5‐14 宿借り
村の西には集落から外れた場所にぽつんと一軒の家が建っている。
この家に住むのは陶芸職人で、窯を持っているため煙が迷惑をかけないように村から離れて暮らしていた。
見上げる空はとっくに暗い。貴重な晴れとなった日中、外に干していた洗濯物をすっかり忘れていた少年が、角灯の蓄光石と家の明かりを頼りに慌てて衣類を取り込んでいた。遠く、集落の方で甲高い鳥の鳴き声が聞こえ、彼は顔を上げる。同時に、家の中から野太い声で、「メシー! 早くしろぉー!」。父親からお決まりの催促がかかった。
少年は次々と服を物干しから外して、
「大人しく待ってろっての! ったく、子供かよ……」
彼の言葉は乱暴だったが、声色は父を嫌っていない。
少年は父親を尊敬していた。工房に籠もって泥をこねてはろくろを回し、汗と煤にまみれる生活……家事などしたこともない困った人物であったが、それでも少年は仕事に打ち込む父の後ろ姿に憧れを抱いていた。
母親は何年も前に他界していた。
愛する者がいなくなってしまった一時期、少年の父は自暴自棄になって手当たり次第に器を壊した。工房は散乱した破片で足の踏み場もなくなり、釜も破壊せんばかりの勢いだった。しかし彼は村の皆に励まされて、何より守り育てねばならない息子の存在を思い出し、どうにか立ち直った。
口うるさいし、声もでかい。ろくろを回し始めれば周りが見えなくなって、人柄はお世辞にもいいとは言えない。少年の頭を撫でる手はいつだってがさつで、乱暴だ。
けれど、嫌いじゃない。
その扱いに父親なりの愛情を感じるくらいには、少年は父を慕っていた。
「よし、っと。あとは飯だな」
「そこの少年、ちょっとお時間いいかな?」
最後の一枚を手に取ったところで、少年は知らない声に呼び止められた。振り向くと、親子らしき二人が立っていた。空中に明かりを浮遊させ、暗闇の中でニコニコとしている。
男の方は黒髪で、顎の先に髭を残していた。身なりはよく、いいところのお屋敷に勤めているふうだ。馬も連れていないのに乗馬鞭を腰に差しているのが妙だった。
子供の髪は白く、大人用の服を着て、肩に鞄を掛けていた。頬に汚れを拭った跡があり、靴は履いていない。
「……何だよおっさん。旅の人にしては軽装だけど、もしかして迷った?」
「そうそう。実は迷子なんだよね、僕たち。それで教えてほしいことがあるんだけど」
「俺で分かることなら答えるぜ」
何やら訳ありのようだと察し、だが人のいい少年は疑うより先に助けてやりたいと思った。
一方で、父親が家の中で食事はまだかと叫んでいた。
「うるせーよクソ親父! 今お客さんと話してんだ! ――っと、そのお客に恥ずかしいとこ見せちまったな」
「……、なぁに。構いやしないさ。父親ってみんなあんなモンだろ」
「ほんと面倒な人でさ。家事は人任せで、何もできないくせに口だけは達者なんだよなぁ。それで? おっさんたちはどこに行きたいんだ?」
「カシュニーってところに用事があるんだけど、どのあたりを目指せばいいか分かる?」
「〈碩学の都〉に用事があるのか」
「そーなの。僕らオカーサンを探してて。な?」
「ぼくたち、オカーサンさがしてる。の」
二人は顔を見合わせてから、ニッコリとした。
「ふーん。とにかく碩都に行きたいってことか。うちに地図があるし、それ見せてやるよ」
「サンキュー。それにしてもキミ、年のわりにしっかりしてんね」
「まぁ、親父があんなだから自然とな」
「家のこと、つらくない?」
「は? つら……くはねえと思うけど。つーか、別にアンタが気にすることじゃないだろ」
「いやぁ、気にするよ。大変気にするとも」
そう言って、男は隣の子供にひそひそ話しかける。少年が二人の意図を問おうとして、
