5‐13 実験
周囲を低木に囲まれた小さな村が夜を迎えようとしていた。巨樹はまばらに生え、その太い幹と低木とに渡した魔物除けの結界が風を切ってヒュウヒュウと鳴いている。珍しく雨具を着ずに外へ出た見回り担当の青年は結界に綻びがないかと調べて回っていた。その途中、東側の端まで歩いて来た彼は異様な臭気を察知した。
生き物が腐ったそのにおいは魔物が近くに潜んでいる知らせである。青年は腰の警棒に手をかけ、指輪の魔鉱石に意識を集中した。魔物除けの結界を越えて、村の外へ踏み出す。
いつもの訓練通り、魔法で焼いて骨にしてしまえば退治は完了する。焦ることも、怖じ気付く必要もない。一人で撃退した経験だって何度かある。それでも腰が引けてしまうのは、やはり魔物の醜悪な見た目が見るに耐えないからだった。
青年がじりじりと距離を詰めていく。強烈な悪臭に吐き気をもよおし、鼻呼吸をやめて口で荒い息を繰り返す。乾いた口を閉じて唾を飲み、再び息を吸おうとしたとき――、青年が見据える先に火の手が上がった。
草木の焦げるにおいがフッと通り過ぎたあと、空気はすっかり清浄に戻っていた。青年は遠目に道ばたの茂みがガサガサと揺れたのを見た。彼は反射的に巨樹の幹に身を隠して景色の観察を続ける。
雑草をまたいで道に出てきたのは二人の人間だった。
宙に煌々と明かりを炊いてこちらへ向かってくる。身長に大きな差があり、行商の親子かとも思ったが、荷物は見えない。騎士か憲兵にしても馬を連れておらず身軽な出で立ちで、何者か判断がつかない。
目のほかに耳もそばだてると、男と子供の声が聞こえてきた。
唐突に、視界の真ん中で小さい方の影が手を上げた。青年は身構えたが、子供は木の枝を切り落としただけだった。少年だか少女だかは細いそれで地面を抉りながら、大人の男と一緒に道を外れて森の中へ消えていった。
青年はそんな二人組を奇妙に思い、仲間を一人呼んで周囲を巡回することにした。余所者が姿を消したあたりをウロウロしながら捜索していると、青年たちの背後に例の二人が再び姿を現した。彼らは枝で溝を掻きながら村をぐるりと回ってきたのだった。
初めに彼らを目撃した方の青年が不審な顔で訊ねる。
「アンタたち、そこで何をやってるんだ?」
「ん? 俺らのこと?」
大きい方は成人した男で、雨具を着て棒状の馬鞭を手に持っていた。子供の方は少女で、寸法の合わない雨具を羽織って靴は履いていない。
「ぼくたち、まほうのせんせいと、せいと。なの」
「魔法の先生? じゃあ、さっきのは練習でもしてたのかい? さっきそこで魔物を焼いただろ」
「アッ! アンタもあれ見てたの!?」
青年は子供に聞いたつもりだったが、男の方が声を弾ませて反応した。
「ジョンの腕前、すっげーよな! こんなにちっちゃい女の子なのに魔物? だっけ? くさくてグロい奴を一瞬で灰にしちゃうんだぜ。僕はまだそういうの上手くできないもんだからさ、マジで尊敬するわ」
「まさか、こっちの嬢ちゃんの方が先生なのか?」
「そうなの。んで、今回は防御魔法を教わってたんだ」
話している間に子供が地面の溝を始めと終わりでつなげた。少女は男の指をチクリと刺し、血を滴らせた。
「イテテ……この溝の中を僕の血がずーっと走っていく感じで、そこから壁をせり上げて作るって」
「あと、これからじっけんもするの。よ」
「実験?」
訳の分からないことを言う二人に、青年たちは首を傾げた。
男が出血する手を天高く掲げる。すると甲高い音がして空気が張りつめた。得も言われぬ閉塞感に襲われた青年は何事かと全身で周囲を見回し――方向を変える胴体の上を首が滑った。
え、と声を上げることもできず、首の付け根から青年の頭が地面に落ちる。隣のもう一人も、状況を理解できないうちに胴体をまっぷたつに裂かれた。吹き出した血が雨具に降り注ぐ。
「ぼくらいがいの、おおきいひと。きらいよ」
空を二度薙ぎ払った手を戻して子供が言った。男が鞭で肩をたたきながら感心の声を上げる。
