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5‐10 噂

 翌朝、一番に目を覚ましたのはジーノだった。彼女はソラが眠るベッドの隣に椅子を持ってきて、座ったまま眠っていた。兄は少し離れたところで剣を抱え、同じく椅子に座って目を閉じている。


 昨夜の騒動が夢か幻のように、辺りは静かだった。


 ジーノが椅子から立ち上がると、膝に乗せていた腰袋が地面に落ちた。その音がソラを起はしないかとあわてたが、彼女は未だすやすやと寝息をたてている。兄にしても、珍しく気づいた様子はなかった。疲れがたまっているせいで普段より眠りが深くなっているのだろう。


 ジーノは袋を拾って腰に巻き、留め金を上げて中から白いハンカチを取り出した。裾を摘んで開き、中から錆びた短剣が現れる。


 兄を見る。


 顔を覚えていない両親は、きっと彼に似ていたのだろう。


 雨と土のにおい。魔物をくい止める父の奮闘。ここは危ないから離れろと、最低限の荷物を押しつけて子供に叫ぶ母。その最中さなか、二人は魔物ともども地面の怒号に遮られて土砂に埋もれる。


 それがお父様から聞いた両親の最後だった。これは兄が話したことだという。


 ジーノの覚えている雨と土の記憶は少し違った。短い夏のある日、冷めた雨が降り土が湿気でにおい立つ。目の前にあるのはひとつの棺だった。ジーノは当時を思い出し、船を模したそれの蓋が開く幻影を見る。中で横たわっていた「彼女」が上体を起こし、首に包帯を巻いたその人はジーノを指さして、「こんな、ことも――」。


 ざわざわと神経が逆立って、ジーノは幻覚を振り払う。思い出から焦りと後悔だけが消えない。彼女は手元の短剣を握りしめてつぶやいた。


「……先生」


 兄を見るジーノの目に強い感情が映し出される。


「う、んん~……」


 ソラがしゃがれた声を上げた。彼女は寝返りを打ってジーノの方に顔を向け、瞼を重そうに開いて小さく「おはよう」と言った。


 ジーノはそそくさと短剣をハンカチで包み直し、腰袋の中に片づけて留め具を閉じた。椅子に戻ってさわやかな笑顔をソラに向ける。


「おはようございます、祷り様。お加減はいかがです?」


「エー……お兄さんが言ったとおり、寝て起きたら少し元気が出ました」


 ソラはジーノと視線を合わせず、どことなく落ち込んだ様子だ。


「キミはどう? 私ばかりが布団で寝てしまって、ちょっと申し訳ないです」


「……僕も元気ですよ。一日くらいこんな日があってもへっちゃらです。気にしないでください」


「若いは強いねぇ」


 遅れてエースがうめき声を上げて目を覚ました。手を口に当ててゴクリと唾を飲み込み、しかめ面で顔を上げる。


 いつもなら誰よりも先に起きている彼は、自分が最後まで寝ていたことにひどく驚いていた。追われる身でありながら憲兵に正体を隠して協力し、命が危うい怪我人を手当てして回ったのだ。二重、三重に気を張ったエースが誰より疲れているのは当然だった。


 彼は眠気をさっさと追い出し、剣を腰に吊した。


「おはようございます。俺が最後だなんて、気が緩んでる証拠ですね。すみません」


「ぜんぜん構いませんよ。昨日はあのあと、どうでした? 怪我をされた方は?」


「魔法施術士の方が奮闘してくださって、何とか」


「お兄さんだって頑張ったでしょう。小さな傷も出血が続いたりばい菌が入ったら命を奪うんですから。キミの行動で救われた方はたくさんいます」


「そうですよ、お兄様。目に見えるものだけが傷ではありませんし、言葉ひとつで気力を取り戻すこともあります。ですので、祷り様のお声掛けも皆様を元気づけたと思いますよ」


