たところ護衛はついていないようだが、何か対策は講じたのか? 下手人どもは〈宿借り〉なんぞと呼ばれて、あちこちで凶行を繰り返しているんだぞ」


「そんなもの必要ないわ。カシュニーの次期元老と期待される大魔法使いの私で相手にならないなら、この都にいる誰も敵いっこないもの」


 親切な忠告を高慢な仕草で背後に放り投げ、そこではたとノーラが気づいた。


「ちょっと待って。貴方さっき、下手人どもって言ったわね」


 目つきを悪くするノーラに対して女は窓の外に目をやり、遠くを見つめる。


「ノーラ。話は変わるんだが、お前には子供がいたのか?」


「子供?」


「現場検分の責任者を任されている憲兵と知り合いでな、奴から妙な話を聞いた。現場に子供と思しき足跡や手形があった、と」


「……魔法院の方で屋敷に送り込んでいた内通者から至急の連絡はなかったわ。きっとそんな暇もなく殺されたのね」


「その後ろ暗い顔で誤魔化せると思うなよ」


「フン。知ったことじゃないのよ、子供なんて」


「まったくお前は」


 女は背もたれに寄りかかって頭が痛いとばかりに額を押さえた。ひとまず罵倒を飲み込んで先を続ける。


「さすが私の親友なだけはある。何とも救いようのない女だ」


「貴方と親友だったことなんてないと思うけれど」


「はいはい。そうしたら、お前がその子を過去にどうしたかは聞かないし、責めもしないよ。私がここに来た目的はそれではないからな」


「その子があの魔女狂いを殺したって言うの?」


「状況から見れば、その可能性もあると隊長殿は言っていた」


「そう……」


 ノーラが押し黙ったところで、通話装置の豆球が点灯してジリリと呼び出し音が鳴った。遠くにいても聞き逃さないためとはいえ、けたたましいその音にノーラが耳を押さえて対応した。突起を押して通話をつなぐ。


『失礼いたします。受付です』


「どうしたの?」


『博士にお会いしたいという方がいらっしゃいました』


「またなの? 今度はどなた」


『騎士の方です。約束はないそうですが、博士にどうしても面会したいとのことで』


「用件は聞いた?」


『フラン博士の件でお話があるとか』


 ノーラがぎくりとする。声を弱くして「分かった」と返し、装置から指を離してうなだれる。同時に、正面の女が席を立った。


 彼女はニマニマとしていた。


「どぅれ、私が見てきてやろう」


「しゃしゃり出ないで、自分でやれる」


「そう言うな」


「どうして貴方はそうやって余計な世話を焼こうとするのよ」


「ふむ、理由を求めるか。そうさな、お前は確かに面倒くさい性格だし人としてどうかと思うこともある」


「……でしょうね」


「それでもお前は同郷の友、いわば幼なじみという間柄であり……何より、自らの血を嫌った幼い私を励ましてくれた恩人だ」


「あ、あんなのは愚か者の戯言よ。いつまでも大事に抱えているようなものじゃないわ」


「私はそれで救われたんだ。魔法施術士への道が絶たれたあの時、手を差し伸べ絶望の淵から引き上げてくれたのはお前ただ一人だった」


 女は金銀の目に誠実をたたえ、胸に手を当てて恭しくお辞儀する。


「頼む、ノーラ。私にお前を守らせてはくれまいか」


 芝居がかった仕草も彼女がすれば様になる。並の人間では鳥肌が立つだけの浮いた台詞を恥ずかしげもなく、かつ説得力を持って口にするこの女は本当に質が悪かった。


「あーもう……。勝手にすれば」


 ノーラはぶっきらぼうに了承した。女はやおらと腰をまっすぐに直し、満足そうな笑みを浮かべて、「では、行ってくる」。黒衣の裾を翻して部屋を出た。石を敷いた床を足音もなく歩き、受け付けに顔を出す。


「ノーラ博士にご用事の騎士殿はどなたかな?」


「アッ、はい! わ、私です」


 女が声をかけると、壁際の長椅子に座って待っていた赤毛の青年が立ち上がった。青い制服に剣を差す彼は足早に駆けつけ、顔を上げた直後に体を凍り付かせた。


「おや? 誰かと思えばエースじゃないか。ここで何をしているんだ。というかいつの間に騎士になった? 髪まで染めて……、まさかグレたのか!?」


「し、師匠!? どうしてここに……」


「そうとも私はお前の師匠だし、どうしてはこちらの台詞だ。わけを話してもらえるんだろうな?」


 まさか敵地の真っ直中で知り合いに会おうとはエースも想定していなかった。彼は何となく恥ずかしいやら居心地が悪いやらで、返す言葉が見つからなかった。

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