「お前のそれ、ホント早業だよなー。僕にもできたりしない?」
「まずは、かんたんなまほうから。むちをまりょくできょうか、するとよいでしょう」
「鞭全体を魔力で覆って剣にする、みたいな?」
「そういうやつー」
子供は死体を見捨てて地面の溝に向き直り、余った袖で空中を叩いた。まるでそこに壁があるかのように、袖は一定の位置から先にはなびかない。
「ぼくもこのかべはとおりぬけられないっと。じょんのかしこさが、ひゃくあがった!」
「ステータスがインフレしてません?」
突っ込みつつ、男も同様の仕草で見えない障壁に手を当てる。彼は誇らしげに頷き、
「ガラス張りの箱に閉じ込めた感じだな。これで中の奴らは逃げられないんだよね?」
「そう。これがぼうぎょのまほう。たてとか、かべっていう。ぼくがつくるのも、ななしのもげんりはいっしょだとおもう。そのとくせいを、おしえておくね」
魔法などによる攻撃から己を守る「盾」。それは地水火風の四属が同じ属性同士で反発し合う性質を基に、どんな魔法が打ち込まれても防げるよう四つ全ての属性を均等に配合して作り上げる。ナナシは所感として「ガラス張りの箱」と言ったが、より正確には「透明な布」と表現する方が的確である。
魔法による防御は四属全ての魔力を込めた格子、つまりは縦糸と横糸を織り重ね、一枚の布を仕立てるように作り上げる。糸の強さは込めた魔力の量、織り目の緻密さは使用者本人が理解している魔法構成式の正確さに左右される。魔力が少なければ糸は容易く切れるし、魔法の理解が低ければ目はザルとなり、敵の攻撃で簡単に破られてしまう。
上位の二属が下位の四属と同様の性質を持つ保証はないが、ジョンは仮に同じものとしてナナシに魔法を説く。
「オトーサンからきいたところによると、にぞくのまりょくについて、しぞくのじょういってこといがいはわかってない。じょうげのかんけいせいとか、にぞくどうしのあいしょうも、ぜんぜんわからん」
「ふーん? 二属は四属より強いらしいけど、詳しいことはよく分かんないから余裕ブッこいてると痛い目見るってことね」
「ちょーつよつよまほうをぶつけられたら、こわれちゃうかも?」
「二属は威力によらず四属を打ち負かすって言ってたのに」
「こんど、ななしがまほうをもっとりかいできてから、じっけんしてみましょう。じぶんのじゃくてん、しっておいてわるいことなし。あ!」
言っているうちに、ジョンは魔法で守りを固めた際の「弱点」に思い至った。
「そだ。ぼうぎょのまほうは、おなじぞくせいどうしがはんぱつするってせいしつをりようして、ふせぐ。それはうちがわにいるぼくたちも、おなじだからね」
「自分で作った防御の壁に魔法を向けると、こっちに跳ね返ってくる?」
「はねかえるというか、つうかできない。こうげきをふせぎながら、はんげきするなら、じぶんのたてをぐるーりと、うかいさせないといけないのよ」
つまり、自分を盾の中に閉じこめてしまうと、全方位からの攻撃を防ぐ代わりに反撃は不可能となる。防御の一部を解除し、魔力の抜け穴を作ってやらないことには魔法が外に出ていけないのだ。
「ちな。にんげんはまりょくのかたまりだから、おおっちゃうとでていくこともできない」
「なるほど、この壁から外に逃げられないってのはそういうことね」
ナナシは人差し指の先にごく少量の魔力で縫い針のようなものを作り出し、見えざる壁に向けて放ってみた。針は壁にぶつかり、粉々に砕けて消えてしまった。
「ジョンさん、上位魔法同士でも内側から防御のすり抜けはできないようですよ。さっきも手でぺたぺた触れたし」
「これだと、ななしのまほうも、しくみはぼくらのとあんまかわらないっぽい」
「そうみたいね。便利なんだか不便なんだかなぁ」
二人はうんうんと頭を上下させ、ぱちりと目を合わせる。もう一度深く頷き、彼らは気分を切り替えて前を向いた。
「そんじゃま、いろいろ実践といきますか」
「ますます!」
日常を壊す闖入者は宵に紛れ、余裕の足取りで村の中へと入っていった。




