6‐10 誤解
最前を陣取っていた熊を退かせ、一人の少年が姿を現した。褐色の肌に栗色の髪。眉をこれでもかとつり上げて挑発的な表情を浮かべ、口元には獰猛な笑みがあった。
小柄な背中に狙撃銃を負い、右手に拳銃を握っている。それというのがいやに現代的なフォルムで、拳銃は銃創をグリップに差し込み、銃弾発射時の反動を利用して排莢と装填を行う自動式に見えた。洗練されたそのデザインはソラが方々の町で目にした生活様式に対して、時代を先取りしすぎて見える。
違和感に眉をひそめ、ソラは立ち上がる。彼女を背に隠し、エースが話を続けた。
「これほど完璧に気配を消すことができるなんて、さすがは王国騎士とでも言うべきかな」
「お褒めに与りどうも。そう言うお前もなかなかのモンだ。初手で気づかれるなんて思ってもみなかったぜ」
「あの時は殺気を隠しきれて……いや、隠していなかった。ダダ漏れだったからすぐに分かったよ」
「俺も訓練が足りねえな。魔女を前にすると殺したくてウズウズするんだ」
兄妹の背後を顎でしゃくった少年に、ソラの肩がビクリと跳ねる。彼女は自分の盾となる二人の間から目をのぞかせた。
濃緑の制服は規律ある組織への所属を表し、彼が手にする武器のほか、腰のベルトに装備された弾倉やナイフといった物騒な小物が軍人然とした印象を与える。これが「王国騎士」なるものの姿なのか。ソラとしては装飾的な純白の制服にマントを羽織り、長剣を腰に差しているものと想像していた。彼女の妄想は過度だったが、それにしても目の前にいる少年騎士の装いはシンプルかつ地味であった。
彼はソラを見て銃口を上げた。エースとジーノが身構える。少年の照準がソラに定められた時、緊迫した空気をぶちこわす軽薄な声が森の奥から駆けてきた。
「セーナー! んもー!! 私を置いて行かないでよ~!」
髪の先から肌まで真っ白い青年が肩で息をしながら少年の隣に並ぶ。彼もまた濃緑の制服を身につけており、王国騎士の一人であることが分かった。
それまでの真面目な雰囲気が一気に緩んで、少年は頭が痛そうに左手でこめかみを押さえた。
「アンタが鈍くさいんだろ」
「ひどーい。私は肉体派じゃないんだからね! だからって頭脳派でもないけどー。でもでも、一人で勝手に行っちゃうことないじゃーん」
両手をバタバタさせ、青年の仕草は口と同様にやかましい。少年は彼の手をがしっと掴み、大人しくなったところで投げ捨てるように手放した。
どうにも場が締まらない。
ジーノが咳払いをして。
「お二方、これは僕たちを巡礼者と知っての無礼ですか」
「下手な芝居はやめろ。お前らが魔女一行だってことはもう知れてるんだ」
「それはまた、突拍子もない言いがかりですね」
「俺の〈眼〉に間違いはない。お前らを守る盾、その魔力。氷都の魔法院で見た痕跡と寸分違わず同じだぜ。金髪女」
少年が表情を歪ませて足下に唾を吐く。彼はジーノの背後を見通し、
「しらばっくれるのも終わりだ、クソ魔女。テメェのその顔、手配書とそっくりの凶悪面じゃねえか」
あの絶妙に不細工な人相書きと同一視されるなど不名誉そのものだが、先入観が違えば目に映るものも異なる。実際、少年にはソラの顔が醜悪な怪物のように見えているのだろう。
人をたぶらかし、卑怯にも他者の陰に隠れ、世界に害をなそうともくろむ邪悪な存在。それこそが「魔女」であり、少年らが見るソラの姿なのだ。
たまったものではない。
ソラは大きなため息をついた。手で顔を覆い隠し、口惜しさで醜くひきつっていく表情を手のひらの中でもみ消す。
彼女は手を下ろし、顔を上げた。
「騎士様が委細ご存じならば、話は早いです」
ソラは意を決して兄妹を押しのけ、矢面に立った。
「へえ? 大人しく捕まってくれるって?」
