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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第二章「悪の牙」
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6‐6 止まらぬ悪行

 セナも小屋を離れ、隣のロカルシュに問う。


「ロッカ。聖域はどうだ?」


「えっと、えっと。ちょっと待ってねぇ。ふっくんに聞いてみる~」


「急かさないから正確に確認しろ」


 ロカルシュがこめかみを人差し指で押さえ、ぐるぐると首を回す。


「ふんふん……ほほぉー、なるほど! ちょっとした発見があったよ~。何かねぇ、自然結界の中に血が落ちたような跡があるらしいー」


「血だって?」


「おい待て」


 いつの間にか戻ってきたロウが、煙草を高圧的に上向けていた。


「何で兄ちゃんに聖域の中のことが分かるんだ」


「教えてもいいけどぉ、オジサンは頭が固い人ー?」


「今になってそれを聞くのか? お前さんのちゃらんぽらんな口を縫いつけたりしない程度には柔軟なつもりなんだがな」


「そっか! それもそうだねー」


 と言いつつも、ロカルシュは周囲を気にして声を小さくした。


「私ね、獣使い~」


「そういうことか。俺はカシュニーの出じゃないから安心しろ」


「よかったぁ。ふっくんにお屋敷の周りを調べてもらってたら、聖域を見つけてね。中を見てきてーってお願いしたの」


「ふっくん?」


「普段、私の目になってくれるフクロウさん~」


 ロカルシュがおいでおいでをすると、どこからともなく小さなフクロウがやってきて木の影からこちらを覗いた。


「お前さん、アイツを通して血痕を見たのか?」


「結界に入ると動物さんとのつながりは切れちゃうから、中の様子を見たりはできないけどぉ、こんなのあったよーって教えてもらうことはできる~」


「じゃあ、フクロウから血痕を見つけたって報告を受けたんだな。どんな形状だった?」


「形状~? 待って、ふっくんにもう一回聞いてみる」


 ロカルシュは何度も頷きながら、セナが寄越した手控えにフクロウが見たものを描いていく。ロウがそれを眺め、顎を撫でた。


「穴の中に斜め方向からの飛沫、虚から出たところに直上からの滴下か……。こりゃあ、中に誰かがいたかもしれねえ証拠だぜ」


「誰か? 怪我した動物さんが休んでただけじゃなーい?」


 ロカルシュの意見はもっともだった。自然結界の仲に人間は入れず、しかし動物は入ることができるのだから、可能性として高いのは彼の仮定だった。


 ロウは自分の短絡的発想に苦い顔をして、


「お前ら、魔女が再来したって噂を知ってるか?」


「……こちらへ来るまでの間に何度か聞きました。それが何か?」


「火のないところに煙は立たないって言うだろ。この屋敷のありさまを見て思ったんだ。これは人間のすることじゃねえってな。そこにきて聖域内で血痕が見つかるなんて、自分の予感が裏付けられちまった気がしてよ」


「聖域から魔女が現れ、屋敷を襲ったとでも? あそこは聖人がお出でになる場所でしょう」


「魔女だって異界からやってくるんだ。聖域と言っちゃあいるが、どこがどの異界につながってるか知れたもんじゃねえ。もしかしたら魔法院が把握してないだけで、魔女の居場所につながってる可能性だってあるかもだぜ」


 セナはその仮説を否定したかったが、ロウの至極まじめな顔を見て反論を飲み込んだ。一方で、ロカルシュは彼の言葉にいたく感心していた。もしも瞼を開いたなら、その瞳はキラキラと輝いていたことだろう。


「聖域の中は分かんないことだらけだもんね~」


「兄ちゃんみたく、陪審契約した動物を使えば少しは解明できそうだが……魔法院は獣使いが嫌いだからな」


「手を借りようなんて考えてもなーい。私もアイツらには手を貸さなーい」


「理屈だの理論だのこねるのが好きなわりに、合理性ってもんが欠けてんだよなあ。あそこの連中は」


 ロウは火が吸い口に近くなった煙草を弾き飛ばし、地面へ落ちる前に魔法で灰にした。


 彼はそれから聖域まで案内してくれた。小高くなっている崖に朽ち果てた巨木の幹が埋まっており、腐り落ちて空洞になった内部に洞窟が続いているように見える。周りは自然結界に覆われ、やはりセナたち人間は進入することができなかった。


 何の変哲もない、ごくありふれた聖域のひとつだ。


 これといって調べられることもなく、三人はとぼとぼと屋敷へ引き返す。途中でセナがロカルシュに尋ねる。


「ロッカ、例の一行はずっと見張ってたんだよな?」


「もっちろーん」


「その誰かがこの件に関わってたりは?」


「さすがにそんなことあったらすぐセナに言うー」


「……そうだよな」


 少年は少し残念そうだった。ロカルシュはその顔を見ないふりで、先を行くロウを追いかけた。


 一同は正面玄関まで戻ってきた。


 フラン邸で起こった惨劇はこれが全てであった。


 セナとロカルシュが天幕で着替えて出たところ、ロウの部下が駆け込んできた。


「たっ、隊長! 大変です!!」


「どうした」


「この森の、森の外れにある集落で同じような殺しがあったと報告がありました!」


「……同一と見る根拠は」


「犯行後、そこで休んだらしい痕跡があるとかで」


「被害はどの程度だ」


「村の全員です。すでに腐敗が始まっていたことから、一日……いえ、フラン博士らが亡くなった頃を起点に考えると、二日は前の犯行かと思われます」


「……まさに〈宿借り〉ってか。ふざけんなよ」


 ロウは握った拳で自分の額をたたき、憤怒の表情でセナたちを振り返った。 


「お前たちはこれからどうする?」


「元の任務に戻ります」


「いろいろ教えてくれてありがとーね」


 眉ひとつ動かさない少年と青年に、ロウはわずかに軽蔑を含んだ視線を送った。


「よその町へ行く前にどっかで風呂を借りた方がいいぞ」


「風呂ですか?」


「においだよ。短時間でも髪やら皮膚やらに染み着きやがるんだ。門を出てすぐの十字路を右へ曲がった先に教会がある。祠祭は変人だが悪い奴じゃないし、何よりここの事情を知ってる。頼めば快く貸してくれるだろうよ」


「分かりました。ありがとうございます」


 筐体を背負うセナは上半身を重そうに腰を折り、ロカルシュは手を振った。屋敷を去る二人にフクロウが合流し、彼らの姿は小さくなって十字路を右に曲がった。


「あんな子供なのに、しっかりしたもんですね」


「そうかぁ? 俺ァやっぱり、特務ってのはいけ好かねえよ」


 ロウは屋敷を振り返り、口内の苦い味を唾にためて吐き捨てた。

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