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Ex‐2 見えないもの

 それからというもの、凪いだ海のように彼の心は静かだった。だのに腹の底にはふつふつと怒りがくすぶっていて、その怒気を糧に彼はよく魔物を狩った。あるいは暇つぶしに探すことさえあった。飛びかかってくる足を潰し、振り上げられた腕を退け、ひるんだ隙に火炎で包み肉と骨を焼いた。


 撃って、吹き飛ばして、爆ぜる。魔女の呪いは塵と共に消え、あとに残るのは胸がすく感覚だった。


 魔物を狩っている間は自分の愚かさを忘れられた。泣き出したくなる思いも、死にたいという気持ちも忘れられた。ただ憎しみだけがあって、それがあれば少年はまだ生きていける。生きていかねばならない。


 魔物を滅し、魔女を憎み。もしもその再来に立ち会うことがあったのなら、迷わず殺す。故郷に報いる術はそれだけだ。死ぬのはその念願を成し遂げたとき以外にない。


 そう決めたはずなのに。


 ようやく巡ってきた絶好の機会を逃した今、セナは叫んだ。


「クソが!!」


 いつも、いつも自分はこうだ。


 肝心なところで手が届かない。間に合わない。


「魔女が目の前にいたのに! すぐ殺せたのに!! あの女、アイツさえいなけりゃ、きっと……!」


 堅牢な石壁を何度も殴りつけ、やがて額を押しつけてずるずると膝から崩れていく。泣いてはいない。彼は愚鈍な己を噛み潰すように奥歯を食いしばっていた。


 その隣でロカルシュが壁をひっかきながら、悲しげに鼻をピーピーと鳴らした。


「ふっくん~……」


 わずかにあいている地面との隙間。そこにはご丁寧に格子が刺さっており、フクロウは細くなっても入ることができず、ピーピーと鳴いていた。その間抜けなやりとりを聞きながらセナは気力が萎えるのを感じ、地面にうずくまった。


 彼はしばらくかけて感情を押さえ込み、ゆっくりと立ち上がる。相変わらず厳しい顔をしているが、むやみやたらな苛立ちは腹の底に収めた。


「おい、ロッカ。ちょっとそこ退いてろ。フクロウも」


「何するの?」


「天井をブッ壊すの」


「わ、分かった。ふっくんも離れて~」


 ロカルシュがフクロウを遠ざけ、後ろ手に空間を探りながら反対側の壁まで下がる。セナも同じ位置まで下がり、手を振り上げて石槍を真上に投げた。硬質の魔法は目標に当たって砕け散り、「嘘だろ?」。天井は表面が薄く欠けたくらいでほとんど無傷だった。


 セナは辺りを見回し、舌打ちをしたかと思えば「眼」を使った。眼球を裏返して彼が見たのは、煌々と輝く魔力の残滓である。個人特有の紋様さえ判別できないほどの光量は、この檻が膨大な魔力によって形成されたことを示していた。


 そこでセナはロカルシュを振り向いた。


「ロッカ。アンタの能力は生きてるか?」


「生きてる~。ちゃんとふっくんとつながってるし」


「魔力は遮断されてないわけだな。魔女の行方は?」


「逃げてった馬さんを戻してあげたから大丈夫。追えてるよー」


「馬を!? いや、アンタの能力も万能じゃあないからな、そこは仕方ねえか」


「セナがもっと冷静でドタバタしてなければ、私も慌てず鳥さんに追跡を頼むとかできたかもねぇ?」


「……、悪かったよ」


 任務を台無しにした自覚があるセナが口をすぼめて謝る。いたたまれない思いを蹴り飛ばすようにして壁をつま先でつつき、床を靴底で叩いた。この檻は全面を強固な魔法で形作られている。穴を掘って脱出することはできない。


 セナがため息をついてしゃがみ込む。


「ねえねえ、ここからどうやって出るのー?」


「待つしかない」


「え?」


「金髪女の魔力が弱まって、壁か天井が壊せるようになるまで待つの」


「待つって、どのくらい?」


「残留魔力が消滅して、魔法が完全に崩壊するまでの時間は短くて二週間、長くて三週間。けど、今回はそこまで待つ必要はない。要は俺の魔法で壊せるまで脆くなればいいんだからな」


「どゆことぉ?」


「あの女、馬鹿みたいな魔力でもってこの檻を作ったが、魔法の構造自体はそれほど強固なもんじゃねえ。使われた魔力のわりに、全力でもない俺の魔法で一部が欠けやがった」


「ふむ、ふむ」


「魔法の扱いは下手だが力業で成立させるだけの魔力がある。アイツと魔法で正面からやり合うのは避けた方がよさそうだな」


「それで、私たちいつ頃ここから出られそうなのー?」


「急かすなよ、今に思い出す」


 セナは拳の先で額をコツコツと叩き、魔法院で得た知識を引き出す。


「魔力の散逸は最初の数日で急速に進み、後半ほど緩やかになる。その速度は消費した魔力量ではなく魔法構造の精度による。構造が雑なほど初期散逸は速いから、俺の火力が壁の強度を上回るのは」


「のは?」


「……数日中には」


「つまり今はどうしようもないってことー」


「はいはい、その通りですよ」


 頭を掻いてセナは地面に尻を着いた。ロカルシュも隣にちょこんと腰を下ろし、


「ご飯の配分、考えなきゃだねぇ」


 腰袋から棒状の携帯食料を六本、取り出して並べる。セナも自分の手持ちをロカルシュに手渡し、膝の間に顔を埋めた。


「魔女め。次こそはブッ殺してやる」


「……」


 餓えた獣よろしく喉を鳴らす相棒から目をそらし、ロカルシュは体を縮める。今更になって、セナが暴れたときに殴られた頬がじわじわと痛みだした。


 喪失と絶望を乗り越えた怒りは怨讐へと形を変え、それは人を恐ろしく醜いものに変貌させる。今を生きる糧となっているその気持ちを忘れろと言うのは余りに酷だが、


「できれば、もう関わらないでほしいんだけどなぁ」


 格子の前に座ってロカルシュを見つめるフクロウが彼の代わりに憂慮の声を響かせた。


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