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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第二章「悪の牙」
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6‐8 許せぬもの

「ぷひーひっひっひっ!! せっかくの好機を台無しにしたのが魔法院だったなんて笑えるぅ。よぉーし! そうと決まればこの失態を隊長に報告だっ。祠祭サマ書くもの貸ぁして~」


「は? はい。今すぐに」


 アリーシアが近くの机から筆記具を持ってきて、ロカルシュに渡す。彼は懐から取り出した紙に、存外きれいな文字で文章を書いていった。状況が把握できないアリーシアは戸惑い気味にあちこちを振り返る。


「あの、あの。わたくし何か大変な失敗をしてしまったのでしょうか?」


「一行はなぜ、魔女に興味を持っていたのか分かりますか」


 机を縁を掴んで、セナがひやりとした声で問う。


「興味というか……人類の宿敵たる魔女について知っていることが少なすぎると、旅をしながら皆さん不安を感じていたそうなのです」


「それで魔女に傾倒して魔法院を追われたフラン博士に目をつけたわけか」


「目をつけただなんて、騎士様は人聞きの悪いことをおっしゃいますわね」


「……魔法院からの返事が来ればどうせ分かることですから言いますけどね、貴方は魔女をみすみす見逃したんですよ」


 少年は人相書きを指さして怒りを露わにした。


「あの、まるで祷り様が魔女だと言っているように聞こえるのですけれど。わたくしの聞き間違いですわよね?」


「俺はそう言っています。貴方がお世話したイノリサマは魔法院から指名手配されているこの世の悪――始まりの魔女の再来だ」


「……ありえませんわ。わたくし、たったの一日でしたけれどお世話をさせていただいて、一緒にお食事もして、久しぶりにとても心豊かに過ごせたのですから」


「演技ですよ」


「演技だなんて! あの方は賑やかな食事がお好きだと笑っておいででしたわ。彼女の笑顔は本心でした。ご兄弟も足の悪い祷り様を親身に気遣って……彼らの真心も本物でしたわ」


「貴方は騙されたんです」


「いいえ、確かにそうでした。わたくしがあの方々に悪しきものの片鱗を感じることはありませんでした。ですから騎士様のお言葉は否定せざるを得ません。言いましたわよね? わたくし、嘘は嫌いなんですの」


 アリーシアも意地になってまくし立てる。セナは手を振ってそれを遮り、


「アンタ、この村の出身ですよね」


「そうです」


「この村は好きか?」


「むろんです。こんなわたくしにもよくしてくれる皆様が大好きですわ」


「じゃあ聞きますけどね、ここが魔物に襲われて壊滅しても今と同じことが言えるんですか」


「言えます」


「な、ん――!?」


「魔女の再来は本当なのでしょう。けれど、あの方は魔女とは違う。私はそう確信しています」


 少年は絶句して椅子に逆戻りした。魔法院が魔女だと確認した事実よりも、己の直感を信じるだなんて理解できない。


 アリーシアは一転して冷静になり、セナを見据えて彼の深層に手を伸ばした。


「騎士様。貴方の身に何があったのかは存じませんが、おそらく過去につらい思いをされたのでしょう」


「アンタに何が分かる」


「はい。貴方の気持ちが分かるとは申しません。ですが、わたくしにも人並みの感情はあります。人を好きになる気持ちがあれば、憎む気持ちもあります。魔女ほど汚らわしい者はいない。今だってそう思っています」


「だったら……!」


「けれどわたくし、嘘は他人につく以前に、自分につくのも大嫌いなのです。自分を騙したらいつか他人も騙すようになる。それが嫌だから、わたくしはまず自分に嘘はつかないと決めているのです」


 アリーシアは決して自分を曲げない。普通とはほど遠いおしゃべりな性質を持って生まれ、いつだったか「まとも」になろうと自分をごまかした時期もあった。彼女はそれがつらかった。己を偽って作り上げた仮初めの自分を他人に信じ込ませて、誰も本当のアリーシアを見てくれない。


