6‐2 魔女
それは全く予想外の知らせだった。礼拝堂の中がしんと静まり、雨粒の音がひとまとまりになって鈍器のように落ちてくる。
言葉をなくした一同の中で、エースがまず平静を取り戻した。
「何か不審な点でもあったんですか。検分にしては、憲兵の数が多すぎる気がしますが」
「憲兵さんははっきりとおっしゃらないのですが、どうにも自然な死の状況ではなかったようです……」
「魔物の仕業ですか」
「いいえ。敷地を囲む魔物除けの結界はきちんと機能していましたし、遺体の状況からして人の手によるようだ、と」
「なん――ッ!?」
悲鳴のような声を上げたのはソラだった。ベールの下で口を押さえ、動揺を露わにする彼女の背中にジーノが手を添える。
アリーシアも顔色を悪くし、目を伏せて続ける。
「憲兵さんも気分が悪くなるほどの惨状らしいのです。それもあって、村にある気分を改善するお薬をあるだけお渡ししてしまったので、近いうちに隣の街へ仕入れにいくことになりまして」
また話が横にそれる気配を察知し、エースが言葉を挟む。
「すみません、祠祭様。お屋敷の現状について祠祭様が分かることだけでも教えていただけませんか」
「……お屋敷にはフラン博士と、住み込みで働く使用人の方がいらっしゃいました。博士たっての希望で、雇われていたのは皆さん碩学の都、カシュニー出身の方々でした。博士の研究を手伝う目的もあったのでしょうね。それぞれ魔法に覚えがありましたのに、生き残った方はいらっしゃらなかったそうです。憲兵さん方は戦々恐々としておりましたわ」
最初に屋敷の異変に気づいたのは、屋敷に食材を卸していた業者だった。村に駆け込んできた彼が言うには、人の所業ではなかったそうだ。
「そういえば……関係があるかは分かりませんが、憲兵さんから妙なことを聞かれました。お屋敷には広いお庭の隅に小屋があるそうなのですけれど、そこに誰が居たのか、と」
「誰が……ということは、少なくとも人が居た痕跡を見つけたんですね」
「ええ。それで博士に子供はいたかと尋ねられたのですけれど、確かあの方は数年前に奥様と離縁なさって、お子さんがいたという話も聞いたことはありませんの」
「フラン博士の奥様というと、確か博士同様に優れた学者でいらしたと記憶しています。過去には魔法院で共同研究を行っていたとも」
「そのようで。こちらを離れたあとは、碩都の魔法院に戻られましたわ」
アリーシアは頬に手を当てて憂慮の息をつく。
「今回の件には、さすがの憲兵さんたちも神経が参ってしまったのか、魔女の仕業なのではと噂してますのよ。縁起でもありませんわね」
「魔女の、仕業……?」
アリーシアは他人事のように言ったが、その噂はソラの視界を真っ黒に塗りつぶした。
足の先から冷え切った泥が上ってくる。粘り気を帯びたそれは人の手をかたどって足首を掴み、膝に手をかけて、うつむくソラの首にからみついた。人々が言う漠然とした「魔女」がその泥から顔を出して、まことしやかにささやく。
お前のことだ、と。
魔法院がソラを魔女と断じた裁定は教会に知れ渡っている。民衆にも再来の噂は広がっており、現下の魔女とは最初に世界を呪った始まりのそれではなく、明確にソラを指す。たとえ今はその輪郭が見えなくとも、ひとたびソラの正体が明らかになってしまえば、形なき魔女の風説は過去にさかのぼって彼女の顔を取る。
カシュニーへ入る前、魔物に襲われた村で見た人々の顔が脳裏をよぎる。大切な人を傷つけられ、失い、悲しみに沈んだ彼らの心はやがて憤怒と憎悪に塗り替えられる。そんなところにソラの存在が露わとなれば、皆が皆、憎しみに燃える炎を手に叫ぶだろう。
あのとき、魔物が襲ってきたのはお前のせいだ。
お前が魔物をけしかけたんだろう。
あの人を殺したのはお前だ。
フラン邸での殺人も、お前がやったに違いない。
「……」
一度定まった感情を拭い去るのは簡単なことではない。それは怒りを生きる糧に変えたソラがよく知っている。
魔女と知れたが最後、反証できなければ悲惨な死が待っている。不運で、不幸で、後悔ばかりが残る望まない死が。それこそ、火炙りにされてもまだ足りないかもしれない。