 ジーノはソラが魔物の被害を見て気分が沈んでいるものと思い、すかさずフォローした。実のところ、ソラとしては昨夜の身勝手な決断を後ろめたくて目を合わせられなかった。ジーノの優しさが胸に痛くて、ソラは笑顔をつくろう。


「そう言うキミも、温かくて美味しいご飯でみんなを助けてくれましたね。ありがとう」


「はい」


 小声でお互いをねぎらう二人に、エースは目元を穏やかにした。


 やがて、憲兵や村の人々が活動を始めた。ソラたちはカシュニーへ向けて立つ準備を整え、天幕を借りたことの礼と大変な状況なのに手伝えないことを深く詫びて村を出発した。


 空に雲はなく、天気は上々だ。


 三人は足早に峠を越え、その日の夕暮れにカシュニー地方へ入った。


 山を挟んで西側は気候もそうだが、景色もがらっと変わった。山のきわにはまだペンカーデルと同じ寒さがあったが、森林地帯に入ると雪はかろうじて溶け残っている状態だった。


 ソラは天を突くかのごとくそそり立つ巨大な樹木を見上げ、口をあんぐりと開ける。彼女のいた世界では見ないこの植生こそ、カシュニー地方に特有の景色だった。現在地では巨樹もまだまばらで低い樹木が大半だが、カシュニーの中央部は一大密生地となっている。目指すフラン邸はそんな巨樹林の真っただ中にあった。


 それから街道を二、三日も行くと気温はだいぶ暖かくなった。


 雨が降る町で宿坊を借りた翌日、とある噂話が耳に入った。


「なあ、知ってるか? ついに魔女が現れたって話」


「それなら俺も教会に出入りしてる奴から聞いたよ。俺たちが生きてる間に魔女の時代が来るなんてな……」


「あれって本当の話なのかね?」


「火のないところに煙はたたないって言うじゃないか。何でも、騎士様が行方を追ってるってよ」


「冗談じゃないぜ。こっちは子供が生まれたばっかりだってのに」


 誰かも言ったとおり、人の口に戸は立てられず、魔女再来の情報は一般に知れ渡っていた。エースは市場で薬草などの物資を調達するついでに、それとなく探りを入れてみることにした。


「このところ魔女の噂をよく聞くのですが、ご主人は詳しく知っていますか?」


「さてね。又聞きの又聞きみたいなもんで、尾ひれがついて俺にも正確なことは分からなくてなぁ」


 首を傾げる店主に、その妻が声を被せるようにして言う。


「どっかにいるらしいって噂が一人歩きしてるのさ。ま、幽霊みたいなもんだよ」


「金髪の姉弟をお供に抱えてるって話もあるが、ホントかどうか」


「それが本当ならとんでもないことさね。金髪なんて聞いてアタシは真っ先に、魔女と結託した聖霊族を思い出したんだから」


「聖霊族ですか。かつてこの大陸にいたという、神秘の種族……」


「そ。魔女にだまされて滅んじまった愚か者さ」


「彼らの髪はそろって金色だったという話ですね」


 伝承記にも記述がある。魔女は聖霊族の姉弟を従えており、二人は魔女をかばって人間たちの手で討ち取られた。姉と兄、弟と妹で逆転しているが、金髪のエースとジーノが魔女と目されるソラに味方する姿は過去の再現と言って大げさではない。


 その場しのぎにすぎないと思っていたが、髪を染めたのは正解だったようだ。


 会計を終えたエースは店を出て、外で待たせていたソラたちを探した。道の端にこっそりと立つ彼女は、行き交う人々に声をかけられ、会釈で返していた。隣に控えていたジーノがエースを発見して手を大きく振る。


「申し訳ありません。連れの者が戻って参りましたので……」


「ああいや、こちらこそ引き留めてしまったみたいで。巡礼の道中、魔物にはくれぐれもお気をつけて」


「はい。ありがとうございます」


 雨よけのフードから水を滴らせ、ソラが頭を下げる。合流した三人はせかせかと町を出た。

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