5‐6 役を演じる
ペンカーデルの西部は遮るもののない平原が広がり、季節を問わず強い風が吹き付ける。今日の空は晴れているが、風はごうごうと足下の雪を舞い上げて吹き荒れていた。そんな中、馬を歩かせ街道を進む人影が三つある。赤毛の男が二人と、日差しが苦手なのか顔をベールで覆う女が一人だ。
女は白い装束を身につけ、髪を頭巾で隠した上から肩に垂れる長い布を被っていた。それは聖人の再臨を願って各地を回る「巡礼者」の伝統的な格好であった。彼女は強風にあおられる日除けのベールを押さえながら、鞍の取っ手を掴んで馬の足取りに揺れていた。
その後ろで背の高い青年が手綱を握っており、小柄な少年がもう一頭に荷物をつり下げて歩いていた。この二人は兄弟で、目深に被った帽子の影になってよく見えないが、非常に整った顔立ちであった。
三人はこれまでいくつかの町や村を渡り、訪れた教会に身を寄せて祈りを捧げてきた。
巡礼者たる女は顔に傷があり、醜いそれが人目に晒されることを嫌って屋内でもベールをはずさなかった。体は細く、声も弱々しく。ベールは薄くそれほど視界を妨げないため彼女は一人でも歩けたが、護衛の青年と少年が甲斐甲斐しく世話をした。そのやりとりがまた、彼女を繊細で儚い敬虔なる女性として人々の目に映し出した。
若く美しい兄弟に守られる薄幸の巡礼者は、宿坊を借りた翌朝に礼を尽くして旅立つ。
そんな「化けの皮」が剥がれるのは、人の気配がなくなった雪原の真ん中に限られた。
「……そろそろ素に戻って大丈夫かな」
「周りに人の姿はありませんので、ええ」
「今朝も疲れたわぁ。かすれた感じでしゃべるの、何気に神経使うんだよね」
「ソラ様の演技も板に付いてきたように感じますが?」
「皆さんが警戒しないのは、私の演技力というよりはジーノちゃ――くんとエースくんのご尊顔効果でしょ。間違いない」
すっかり素顔と別人に誤解されているソラは、そうでも考えないと毎度の寒々しい芝居が黒歴史に変わってしまいそうだった。最初は教会を避けることも考えたが、巡礼者を装うのなら聖人再臨の祈りを捧げないのは逆に怪しまれる。そんな理由でソラは全身をざわざわとさせながら、やったこともない演劇にいそしんでいるのであった。
三人は昼前に小さな泉へたどり着き、馬を休ませるついでに早めの昼食を取ることにした。本日のメニューは市場で購入したパンに野菜と卵を挟んだ簡単なサンドイッチである。
ソラは最近、歩行を補助する目的で杖をついて歩いている。というのも、連日の「祈り」は祭壇の前で膝立ちになり長時間を過ごすため、足に負担がかかって痛めてしまったのだ。特に左足の不調が強く、彼女は歩くとなればひょこひょことつま先を引いておぼつかない様子だった。エースはそれを傍観せず、対症的に湿布薬を都合して杖を作ってくれた。
地面から顔を出した石にソラが座り、ベールを上げてパンにかぶりつく。その腕に装身具の類はなかった。魔法を封じる腕輪は氷都を出てすぐにエースの手で外され、ジーノの魔法によって粉々に打ち砕かれた。逃亡犯ではあるが、腕輪による罪人扱いから解放されたおかげでソラの心はいくらか軽くなった。
彼女はジーノとエースを順に見やり、
「赤毛も似合うんだもんなぁ、キミたち。薄いけど綺麗に染まってるから、青い目がいっそう映えるや」
「本当は黒髪にと思ったんですが、色が落ちた時に地毛が目立ちますし、赤を選んで正解だったかもしれません」
「お父様と同じ髪色ですし、僕は好きですよ」
「そうだね。スランさんと同じ色だ」
ソラは空々と笑って、うつむいた。
「ごめんね」
「なぜソラ様が謝るのです?」
靴を眺めるソラにジーノが問う。
「だって、こんな面倒ごとに巻き込んじゃったわけだし。ぶっちゃけ私がいなければキミたちはソルテ村を離れなくてよかったんだから。そのこと、ちゃんと謝ってなかったなと思って」