「いいえ。お話ししたいことがあります」
「話したいこと、だァ?」
銃口を前に恐怖がないわけではない。言いがかりに腹が立たないわけでもない。本当なら今すぐにでもこの場から逃げ出し、あるいは冷静を捨てて思いの丈を叫び散らしたい。
けれど、自分でも言ったから。「まずは対話を」と。
「結論から言います。私は魔女じゃない」
「ハッ! 何を根拠に?」
「あ、貴方がたは誤解しているんです。私は、この世界に悪さをしようなんて気はこれっぽっちもない」
「口先でならどうとでも言える。そもそも、魔法院に魔女だと言われてる時点で確定なんだよ」
「それはあまりにも浅慮だ!」
エースが叫ぶ。
少年は彼の怒声に驚きもせず、白けた顔つきで口角を上げた。
「よく懐いてやがるじゃねえか。父親もいい面の皮だぜ、こんな親不孝者をかばって牢獄行きだなんて」
「何だって!?」
その事実は兄妹のみならず、ソラにも衝撃を与えた。しかしここで相手のペースに飲まれるわけにはいかない。
「話を……戻しましょう」
「連れの親がお前のせいで捕まったってのに、冷たいもんだな」
さげすむ少年の目をまっすぐに見つめ、ソラが先を続ける。
「貴方が魔法院の言葉を信じるのも仕方ないとは思います。見ず知らずの女の言より、社会的立場のある人間を信用するのは当然ですから」
「それが分かってんなら、これ以上の会話は無駄だと思わないか?」
「ところで、魔法院が私を魔女だと断じた状況を貴方がたはご存じですか」
少年は質問の意図を測りかねて不愉快を目に浮かべた。一呼吸置いた彼の後ろで、これまでずっと黙っていた青年が首を傾げる。
「そういえば、詳しくは知らないね~?」
フワフワと宙を漂うとりとめのない声が静寂に響いた。ソラは彼のお軽い調子にいい意味で緊張を削がれ、歯を噛みしめていた顎の力を抜いて当時を語った。
「氷都の魔法院では、証石と呼ばれる石に触れるよう言われました。あの石は魔力の属性を色によって示すそうですが、それは私の手の上で白と黒とに色を分けました」
「んん~? 白く光ったんならぁ……光の加護があるってこと?」
「そうです」
「そしたらお姉さんは聖人でもあるってことになるけどぉ。でも魔力の陰りも一緒にあるなんて、そんなことありえるのかなー?」
「実際にあったのだから、私はあったと答えるしかありません。魔法院の老人は証石がその二色に光るのを確かに認めた上で、私を一方的に魔女と断じました」
「うーん、うーん? あのジジイそんなこと一言も言わなかったよね。セナ?」
青年は隣に視線を落とす。少年は眉間を押さえてうつむいていた。
「光の加護と、魔力の陰り。両方があるってのか」
彼は自分の早とちりを恥じているらしかった。ソラは理解が得られたことに顔色を明るくしたが、「なるほどな」。顔を上げた少年の勝ち誇った表情を目にするや、彼女は肺をきゅっと掴まれたように息を止めた。
「お前、魔封じの腕輪はどうした? あれはつけた人間以外に外せないはずだろ」
「あ、れは……つけた人に外してもらって……」
ソラがエースを指す。
少年騎士は片方の目を痙攣させて東の方角を睨みつけた。
「氷都の祠祭め、アイツ嘘ついてやがったのか」
「魔女さんが怖くて、腕輪だけそこのお兄さんに渡してつけさせたんじゃなーい? 祠祭サマってば、ジジイのとこにいた時もずぅ~っとプルプル震えてたもん。あれは相当な恐がりだよー」
「今となっちゃあどうだっていい。しっかし、光の加護もお受けとはね。これは驚きだ。お前にはふたつの顔がある」
「ええ。ですから、その一方を無視して魔女と決めつけるのは早計だと」
轟音が耳をつんざいたのと、エースがソラの腕を引いて後退させたのとは同時だった。




