6‐4 惨劇の館
おしゃべりな祠祭が管理する教会から三人の客人が発った日の昼。ごく弱い雨が降る中、緑の制服に雨具を羽織った騎士が二人、異界学博士の屋敷に到着した。
敷地は高い壁にぐるりと囲まれており、外と行き来ができるのは正面の門扉からのみである。馬から下りたセナたちは見張りの憲兵に身分を明かす。
「特務騎兵隊所属のセナと申します。特務隊長フィナンよりフラン邸の状況を確認するよう通達を受け、やってきました」
「同じく、ロカルシュだよー」
憲兵はセナの年齢とロカルシュの態度に疑わしげだったが、フィナンからの文を見せると門を開けてくれた。
「馬ですが、もしだったらこっちで預かりますよ。特務さん」
「いえ、それは……」
「においがひどくて進みたがらないと思うんでね。かわいそうでしょう。屋敷を出てまっすぐ行った先にうちらの野営地があるんで、用が済んだら迎えに来てやってください」
セナはロカルシュを見上げ、彼が頷いたのを受けて門番の申し出に従うことにした。馬を憲兵に預け、セナは狙撃銃の入った筐体を背負い、ロカルシュは手ぶらで門をくぐって敷地の中に入る。
「ふっくんは適当な枝で待っててねー」
「ホゥ!」
ロカルシュの後ろに隠れていたフクロウが羽音を立てて離れていく。目を失った彼は辺りを見回し、小さな蜘蛛を肩に乗せた。
「それで見えるのか?」
「ないよりはマシって程度かなぁ。補助的にセナの目も借りたい~」
「こっちが補助かよ。あんま勝手に目玉いじるなよ」
「はーい。視野だけもらうようにするね~」
屋敷に近づいてくると、人の鼻にも異臭が分かるようになった。肉と血が腐った死のにおいだ。肺に取り込まれた臭気が下部の胃を叩いて、吐き気を催す。セナは腰袋から布巾を取り出して口と鼻を塞ぎ、呼吸を鼻から口に切り替えた。ロカルシュもそれを真似する。
開け放たれた正面玄関に座り込む男を見つけ、セナが声をかけた。
「お疲れさまです。特務騎兵隊のセナと申します」
「同じく、ロカルシュ~」
「特務? ……そういやフィナンから文が来てたな。お前さんらが奴のお使いか?」
「そんなところです」
「この屋敷であったのは殺しだ」
男は屋根の下で煙草を吹かし、セナを鬱陶しそうに見やった。
「遺体は動かしたが、それでもまだあちこちひどい状態でな。騎士とはいえ、子供が見るもんじゃねえぞ」
「お気遣いどうも。ですが心配ご無用です。その手のものは……嫌になるほど見たんで。他人の惨事に今さら何も感じません」
「セナー。そういう言い方よくないよぅ」
「……失礼しました」
「まぁいいさ。お前さんたちが大丈夫だってんなら、気の済むまで見ていけ」
彼は立ち上がって尻を払い、まず屋敷の外に設置された天幕へセナたちを誘導した。
「俺は西方第五憲兵隊を預かるロウってんだ。ここの現場指揮を任されている」
「隊長自ら案内していただけるんですか?」
「あちこち勝手に触られたら迷惑だからな。特にそこの糸目の兄ちゃんなんて一筋縄じゃいかなそうだし、目ェ光らせるのは当たり前だろ」
ロウが入り口の幕を上げて中へ入るよう促す。
「制服を着替えてくれ。汚れや臭いがついてもいいならそのままで構わんが、ここを見終わったら別のところに行くんだろ?」
「お気遣いありがとうございます」
「あとそこの、ロカルシュとか言ったか。肩に蜘蛛が乗ってるぞ」
「あっ、いいのいいの~。私ってば蜘蛛さん好きだし、可愛いからこのままにしといてー」
「……変な奴だな」
天幕には一人、番がいた。セナは彼に筐体を預け、黒い作業服に着替える。首から下がる魔鉱石を服の下に隠し、拳銃の革鞘を腰に巻き直した。
二人はロウに続いてさっそく屋敷へ足を向けた。
てっきり、玄関広間から血まみれの状況を想像していたが、靴や雨具などを収める部屋が少し荒らされていたことを除けば、屋内は実にきれいな状態だった。待合室や応接室、二階へ上がる階段も清潔で、人が殺されたとはとても思えない。
ともすると、今も階段から家の主が下りてきそうな気配さえあった。
だからこそ、裏庭に面する廊下に残された残虐の跡が際立った。
「ここで何人が亡くなったんです」
「庭の小屋で男が一人。裏口に焼け死んだ男と、胴体を切断された女が一人ずつ。廊下の途中に胸部と頭部に刺し傷のある男が一人。それから食堂に拷問されたらしい女が一人の、計五名だ。屋敷で雇っていた使用人の数と一致する」
「皆殺しってわけですか」
裏口から順に廊下を辿っていく。