「これは僕たちが選んだことですので、ソラ様が気に病む必要はありません。そもそも魔法院の対応がおかしいのです。光の魔力を無視して、あのような暴挙に出るなど」
「ジーノの言うとおりです。魔力はソラ様が望んで得たものではないのですから。そういった事情を考慮せずに答えを急いだあの老人は拙速と言うほかない」
「それは……分かってるよ。魔法院で身の潔白を証明できなかったのは悔しいけど、私も逃げる道を選んだこと自体は後悔してない」
ソラとしても、自分の選択を謝るつもりはなかった。
「だけどさ、キミたちが故郷を離れることになった原因だけは、間違いなく私にあるんだよ。私が魔法院から逃げなかったら……スランさんにあんな顔をさせることもなかった」
だが、それはソラの死を意味する。あの時の彼女に他人を心配して自分を投げ出す覚悟はなかった。ジーノたちを巻き込んだあとのことも考える余裕はなかった。
死にたくなかったから。
どうしてもまだ、生きたかったから。
他人に言われるがまま抵抗もせず死ぬよりは、抗いあがいて死んだ方が「より良い」と思ったのだ。もっとも、それすらもわがままになってしまうのが現実だった。ソラは一段と落ち込み、持っているサンドイッチを落としてしまった。地面につくすんでにそれを受け止め、エースが言う。
「ソラ様はひとつ、思い違いをしています」
「思い違い?」
「たとえソラ様が魔法院からの逃亡を諦めたとしても、俺は貴方をあのまま引き渡すつもりはありませんでした」
「……」
「きっと、貴方を取り戻すべく抵抗したと思います」
「後先考えずに?」
「あのような状況で後先考えられる方がどうかしています」
彼はパンをソラに渡す。生きていく上で欠くことのできない「食事」を。
ジーノもエースの考えを支持した。
「僕も自分の行動に後悔はありません。ソラ様を助けたことは正しいと、今でも胸を張って言えます」
「誰のせいとか、あの時こうしていたらとか、考えるのはやめませんか」
「そうしたいのは山々なんだけども、ね」
「もう起こってしまったことです。決めてしまったことなんです。いま考えるべきは、それらの決断を受けてどう動くか……どう生き残るか。それだけです。過去の最善を問うのは全てが終わってからにしましょう」
「僕もお兄様に賛成です」
ジーノは手本でも見せるように、サンドイッチを食べてもぐもぐと口を動かす。会話に緊張感がなくなってしまったが、それもわざとだろう。あまり深刻になると、やはりソラは悪い方にばかり考えてしまう。
「……そしたら、ありがとうは言っておかないとね」
それでもソラは後ろめたさを捨てられず、けれど食事を口にする元気は取り戻していた。彼女はジーノを見習ってぱくぱくとサンドイッチを食べ、見る間に完食して兄弟と向き合った。
「いろいろと助けになってくれて、ありがとう」
言いつつも胸は痛い。別れ際に見たスランの顔が思い浮かんで、彼を覚えていればこそ、ソラは決意を新たにする。ジーノとエースを巻き込んだ張本として、さらに年上の大人としても、スランとの約束は果たさなければならない。
「俺も、ソラ様の力になれて嬉しいです」
「これから先のこと、僕たちと一緒に考えていきましょう」
「うん。そうしよう」
ソラは自分に言い聞かせる。
憎まれたままでいたくない、最後まで潔白でいたい。
できることなら惜しまれる人でありたい。
それを望むなら、今は何をおいても生き残ることが先決だ。気持ちを切り替えて空を見上げると、雲の切れ間に鳥が飛んでいた。強風にもめげず大きな翼を広げ果敢に空を切る姿に、ソラは背中を押されるようだった。
三人は食事を終え、旅路に戻った。




