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6‐3 文不知

 ソラは夕暮れまで祈りを捧げた。その後は顔の傷を理由に夕食を別室でいただき、湯浴みを終えて就寝を待つばかりとなった。


 宿坊に閉じこもったソラはベールを脱ぎ、二段ベッドの下段に腰を下ろしてエースとジーノに向かい合った。部屋のドアを気にしながら、声を潜めて今後の行き先を問う。


「とりあえず、次に目指すのは碩学の都カシュニーってとこでいいのかな」


「そうなります」


「お兄様、さすがに魔法院の総本山でもある場所にソラ様を連れて乗り込むというのは、危険なのではありませんか?」


「それは俺も思うよ。だからソラ様にはジーノと一緒に都の外で待機してもらおうかと思ってるんだ」


 エースの提案をジーノは快く了承する。他方、ソラはエースばかりを危険にさらすようで気が引けていた。


「その碩都ってどんなところなの? 頭に碩学ってつくだけあって、学問が盛んなのは想像つくけど」


「知識を追い求める者を分け隔てなく受け入れる学術都市。それが都の掲げる対外的な主義です」


「ってことは、別の側面があるんだ」


「一方で都から出て行く者には厳しく、研究の成果を独占する傾向があります。そういった気質ゆえか、都の周囲には堅固な壁が巡らされています」


「加えて、周辺はここみたいに深い森。とか?」


「ここほど密集はしていないでしょうが、視界を遮るものが多いので隠れるにはうってつけです」


「エースくんは大丈夫なの?」


「俺ですか?」


 ソラはこの世界に来た当初、エースが魔法院に対して嫌悪の念を示したことを覚えていた。


「魔法院のこと嫌いでしょ、キミ。氷都では……私たちが一緒にいたけど、今回は一人きりで行かなきゃなんだよ」


「大丈夫じゃなくても、俺が行くしかありません。だからジーノ、ソラ様を頼んだよ。考えたくはないけど、万一の時はすぐにその場を離れて予定通りプラディナムを目指すんだ。いいね」


「分かりました。お兄様が無事に戻られることを祈っています……」


 兄妹はまず第一にソラの身を案じる。その健気な仕草を見ながら、ソラはいざとなれば、自分の身柄を取引材料にしなければならないと考えていた。エースたちの望みはソラの汚名返上であるが、ソラの最重要は違う。彼女が優先すべきは兄妹の安全と故郷への帰還であって、自分は二の次なのだ。


 けれど、もしもエースが魔法院に捕まったら。実際に自分がその選択をできるか、自信がない。


 臆病風に吹かれて彼を見捨て、逃げる道を選んでしまったら。考えるだけでも恐ろしい結末だが、覚悟を決められない。それが情けなくて、ソラは髪をかき回してウーンと唸った。


 一人思い悩むソラにジーノが目を丸くしている一方で、突然エースが巡礼服のベールを掴んだ。


 一拍置いて、ノックもなしにドアのノブが回り、「失礼いたします~」。アリーシアは無遠慮に部屋の扉を開けた。


「あら? あらあら。まぁ!」


 エースが差し出したベールはソラの顔を隠した。しかし、アリーシアの反応からして、露出を完全に防ぎきるには至らなかった。


「そんな、隠さなくても構いませんのよ? 顔のお傷もずいぶんと薄くて――ああ! すみません! それは祷り様ご本人のお気持ち次第ですのに、わたくしときたら、何て失礼なことを」


「き、気にしないでください」


「祷り様は大陸の方ではないのですね。いいえ、大陸の方ではあるのでしょうが、ご親族にどなたか東ノ国の方がいらっしゃったのですね。とても珍しいことですわ! 特にカシュニーでは、なかなかそういった方とお会いしませんもので」


 祠祭は祷り様の全貌を見たのだった。だというのに、のほほんとそんなことを言うアリーシアに三人は訝しげな視線を送った。


 ソラがエースの手からベールを受け取り、頭に被る。


「あの、祠祭様」


「はい。何でしょうか?」


「魔法院からの文をご存じのはずですよね」


「文ですか? 最近になって届いたものは、特にございませんわ」


「ないんですか!?」


「ですが、ここはご存じの通り辺鄙な田舎村ですから、時々ですが院の方はわたくしたちの存在をお忘れになることがあるのです。ひどいと近隣の方も忘れてしまって、祠祭同士の大切な寄り合いにも呼ばれないことがありますの。困ったものですわよね、まったく」


 忘れられてしまうのは、彼女の「おしゃべり」が原因では。とは言わないでおこう。


「けれど、魔法院から直々のお達しとなると心配ですわね。どんな内容かご存じでしたら教えていただけると助かりますわ。わたくし、これでもこの村の祠祭なので、もしも村の人たちにお知らせしなければならないようなことなら、わたくしも当然知っておかなければなりませんでしょう?」