 あんな虚しさは二度と経験したくない。


 彼女の瞳はまっすぐにセナを見つめていた。


「魔法院にいらっしゃるのは優秀な学者様ですが、あの方々とて人間です。魔女に関する重大事案を田舎のちっぽけな教会にとはいえ知らせ忘れる失敗もあったわけですし、何事も完璧に正しくこなせるわけではないでしょう。それを踏まえた上で、わたくしは騎士様にひとつの可能性を提示いたします」


 それが相手にとってどんなに不都合なことでも、その結果として自分がどれほど手痛く言い負かされようとも、彼女は反論せずにはいられなかった。


「そもそも、間違いなのではありませんか? その手配書にある方が魔女というのは」


「間違い? ならどうして逃げるんです。違うというのなら弁明すればいい。釈明すればいい。それを怠って他人に危害を加え、逃げ出して。そんなの……」


「なるほど。わたくし、祷り様たちが魔女について知りたいと言った本当の理由が分かりましたわ。自分が魔女でないと証明するには、それに関する知識が不足していると考えたのでしょうね」


 筋の通った話に、セナは奥歯を噛む。


「祠祭様はずいぶんとあの女の肩を持ちますけど、あの屋敷の殺しだって魔女の仕業って可能性もあるんですよ」


「セナ、それは――」


「アンタは黙ってろ」


 じろりと睨まれたロカルシュが口をつぐむ。フクロウが細くなって、ロカルシュにひっついた。


「お屋敷での事件があの方の仕業だなんて、あんまりですわ」


「ないって断言できるんですか? アンタが奴らに会ったのは殺しのあとだろ。魔女がどんな魔法を使うかなんて分からないんだ。アンタの記憶も改竄されてるんじゃないか?」


「そんな!」


 アリーシアは思わず立ち上がり、しかし言い返すことができず椅子に逆戻りして手で顔を覆った。


「そんなことを言い出したら、わたくしは信じられるものがなくなってしまいますわ」


 声は湿っていた。


 セナは鼻面にしわを寄せて不快とは違う、追いつめられたような表情を見せ、アリーシアから目をそらした。過去、血のにじんだ砂を握った感覚が手のひらによみがえって、大切なものを失った悲嘆の声が少年の耳の中に響きわたる。


 勢いを失ってしまったアリーシアを前に、セナは惨めな気持ちで筐体の革紐を掴み、部屋の出口へ足を向けた。


「風呂、貸してもらってありがとうございました。俺たちは任務があるので、これで失礼します」


 彼はとぼとぼと教会を出ていった。ロカルシュがそのあとを追い、部屋の扉を閉める前にアリーシアを振り返る。


「ごめんね、祠祭サマ。セナは……悪い子じゃないんだよー。本当の本当に」


「……どうぞお気をつけて。道中の安全をお祈りいたします」


「うん。じゃあね……」


 ロカルシュはうつむくアリーシアを部屋に残し、静かに扉を閉じた。


 外に出ると、セナは十字路まで道を引き返していた。


「セナ、待ってー」


「んだよ」


 角を右に曲がり、憲兵の野営地がある広場へ向かう。馬を返してもらって、彼らはこれからも旅を続けなければならない。


「私はセナのこと、信じてるよ。セナのことしか信じないよ」


「……」


「セナは私のこと、信じてくれる?」


「信じてなかったら相棒なんてやってねえよ」


 その声は叫んだあとのようにかすれていた。


「それで、魔女たちはどうなってる。すぐに追いつけそうか?」


「……うん。ちょっと迷ってたみたいなのと、私の方でお馬さんの足を遅らせてたから、まだこの森は出てない。夜も歩くなら休み休みでも朝には追いつけると思うー」


 二人は預けていた馬を引き取り、礼もそこそこに広場を離れた。


 その夜、彼らは交代で仮眠を取りつつ道を進むことにした。巨樹の根を枕代わりにロカルシュがすやすやと眠る一方で、セナは狙撃銃の照準器をのぞいて、拡大された景色の中に黒髪の女を妄想した。


 彼女がこちらを向いた瞬間、仰け反る。倒れる頭を追いかけ、赤い血が円弧を描いて宙を飛んだ。


「絶対に殺してやる……」


 それだけを目的に生きてきたのだから。


 少年は銃口を下げ、歯列を鳴らして笑った。

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