6‐1「貴方がそれを望むなら」
巨樹が密集する地域は上も下も見通しが悪い。太い幹が重なり合って風景を遮り、傘のように広がる枝葉のせいで空の様子も掴みにくいのだ。おかげで雨はまばらだが、時折ボタボタッと大粒の雫が落ちてきて地面の泥を跳ね上げる。馬もそうだが人間の足も、地べたを歩いているのではないのに汚れて仕方がない。
昼前、フラン邸はもう目の前だった。馬車の轍が残る細い道を数メートル行って右に曲がれば門扉が見えてくる。はずだったが、ソラたちはその道をまっすぐ素通りするしかなかった。なぜかといえば、憲兵が目の前を横切ったからである。
「僕が見てきますね」
ジーノが道を戻って十字路に顔を出す。門扉の前には二人の憲兵が立ち、奥の敷地にも数名が行き来している姿が見えた。ジーノは門の見張りと目が合い、とっさに会釈して顔を引っ込めた。
背後で憲兵たちのまとまった足音が角に消えていく。彼らから距離を取ったところで、エースが馬を止めた。
「ジーノ、どうだった?」
「ざっと見ただけで十名ほど憲兵さんがいらっしゃいました」
「そんなにいるとなると、あまりいいことではなさそうだ。この先に村があるから、そこで聞いてみよう」
「はい」
三人は道なりに進み、魔物除けの結界をくぐって集落へ入った。住人はそれほど多くない小さな村だが、入ってすぐのところに鋭角の屋根に十字を掲げた建物があった。教会である。エースは馬を下りて近くの枝に手綱を結び、ソラが下りるのを手伝った。ジーノも馬を止め、緩い土の上で杖がうまく使えないソラの手を引いた。
こぢんまりとした礼拝堂の扉を開け、エースが祠祭を呼ぶ。
「すみません。どなたかいらっしゃいませんか?」
「はい? はいはい! すぐに参りますので、お待ちを!」
現れたのは一風変わった祠祭服をまとう女だった。
祠祭の制服とは、裾がくるぶし近くまである上衣に、肩から細長いストールを掛けるのがおなじみである。また、外回りの活動的な仕事が多いため、性別に関係なく動きやすいズボンを履くのが普通でもある。にもかかわらず、ここの祠祭は布をたっぷり使ったロングスカートを身につけ、裾や袖にフリルをあしらい可愛らしく仕立てていたのであった。
「どうなさいました? 憲兵さんへの苦情でしたら直接あちら様に申し入れてくださいな」
「いえ、あの。俺たちは」
「あら、あらら? 村の方ではありませんわ。ということはお客様ですわね!」
フワフワでヒラヒラな祠祭は早口で話す癖があった。
「ド田舎へようこそ! 斯様に辺鄙な村へのお客様、しかも巡礼者の方々がいらっしゃるなんて、わたくし思ってもみませんでした。こんなこともあるのですね!」
「ど、どうもお世話になります。それで」
「はい。わたくしこちらの教会を預かるアリーシアと申します。何でも気兼ねなくお申し付けくださいな。何事も全力で取り組みますので」
「えっと、実はお聞きたいことがありまして」
「やはり! そうだと思っておりました」
会話に前のめりなアリーシアに押され気味のエースを、さらに押しのけるようにして彼女は朗々と言葉を続ける。
「わたくしこういった直感に関しては鋭い方だと村の方々にも評判ですの。ですが祷り様がいらしたのであればお祈りの準備などしなければなりませんね。あら、その前にひとつお聞きしないと! 祷り様はお祈りのために立ち寄られたのですか? それとも今晩の宿をお探しなのでしょうか?」
「宿坊をお貸しいただけないかとは思って」
「かしこまりました! 昨日はお天気でしたのでお布団を干したのですけど、いろいろ立て込んでおりまして、取り込んだままほったらかしだったのです。だらしなくていけませんわね。そういうわけでしてお泊まりいただく部屋に今お布団がございませんの。ちょっとご用意してきますので、お待ちになってくださいまし!」
アリーシアはピュンッといなくなった。彼女には思いついたことをその都度、最優先にしてしまう悪癖があるようだ。置き去りにされたエースは引き留めようとした手をぶらぶらさせ、「あ、の……。はい」。完全に気力をそがれていた。