殺され方は惨たらしく、セナは焼け焦げた床とおびただしい量の血痕を「眼」で見て、全てが魔法による犯行であることを確認した。この残留濃度から推測するに、殺人は三日ほど前の出来事らしい。
眼を使わない視界で異様に映った光景もある。廊下だが、血染めの足跡があちこちを歩き回り、壁にも手形が残っていたのだ。セナはその痕跡を見つめ、眉をひそめた。
まるで子供の手足のように小さい。
加えて、先のとがった男物の靴跡もある。
これは下手人を示す証拠なのか? セナが尋ねる前に、ロウがもう一人の被害者について言及した。
「フラン博士は書斎で、椅子に手足を拘束された状態で見つかった。ずいぶんと強い力で縛り上げられて、長時間そのまま放っておかれたみたいだ。手足は黒く変色していた。あれじゃあ仮に助かったとしても、四肢は使い物にならなかったろうな」
「博士は魔法院を追われはしましたが、優秀な魔法使いであったはずです。逃げられなかった理由は何です?」
「手に魔封じの腕輪がつけられていた。博士は頭部に鈍器で殴られたような跡があってな、これから向かう食堂に拳大の石ころが落ちてたんだが、それが外から飛んできて頭に当たったようだ」
「まず頭に一撃を受けて気を失い、その間に縛り上げられ腕輪を装着。それで放っておかれたということですね」
「俺もそう考えている」
「頭部の損傷が死因ですか?」
「今のところ何とも言えねえな。顔をずいぶんと痛めつけられていたが、致命傷と言えるほどではなかった。手足の血流が止まったのがどうのこうのと遺体相手の魔法施術士は言ってたが……死因は現段階で不明だ」
「そうですか」
刺し殺された一人が床を這った跡を横目に、三人は突き当たりの食堂へやってくる。
この部屋には争った跡があった。壁紙は破れてめくれ上がり、黒く焼け焦げている部分もあって、ここで死んでいたという女中は侵入者相手にずいぶんと抵抗したらしい。天井まで飛び散った血痕は、拷問の凄惨さを物語っていた。
食卓近くの床に転がる血濡れの石と、内側に散乱する窓の玻璃を見比べながら、ロカルシュが問う。
「悪者は窓から入ってきたのー?」
「いいや。ここは敷地の壁に沿って魔物除けの結界が設置されてるほかに、屋敷そのものにも封印魔法を応用した結界が張られていた。人が出入りできるのは扉の開閉で結界を切る正面玄関と厨房の勝手口、庭への裏口の三カ所しかない」
「ンン~? 何でわざわざお屋敷にも張ったんだろ? 窓から出ることもあるかもしれないのにー」
「ねえだろそんなこと。まぁ、フラン博士は落ちこぼれても高名な学者だったんだ。研究成果を守るため、万が一にも侵入者がないよう念には念を入れたんだろうよ」
セナは壁に掛けられた二本の剣を見ていた。一番下の掛け金が空で、もとは三本そろっていたものを一本紛失したらしい。少年は窓の外に目をやり、裏口がある方に顔を向けた。
「建物に結界が張られているなら、窓からは侵入できない。だからまず石を投げて、音を聞きつけた使用人が扉から出てきたのを見計らい、そこから侵入したんですね」
「それが結果だろうな」
「結果?」
「フラン博士は手足を縛られてしばらく生かされていた上、執拗になぶられてたんだぜ? 下手人の狙いは博士だったんだろうさ。それなら、最初の投石も奴さんを標的にしたものと考えられる」
「窓を割るのが目的で、博士に当たったのは偶然……というのは出来すぎかもしれませんね。そもそも、敷地への進入経路は?」
「分からん」
自分を責めるようにため息をついたロウの横で、ロカルシュが難しい顔をしてこめかみを押さえていた。獣使いの能力で何かを操作しているのだ。ロウが訝しげに見ていると、彼はバッと窓の外を向いて言った。
「お庭の向こうって何かあるー?」
「……兄ちゃん、間抜けに見えて勘がいいな」
「でしょー。それで、何かあるの~?」
「聖域だ」
「個人の敷地に聖域があるんですか」
「ああ。木の虚の奥が洞窟になってるんだが、周りに自然結界が生じていたから間違いない」
「……ロッカ。調査」
「はぁ~い」
二人の会話にロウは眉を左右で上下させた。彼に何か聞かれる前に、セナはパンと手を叩いて話題を転換する。
「そうしたら、博士が亡くなっていた書斎を見せてもらいたいのですが」
「……その図々しさ、フィナンの野郎にそっくりだぜ」
「尊敬する隊長ですので」
「俺はあまりオススメしないね」
ロウは眉根を寄せて辟易した。




