表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第一章「魔女になる覚悟」
6/168

1-6 異世界の風景

 残されたソラとスランはしばらく無言だった。そのうちスランがハンカチを取り出し、ソラの頬に当てて手渡した。彼は何も言わないまま、しかし仕草だけでソラにあとへ続くよう頼み、観音開きの扉から外に出た。


 屋外は言うまでもなく、


「うぅ……やっぱ寒い……」


 ソラは寒風に震え上がり、毛布の裾をかき合わせる。スランは指輪を光らせながらソラに手をかざし、温かな空気で彼女の周囲を包み込んだ。


 ――このまま温度が上がったら私、丸焼きにされてしまうのでは?


 ソラの頭にそんな懸念がよぎるも、スランを信用すると決めたのだし、軽口を挟む空気でもないので発言を避けた。体がポカポカとしてきて、毛布を掴む手がゆるむ。縮まっていた首を伸ばし、ソラは眼前に広がる景色を見た。


 辺りはどこを向いても白く、唯一の色彩と言えば薄い雲に覆われる空の青だった。


 グレニス連合王国、北方ペンカーデルのソルテとは、雪深い山間に位置する北限の村だった。集落は山々をつなぐ稜線のうち、低く平坦な場所に形作られている。ソラが運び込まれた教会は西側の斜面を切り崩した上に建っており、礼拝堂前の広場から村全体を見渡すことができた。


 村人の居住域は教会の斜面裾に沿って広がり、東に弧を向ける下膨れの三日月形をしている。所々に蒸気が立ち昇る光景が印象的だ。居住の地域から水路を挟んで東には耕作地があり、冬の今は雪に埋もれるがままになっている。


 村には警鐘が鳴り響いていた。ソラがエースと対峙した際に聞いたのはこの音だった。眼下の人々は各々武器を持って雪原の東端へ向かう。それから程なく、雪原の端に大小の黒い雷が走った。毒々しい稲妻は広範囲におよび、よもや人々の住まいまで届くかに思われた。しかし水路に沿って分厚い氷壁が築かれたことにより、住居が被害を受けることはなかった。


 雷が止み、白い大地に黒い点がうごめいている。これが少女の言っていた「魔物」だった。位置が割れたそれらは凍りづけにされ、溶ける間もなく炎で焼き尽くされた。灰色の煙が風に流れ、水路の壁も昇華して消え、事態は終息した。


 ソラは雪原から目を離さず、スランに尋ねる。


「あの炎なんかも魔法なんですか? それと、魔物っていうのは……」


「魔物とは、魔女に呪われた生命の成れ果て。もとは動物などの死骸ですが、肉体を焼き骨を砕かなければ滅することのできない、禍々しき仇敵です」


「人間を襲うんですか」


「ええ、人のみを。我々は魔物除けの結界の中でしか、安心して暮らせないのです」


 スランが村と耕作地をぐるりと囲う黒い線を指す。一定の間隔で格子状に張り巡らされたそれこそが魔物除けの結界であった。ソラが左右を見渡すと、もちろん教会の周辺にも線が渡されていた。


「魔物の活発化だけではない。世界は異常な現象に見舞われています。明けない冬、晴れない雨、続く日照り、揺れる大地。それらが重なり、今は災厄の時代だと言われています。この世は繰り返し、魔女の呪詛で覆われる運命にあるのです……」


 ソラは次第に明らかとなってきた異世界の現状に目を伏せる。


「陰の魔力は悪しき魔女の象徴、ですか。では、聖人というのは?」


「呪いを打ち消し、世界をお救いくださるお方です」


 お決まりのやつである。ならば聖人の資質を持ち合わせるソラは世界を救うため旅に出るのか。あるいは魔女と断じられて処刑されるのか。どちらにせよソラが望むことではない。自分さえ思い通りに救えないというのに、世界規模の話に首を突っ込むのは億劫だ。


 背中を丸めて小さくなっていくソラを前に、スランは悲しそうに目を細めた。


「ジーノは間に合ったようですし、あとはエースたちが結界の糸を結び直してくれるでしょう。ソラ様も傷の手当てが必要ですね。部屋に道具がありますので、どうぞこちらへ」


「ありがとうございます」


 スランが家へと戻っていく。


 ソラは村に背を向け、脳天気な自分ともここで別れた。彼女は過去の経験から自分の運命を分かっていたようで、まだどこかに期待を抱いていたのだ。もしかしたらこれは不運なソラに神様が与えてくれたハッピーセカンドライフなのではないか、と。


 そんなこと、あるわけがないのに。


 ソラが直面していたのは、わざわざ神様が特別扱いしてやるほどの不運ではない。■■など、世間のどこにでも転がっている病気だ。周りを見れば何てことはない、誰の身にも起こり得ること。自分よりも重い病に苦しんでいる人もいるのに、人生の終わりなんて顔は大げさすぎる。


 だけど、それでも……。


 ソラは鼻頭にしわを寄せ、胸を押さえる。


 ――私はつらかった。


 ギリッと歯を噛みしめて、それを言うことはしない。言っても仕方がないと知っているから。今回の異世界召喚コレにしても、いつも通り運の悪い巡り合わせなのだ。実に信じがたく、疑わしい、非常に腹の立つことだが。


 ソラは最後に一度だけ背後を振り返った。


 そこにあるのはやはり知らない風景だった。


「戻る道があるといいんだけど……」


 スランも立ち止まり、心苦しそうに彼女を見た。


「ソラ様、先ほどは私の息子が申し訳ありませんでした。しかしあの子にも事情があるのです」


「そうでなければ、人に剣を向けたりはしないと?」


「あの子たちの親は魔物に襲われ、子供を逃がす間に土砂に飲まれました。それを目の前で見ていて、今も覚えているんです。エースは」


「……」


「それだけじゃない。あの子は……」


 スランは先を飲み込み、首を振った。年長の彼に恐縮され、居心地が悪くなったソラは弱々しく微笑んでささやく。


「エースさんも、私も。出会ったばかりでお互いのことを全く知らないんですよね。そりゃあ彼も混乱するはずです。親を――」


 ソラは頭痛がしてこめかみを押さえた。


「魔物が魔女に呪われた命の果てというのなら、彼の家族を奪ったのも魔女です。そんな忌まわしい存在と同じ力を持つ相手が目の前に現れたんだから」


 うわべだけをなぞった物分かりのいい言葉だが、相手を気遣うそれがスラスラと出てくるのは思考が落ち着いてきた証拠だ。ソラは眉間を揉んでそっと息をついた。


「何にせよ、あれは仕方がなかった」


「ソラ様。貴方は悪くありません。どうかご自分を責めることはしないでください」


「……ええ」


 エースが帰ってきたら、誤解を解き互いを理解するために話さなければならない。ここは知らない世界で、かつてのように逃げ出して引きこもれる場所もないのだから。


 しかし、今さら他人と向き合えるだろうか? 彼女の胸には不安ばかりがあった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