「しばしまちたまえ、しょうねん。これはすぐおわる、ます」
子供が長い袖をフリフリして小さな手を出し、少年を制する。
「……? 何だか知らねえけど、地図持ってくるから待ってな」
少年は首を傾げつつ、家に入って洗濯物を置き、地図を持って出てきた。玄関先で現在位置を教え、碩学の都カシュニーへの道のりを指で示す。今日のところはすぐそこの村で宿を取った方がいいことを伝えていると、後ろからのっそりと大きな影が迫った。
「おーい、息子よ。メシはまだか~?」
「まだだよ。お客さんの相手してんの見て分かんだろ」
「客だぁ?」
「道に迷ったんだと。教えたら作り始めるから、もうちょい待って」
少年の父親は来訪者をじろじろと眺める。
「アンタら、そんな格好でどこに行くってんだ?」
「碩都に用事らしいぜ」
「碩都に? こっからだとそれなりに距離があるじゃねえか」
「だから地図見ながら教えてんの」
「……お前なぁ」
少年は同じ会話を繰り返させる父親をうっとうしく追い払う仕草をした。父親は彼の手から地図を取り上げ、相手の方に向けて差し出す。
「そんな大したモンじゃないんだ。地図くらいくれてやれ」
父親が少年にコツンと軽いげんこつを落とし、そのすぐあとにもう一度、拳が落ちてきて床に転がった。二度も叩くことはないだろうと少年が抗議の目で見上げると、鼻先にぱらぱらと赤い雫が当たった。
「は……?」
父親の腕から手がなくなって、血があふれていた。何が起こっているのか理解できず、少年と父親は悲鳴も忘れて硬直する。
道を尋ねた男はいつの間にか鞭を腰から抜いていた。彼は慌てず焦らず、鞭を突き出して父親の腕を手首から肘まで貫いた。
「あ、あ……、あアア!? う、うで……俺の腕が――ッ!?」
男は骨を裂きながら刺さった鞭を振り回し、痛がる父親の嗚咽を面白がっていた。
少年の頭に血が雨のごとく降る。ひときわ大きな飛沫が当たって視界を赤く染めた時、彼は目の前の男を蹴り飛ばして父親をかばった。腕から鞭が抜け、床に転がった少年は激痛にのたうち回る父親に覆い被さって押さえ込んだ。
玄関先に尻餅をついた男は子供に引き起こされながら、心底驚いた顔で少年を見た。
「おま、何も蹴ることないだろ!」
「うるせえ!! 何てことすんだお前!?」
「大声出すなよ。ただのゴミ掃除じゃん」
「知るか! こいつは俺の親父だ!」
「だっからぁ。ゴミだってんだろ」
「違ぇよ! クソッ!! こっち来んな! 親父から離れろこの野郎!!」
少年は瀕死の父親を抱き、自由になる方の手を振って男を追い払う。
「お、親父、親父……大丈夫だ、大丈夫だからな……!」
「いやぁ、大丈夫じゃないだろ。血が止まらないと出血多量で死ぬし。そうでなくてもショック死しそうだけどさ」
「黙れ!! 意味分かんねえこと言うな!」
「別にいいじゃん。面倒だったんだろ? いなくなって清々しただろ? なぁなぁ」
腕の中で父親が異常なまでに震え出す。顔色は蒼白で唇も紫色に変色し、次第にぐったりし始める。
その様子を満足そうに男が見ていた。
ニコニコ、
ニコニコと。
まるで「いいこと」をしたあと、褒められるのを待っている子供のように。
「――ブッ殺してやる」
「え?」
思ってもみない反応に衝撃を受け、男の表情が凍り付いた。
「な、何でそうなるんだよ?」
少年は腕輪の石を光らせ、水の刃を作り出して男に向ける。
「なあ、おい。こ、こっちにそんなもん向けんなって。相手が違うだろ」
刃を両手で頭上に掲げ、少年は男の軽薄な目を潰してやろうと振り下ろす。
だが、その切っ先が眼球を破ることはなかった。
少年は勢いのままうつ伏せに転び、明後日の方向に飛んでいった自分の両手を見送った。視界の端で、白髪の子供が男から奪った鞭を切り上げ、少年を冷淡に見下ろしていた。