唇を噛んで、両手を握る。爪の先が白くなるまで強く、小刻みに震わせながら。
その様子を見て、アリーシアが首を左右に振った。
「祷り様もお加減が優れないようですし、このお話はもうやめにしましょう」
ソラを気遣うジーノが無言で頷く。
アリーシアは手をこすり合わせ、フラン邸とソラたちとを交互に見つめる。
「これからどうなさいますか? 博士にお会いするためにいらっしゃったのであれば、それはもう叶いませんが」
「碩都カシュニーの魔法院に戻ったという、元奥様を頼ってみることにします」
彼女の問いに答えたのはエースだった。
「フラン博士と一緒に研究をされていたなら、我々が求める知識を得られるかもしれませんので」
「知識……。そもそも皆さんは博士にどんなお話をお聞きになりたくていらしたのです?」
アリーシアの質問は好奇心にしても、もっともだった。エースとジーノは顔を見合わせ、どう答えたものかと言いよどむ。
ソラは一人だけ蚊帳の外――いや、自分だけが当事者で、隔離された孤独を感じていた。そんな彼女がぼそりとつぶやく。
「魔女……」
「祷り様? 今、何とおっしゃいました?」
「魔女について、知りたいんです」
「……なぜ、わざわざそんなことを」
ぎょっとする兄妹をよそに、ソラは手を額に押しつけて続けた。
「魔女に関する記録は、各地でほとんど残っていません。人類は魔女を仇敵として恐れ憎んでいるというのに、その知識があまりに乏しい。私はそれが不安でならない、のです」
言いながら、ソラは自らを肯定する。
逃げながら「違う」と叫ぶだけでは、魔女の誤解は解けないのだ。反論があるならソラの方からその根拠をきちんと示す必要がある。疑いをかけられた本人が潔白を立証するなど理不尽この上ないが、困難を盾にそれを怠ってはいけない。
ソラが望む「話し合い」を成立させるためには、どうしても魔女の情報が必要不可欠だった。
「敵を知らねば、挑むこともできない」
「……フラン博士は異界学の第一人者でしたわね。そして魔女もまた異界から来る者。なるほど、博士であれば魔女の知識もお持ちであったやもしれません。であればこそ……やはりお会いできなかったのは残念ですわ」
アリーシアは自然とそんなことを言った。他者の不安を笑い飛ばすのではなく、心情を理解した上で寄り添う。彼女はおしゃべりで、ややもすると粗忽者に見えるが、祠祭に任じられたのはそういう性格を重んじてのことに違いない。
自分の主張をわずかでも理解してもらえたソラは、少し肩の荷が下りた気がして顔を上げた。
「祠祭様」
「はい。何でしょうか」
「ありがとうございます」
「いえいえ! あとのことは憲兵さんにお任せしましょう。お祈りの準備はどういたします? 足の具合が芳しくないようでしたら、椅子をご用意いたしますよ」
「お願いします」
「かしこまりました!」
アリーシアは布団を見に行った時のように、ピュッと姿を消した。
ソラが長々と息を吐いて、椅子の背もたれに寄りかかる。ベールの隙間から生気の衰えた目がのぞいて、困ったようにエースとジーノを見た。
「ごめんね。勝手に話しちゃって」
「もうっ、僕は内心ヒヤヒヤでしたよ! 祠祭様が寛容な方で助かりました」
「それね。話しぶりから何となく大丈夫そうかなと思って。まぁ八割くらいヤケクソだったんだけど」
力なく笑う彼女に、ジーノとエースは何も言えなくなった。この二人とて、ソラがあらぬ罪を負いかねない現状には背筋が寒くなる思いだ。冤罪を被せられる本人であれば、喉元に刃物を突きつけられている感覚だろう。
こんな時でも頼れるものはなく、自分の足で立っていかねばならない。この旅は想像していたよりもずっと過酷だった。
ジーノはふと、これまで自分たちを守り育ててくれた父を恋しく思った。
「お父様はお元気でしょうか?」
「……元気だよ、きっと」
エースも同じ気持ちなのか、声は少し弱っていた。
ソラは心臓がふたつ分、重くなったのを感じた。




