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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第二章「悪の牙」
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5‐7 無力

 それからも追っ手は影すら見えず、ソラたちは順調にカシュニーへと近づいていた。


 天候による足止めもなく、これはエースが先々で情報を収集し好天が期待できる経路を選んでくれたおかげである。本人としては、晴朗とはいかずとも的中が続く予測に驚いていた。何者かに導かれているようだと言った彼に対して、「軸の神様が味方してくれてるのかもね」。ソラは冗談が半分、ひょっとしたらという信心が半分で返した。


 やがて三人はカシュニーとの旧領地境界となる山脈の谷間に入った。雲が赤く染まり始めた頃に山間の集落へ着いたが、


「ねえ、何か変なにおいがしない? 食べ物が腐ったみたいな……」


 山から吹き下ろす冷たい風に乗って腐臭が漂い、ソラがベールの下で顔をしかめた。エースはジーノと顔を見合わせ、周囲を警戒しながら進む。ソラが感じた異変は魔物が近くにいるか、いたことを示すものだ。魔物除けのお守りが効果を発揮したのか、これまでに一度も敵と遭遇しなかったためすっかり油断していた。


 兄弟の雰囲気が変わったことに気づいたソラは、何が飛び出てきても驚かず、二人の足を引っ張らないよう身構えた。しかし、進むごとに腐臭ばかりが濃くなり、魔物の気配は掴めなかった。そのまま三人は目的の村に入り……、


 惨憺たる状況を目にした。


 村は魔物に襲われたあとだった。半分以上の家が全壊か半壊、辺りにはガラスや家財が散乱していた。木の幹には爪痕に沿って血が飛び散っていた。


 村人は魔法や農具で応戦したようだ。地面は深く抉れ、鍬や鋤の折れた柄が転がっていた。近隣の憲兵が駆けつけて魔物は退治されたが、未だ怪我の救護は追いついておらず、血を流したままうなだれている者もいる。


 エースはソラを馬から下ろしてジーノに預ける。荷物のひとつを肩にかけると、一目散に怪我人のもとへ走っていった。彼は患者の容態を聞き、段取りよく簡易の手当を施していく。


 自分も何かできないかと見回すソラに村人が話しかけた。


「祷り様。悪いが村はこんな有様で、もてなせる状況ではなく……」


「いえ、こちらこそ大変な時に申し訳ありません。どうか怪我をした方の手当てを優先なさってください」


 ソラは首を左右に振り、細い声ながらはっきりとそう言った。騎士の下部組織である憲兵もいるが、この惨状を素通りはできない。


「わたくしどもも、できる限りお手伝いさせていただきますので」


「はい。何なりとお申し付けください」


 その意を察してジーノも頷いた。


 エースは引き続き救護に走り、ジーノは炊き出しの手伝いに回った。ソラは足と手が片方ずつ自由にならないことに加え、やはりベールを取ることができないため、村の片づけを細々と手伝うことにした。杖を片手にたどたどしい足取りで、憲兵相手には顔を見られないよう細心の注意を払う。がれきを集める間には、慣れないながらも人々に慰めの言葉をかけることもした。


 そこでソラはようやく「魔女」の災厄を痛感した。


 運ばれていく遺体に泣いてすがる者。若い女がしがみつく担架から、男の腕がのぞいている。恋人か、夫か。あるいは父か兄弟かもしれない。大切な人を失った彼女はかれた声で息だけを吐いて涙を流す。「どうしてこんな」、「何でこの人が」。それを誰かが引き留め、憲兵が遺体を運ぶ。


 村の結界は張り直したが、早く焼かなければ人の体とて魔物の素体となる。それが魔女の呪いなのだ。ソラは自分にも人を呪う力が備わっているのかと思うと、恐ろしかった。


 誰かを、何かを失った人々は地面に崩れ落ち、全身を震わせて泣き枯れる。やるせない気持ちで泥にまみれた雪を掴み、悔しさに歯を食いしばって顔を上げる。そこにあるのは強い憎悪の表情だった。


 スランと同じ、大切な者を奪われた憎しみだ。


「おや、祷り様じゃあないか。こんな小さな村にいらっしゃるだなんて、珍しいねぇ」


 その場で凍りついていたソラに軽傷の老人が話しかける。その人は隣に孫らしき子供を連れていた。少女が問う。


「祷り様は何で日除けを被ってるの? もう暗いよ?」


「……すみません。顔に傷があるので、あまり人に見られたくなくて」


 顔を合わせることはできないものの、ソラは少女と目線を同じにして弱々しく言い訳した。


「そうなんだ。よくないこと聞いちゃった……。ごめんね、祷り様」


「い、いいえ。大丈夫ですので、貴方も気にしないでください」


「うん。ありがとう」


 実際、氷都で元老に叩かれた傷が跡になっているので、嘘は言っていない。だが、素直に謝るいたいけな子供が相手では、罪悪感を覚えない方がおかしかった。ソラはベールの下できゅっと口を結び、膝を握って今にも逃げ出したい気持ちを押さえた。


 そこに別の子供がやってきて、彼がソラの袖を掴んだ。


「祷り様。聖なる人はいつになったらこの世界に来てくれるの? あっちこっちでこういう悪いことが起こるの、魔女のせいなんでしょ? その魔女をやっつけてくれるのが聖人様なんだよね。ね?」


 頭に包帯を巻いた痛々しい姿の少年にそう問われ、ソラは言葉をなくす。


 魔物がはびこる元凶――魔女と同じ陰の魔力を持つソラは、まるで「この惨事はお前のせいだ」と言われたような気がした。


 目の前には怪我をした子供がいて、


 周りを振り返ってみれば、悲しみに暮れる顔であふれている。


 布を頭まで被され、横たわる人。見えるだけで五人が魔物に殺された。


 理不尽に、何も残せないまま。今日、突然に。


「……」


 ソラは腹から胸にかけて熱いものがわき上がるのを感じる。もしも殺されたのが自分だったら。誰かを失って泣くのが自分だったら。


 悔しいし、許せない。


 怒りが燃え、ソラは拳を強く握る。瞼の裏側でそれを振り下ろす先は、


 ――魔女わたし


「祷り様?」


 ベール越しに顔をのぞき込んだ少年少女に、ソラはハッとして意識を浮上させる。


「その……とおりです。聖人とは、世界をお救いくださるお方。再臨なされればこのようなことも、きっと。なくなる……でしょう……」


 言っていて、これほどむなしい言葉もない。よもや仇と同じ魔力を持つ人間に慰撫されるなど、屈辱以外の何ものでもないだろうに。ソラの正体を知らない子供たちはお為ごかしに勇気づけられて笑みを浮かべる。


 ソラはごくりと唾を飲んで何か言おうとした。裏腹に喉が管を閉じて声を出せなかった。


 息を吐きたいのに、できない。

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