上腕の半分で両手を切断され、少年は立ち上がることかなわず、背中から心臓を突かれた。
「ぼくらをきずつけるの。ゆるしません」
「が……、ァ……? なん、で……」
「なんでっていわれても、ねぇ?」
「そりゃこっちの台詞だっての。せっかく助けてやろうと思ったのに、結局お前もそっち側の人間だったのかよ」
「たす……、た? どう……、ぃて……」
男は頭をバリバリと掻き、傍らの子供を指さす。
「お前さ、自分がのうのうと笑って飯食って毎日あったかいベッドでぐっすりお休みな時に、苦しんでる誰かがいるって考えたことある? 鞭打たれて殴られて残飯食わされて財産どころか尊厳も奪われて、畜生以下の惨めな人生送ってきた僕らのこと、少しでも考えたことあった?」
「そ、んな……しら、な――」
「そう。そこが問題なんだよ。僕たちのこと誰も知らないんだ。僕はそれが許せないの。そのとおり、僕たちは許せない。ムカつく。腹が立って、悔しくって、悲しくて恨めしくて羨ましくて、憎くて憎くて憎たらしくて」
男が子供から鞭を受け取り、少年を越えて父親の方へ向かう。もう息をしていない死体を跨いで、彼はその顔面を鞭で打ち据えた。
何度も、何度も。
どんな顔をしていたか判別ができなくなるまで、執拗に。
やがて彼は手を止め、
「本当はずっと。みんな死んでほしくてたまらなかったんだ」
声に悲憤を滲ませ、鼻をすする。
男は年甲斐もなく泣きながら、その瞳に怒りを浮かべていた。子供がトコトコと歩み寄って、眉を下げて彼の顔を覗く。
「もう、いいんだよ」
「……分かってる」
男は目元を拭って投げやりに言い、床に座り込んだ。
子供は彼に心配そうな視線を送りながら、肩掛け鞄の中から石を取り出した。息も絶え絶えな少年の胸に置いて、手を重ねる。すると細い指の間から光が溢れ、子供はその煌めきを押し込むようにして石の中心に収束させた。
「……、……」
少年は意味を成さない声を小さく発し、父親を空腹のまま死なせてしまったことを後悔しながら命を失った。
「じっけん、これでおしまい」
「そんなんでちゃんと魔力溜まったの?」
「もっちろ~ん」
「実験は成功ね。よかったじゃん」
「じかんで、はっさんしていかないか。これからけいか、かんさつ」
男は親子の死体を後目に立ち上がり、家の中を見渡す。彼はもう過去を引きずっていなかった。
この家は玄関から入ってすぐが居間で、奥に水回りがあり、個人の部屋は二室だった。その全てを確かめて、男がキッチンの戸棚を開けながら言う。
「ご飯は何が作れるかな? パンと、野菜と……肉はなしか。今日は質素な食事になりそうだ」
「ぼく、りょうりのあいだに、ふくをさがす。よごれちゃった」
「大きめの鞄みたいなのあったら持ってきてよ。荷物そん中にまとめたいから。あと新しい雨具もな。前のは返り血でベチャベチャになっちゃったし」
「あいさっ。だいそうさく、かいし!」
子供は箪笥の引き出しを開け、ひっくり返して着替えの物色を始めた。
料理番の男は手を洗い、まな板の上で野菜を刻む。キッチンは居間と対面で、彼の目には部屋のあちこちを走り回る子供の姿がよく見えた。今日も元気で何よりだが、その体つきは未だ細い。
「あんま暴れて骨折ったりすんなよー? お前まだ欠食児童なんだからな」
「そんなへましないも~ンギャッ!?」
子供は散らかした衣服に足を滑らせて盛大に転んだ。
「ほら見ろ! 言わんこっちゃない。怪我してないか? どこか痛いところは?」
「ないない。へーき」
男がキッチンから出てきて、子供を気遣う。玄関先に転がる惨劇の跡がなければ、それは仲睦まじい親子の団欒だった。
のちに「宿借り」と称される彼らの殺人は、碩都カシュニーに至るまで続くことになる。