「……俺たちも詳しいことは分からないんです。祠祭様の方で院に問い合わせいただければと思います」


「まあ! 確かにそれが一番確実ですわ。文が出されたことは知っているのに、自分のところには来てないから知らないでは話が通りませんものね。お兄さんの言うとおり、わたくし一度お手紙を書いてみますわ。都の院に宛てるとなると、どのくらいかかりますかしら? すぐにお返事をいただけるといいのですけれど……」


 昼間、アリーシアが魔女の噂を他人事のように話し、いまひとつピンときていなかったのは院からの通達を受け取っていなかったからだった。彼女はのんきに人差し指の先でくるくると円を描き、部屋を出ていった。


 かと思えばすぐに戻ってきて、


「そうでした! わたくしときたら、こちらへ来た目的を忘れていましたわ。今から物忘れだなんて、嫌ですわね」


「……本来のご用事とは?」


「明日はいつ頃お発ちになる予定でしょうか? もしでしたらわたくし、お弁当をお作りいたしますわ」


「いえ、そこまでしていただかなくても」


「そうおっしゃらずに! 久しぶりのお客様ですし、巡礼者様御一行なのです。どうか腕を振るわせてくださいな。そうと決まれば準備をしておかないといけませんね! お夕食と同じくお兄さんに合わせてお野菜中心でお作りしますが、よろしいでしょうか?」


「アー、はい。それでお願いします」


「夜分に突然失礼いたしました。それでは、どうぞゆっくりとお休み下さいませ!」


 今度こそ部屋をあとにするアリーシア。エースは肩すかしを食らったように上半身を崩し、慌てて彼女を追いかける。 


「あの! 祠祭様! 明日の出発時刻ですが――」


 朝食をいただいたあとで発ちます、という声が廊下の奥に消えていく。


 残された二人はしばし声も出せなかった。ソラはベールの裾を掴んで頭を低く下げた。アリーシアが魔法院の触れを知らなかったのは不運の中に降ってわいた幸運だったが、いくら何でも心臓に悪い。


「あ、焦った……! あの祠祭さん、そそっかしいにもほどがあるよ」


「なかなか癖のある方……ですよね」


 さしものジーノも苦々しい顔である。


 それからエースが戻ってきて、三人はどこかそわそわとしながら就寝した。


 翌朝、日は昇っているものの薄暗い部屋の中でソラは目覚めた。


「ん、むむ……よく寝たような、そうでもないような……」


「おはようございます」


「おはよう、ジーノくん」


 毎度のことだが、起きるのはソラが一番遅い。何だかんだ神経が図太いのかなと思いながら、ソラはベッドから下りて部屋の洗面台に向かう。


「もうすぐ朝食だそうです。昨日と同じように、こちらに運んでいただきますか?」


「顔も見られちゃってるし。最後くらいは一緒にお食事したいかな」


 宿坊を借りて食事など世話になっておきながら顔を合わせられないのは、これまでずっと引け目に感じてきたことだ。


「ご飯、みんなでワイワイ食べた方が美味しいもんね」


 ソラは軽く顔を洗って髪を整え、ジーノと一緒に厨へ顔を出した。


「あら、祷り様。おはようございます。お食事でしたらお部屋までお運びいたしますよ」


「もしも祠祭様が構わなければ、朝食をご一緒させていただきたく思いまして」


「構うなんてとんでもない! でしたら居間に席をご用意しないとですわね! フフフ……ああ、申し訳ありません。変に思わないでくださいまし。普段はわたくし一人で食べるものですから、誰かと一緒というのは考えるだけで何だか楽しい気分になってしまって。ええ、わたくしとっても嬉しいです」


 歯を見せて表情をほころばせたアリーシアに、ソラもつられて笑顔になった。


 朝食は和気藹々と進み、片づけを手伝って出発の頃合いとなった。


 アリーシアは雨にもかかわらず表まで見送りに出て、腰を折った。


「それでは、どうぞお気をつけて。道中の安全をお祈りしております」


「どうもお世話になりました」


 ソラたちも深々と頭を下げる。馬に乗り、木々の間にその姿が見えなくなるまで、アリーシアは手を振り続けた。


 村を抜け、人の気配もなくなったところでソラが後ろを振り返る。


「ごめん、二人とも。ちょっと止まってくれる?」


「はい。構いませんが……?」


 彼女はエースに頼んでフラン邸が建っている方向に馬を向けてもらった。それで兄妹はソラが何をせんとしているか察し、哀悼の表情を浮かべて瞼を閉じた。


 ソラも目を閉じ、軽くうつむいて黙祷を捧げる。


 遠くで鳥の飛び立つ羽音がして、三人は目を開けた。


「行こう。碩学の都へ」


「はい」


 エースとジーノが馬の足を南へ向ける。


 兄妹を無事にソルテへ帰すため、そして自分が生き残るためにも、今は進むしかない。一寸先が闇で穴があるとしても、落ちた先を歩んでいくのだ。


 ソラは強い意志を持って正面を見つめた。

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