「随分と個性的な祠祭さんだね」
ソラがジーノに小声でそう言う。
「僕もちょっと驚きです」
「エースくん、このあと大丈夫そう?」
「ではないかもしれません。ジーノ、お相手を頼めるかな……」
「お任せください」
選手交代でジーノが前に出ると、アリーシアが先ほどと同じく素早い動作で戻ってきた。
「申し訳ありません! そんなことよりご用向きをお伺いしなければいけないのでした」
「祠祭様。そうしましたら、僕の方からお話をお聞きして構わないでしょうか?」
「まあ! 綺麗なお嬢さんですこと」
それはアリーシアの研ぎ澄まされた直感による看破だったのか、それとも感じたことを口から言っただけなのか。何であれ、これまでばれたことのなかった正体を見破られてジーノは面食らった。彼女は驚きのあとに表情を呆れに変え、
「……僕は男なのですが」
「そうなんですの!? わたくしったらとんだご無礼を! ごめんなさいね。あまりにも綺麗なお顔立ちだったものですから、すっかり誤解しておりました」
「かまいません。ところで祠祭様、最初にお願いしたいことがあるのですが」
「はい、はい」
「僕には祠祭様のお話が早口に聞こえてしまって。耳が追いつかないので、もう少しゆっくりとお話しくださいますよう、お願いしても構わないでしょうか?」
「それはそれは! わたくしまたしても失敗ですわね。村の方にもよく指摘されますの。なのでどうにか直そうとは思っているのですけれど、長年この口でおしゃべりしてきたもので、なかなか思うようにいかなくて……いえ、すみません。ゆっくり、でしたわね。気をつけますわ」
「ありがとうございます」
「それで……何でしたかしら、お話というのは。アッ! どうやら祷り様は足がお悪いようで。どうぞ椅子に腰掛けてくださいな。ご遠慮などなさらず」
アリーシアの話は相変わらずあちこちに散らばるが、早口は収まった。ソラが頭を下げて長椅子に座り、ジーノが改めて切り出す。
「ここへ来るまでに憲兵を見ましたが、何かあったのでしょうか?」
「そうなんです。憲兵さんは昨日からずっとせわしないご様子で、村の方からも苦情が来ていますのよ。何と言っても、憲兵さんたちはあの人数でしょう? 皆さん身の回りのことはご自分で面倒を見るとおっしゃられて。博士のお屋敷とは反対方向に真っ直ぐに行くと小さな広場があるのですけれど、そこで野営をしておりまして」
ジーノはとりあえずアリーシアが言葉をすべて吐き出すまで待つことにした。
「その拠点からお屋敷までを走り回るものですから、道がひどく荒れるのです。馬車の車輪が引っかかったとか歩きにくいとか、果てには次の晴れはいつだとか、お天気のことまで文句をつけられてしまって。わたくしほとほと困り果てていたところでした」
「それは大変でしたね。実を言いますと僕たちは巡礼の傍ら、フラン博士にお聞きしたいことがありまして、こちらを訪ねたのですけれど」
「フラン博士ですか? あの方には村の面々も呆れ顔でしたの。風向きによってはお屋敷の方から悪臭が漂ってくることがありまして、苦情は申し上げていたのですけど、聞き入れられることはなく……フラン博士のことはよく分からないと申し上げるほかにございませんわ」
「そうですか。それで本題に戻りますが、フラン博士のお屋敷で何かあったのですか?」
「何か、というか……」
ジーノは冷静に根気強く、自分の用件を伝える。
「僕たち、祠祭様には博士への面会をお取り次ぎいただけないかと思っておりまして」
「そう……博士にご用事なのであれば、お話ししなければなりませんね。理由もなくお断りすることはできませんもの」
「断る? というのは、どういうことでしょう?」
「ええっと……無駄話をして言わなければならないことが迷子になってしまう前に言ってしまいますわね」
アリーシアは一呼吸置いて、ただひとつの事実を告げる。
「フラン博士はお亡くなりになりました」
「え……?」




