5‐5 親とは
こういう土地柄なので、登山道には避難用の小屋がいくつか建っている。セナたちは少し前に通り過ぎた小屋まで戻り、簡易の暖炉に火を入れて夜を越すことになった。狭いながらも土間つきで、使い古しのむしろを敷いて馬と狼を休ませた。人間は荷物の中から寝袋を取り出し、板張りの床に敷いた。
「チッ! クソ悪運の強い奴らだな。魔女が天気操ってんじゃねえかって疑っちまうぜ」
「魔女さんは魔法が使えないんだから、どちらかって言うと私たちの運がないのかもー」
ロカルシュは寝転がり、肩から上を土間に乗り出して狼を撫でている。まったくお気楽なものだ。もっとも、彼はいついかなる任務の際にもこんな調子だった。セナもそれには慣れているはずだが、今回に限って彼は相棒との意識のずれに嫌気がさしていた。
小屋の中で蓄光石の明かりを頼りに、セナは腰の革鞘と肩掛けの筐体から武器を取り出す。
「寝ないの~? 明日は夜明け前から出るんでしょー?」
「こいつの手入れが終わったら」
「セナはイライラするとすぐ銃に手ぇ伸ばすんだからぁ」
「かんしゃくで銃弾ブッ放すイカレ野郎みたいに言うな。整備してると気分が落ち着くんだよ」
セナは大きさの異なる二丁の「銃砲」を携帯、発砲することが許されている。一丁は片手で扱うことも可能な拳銃で、もう一丁は照準器を覗いて離れた場所から対象を撃ち抜く狙撃銃である。撃鉄の先端には高硬度の魔鉱石が取り付けられており、石に火属性の魔力を送り込みつつ薬莢の尻にぶつけて内部の火薬を燃焼させ、先端の鉄つぶてを発射する仕組みとなっている。同時に風属性の魔力も込めれば発射速度を上げることもでき、弾頭の種類によっても殺傷能力を調整できる便利かつ凶悪な武器だ。
少年は慣れた手つきで解体、掃除を行う。
ロカルシュはしばらくの間、寝袋の上を転がりながらフクロウと遊び、無言に飽きるとセナに話しかけた。
「それさぁ、銃砲って名前ナニソレって思わない? 普通に大砲のちっちゃい版なんだから小砲でいいのにね。正式名称の方も変だしぃ」
「それなら〈ガンズ〉だな」
「やっぱヘンテコ~。魔法院の命名っていっつもそう。意味不明の造語がカッコいいと思ってんのかなー?」
「学者先生の感覚は一般人と違ってるんだろ。知らねーけど」
セナは内部にゴミや汚れがなく、撃鉄の魔鉱石にも欠けがないことを確認して、さっさと銃を組み直した。彼は照準器を遠目に覗き、
「ハァ……。ロッカ、村の様子はちゃんと見てるか?」
「ばっちり~。でも、前も言ったけど野良の子に怪我するような危険はさせられないからね。お願いする相手さんにも自分の生活があるので~」
「はいはい、承知しております」
銃を革鞘と筐体に片づけ、セナは軽く頭を振った。
「そろそろ寝るか」
「寝る!」
セナがそう言うと、ロカルシュはストンと寝袋に入り、次の瞬間にはフクロウと一緒に寝息を立てていた。この男の自由奔放ぶりには未だに驚かされる。セナは自分が手綱を握っていると言うより、じゃじゃ馬に振り落とされないようしがみついている気がしてならなかった。
セナは筐体の留め金を閉めると、自分も寝袋に入って相棒の寝顔を見下ろした。
「……お休み、ロッカ」
手がかかるほど愛着がわくものなのか、少年は相棒を弟のように思いやり、明かりを消して眠りについた。
次の日、空が薄暗いうちからセナはそわそわと起きた。跳ね上げの窓から青黒い空が見えたのを喜び、ロカルシュを叩き起こす。
「おいロッカ、魔女はどうだ?」
「ふぇ……、むにゃ……」
「さっさと起きろ!」
「あ~……、今さっき教会を出たっぽいネー。これは北の峠を回って西の麓に下りるカンジ~?」
「普通に考えて、逃げてきた道を戻る奴はいないだろ」
「私たちはどうするの? 南の方に下りて、そこから山裾沿いに回り込む~?」
「いいや、このままソルテに向かう。奴らは教会で準備を整えたんだろ? 祠祭が残ってるなら、何か話が聞けるかもしれない」
「とりあえず魔女さんは私が見てるし、ゆっくり行こ~」
「ゆっくりしてられるか馬鹿野郎。魔女は可及的速やかにとっ捕まえて吊し上げるんだよ。串刺しにして魔物に食わせてやる」
セナは額に青筋を立て、蛇のように執念深い声で魔女の断罪を口にした。ロカルシュは唇を突き出して不快感の片鱗を見せたが、セナには気づく余裕がなかった。
小屋を片づけ、ソルテに到着したのは昼過ぎだった。
セナは一目散に教会へ走り、礼拝堂の扉を叩いた。
「王国騎士の者です。祠祭様はいますか」
キンと冷えた堂の中に踏み込み、セナが声を上げて辺りを見回す。教会を預かる祠祭は慌てた様子もなく現れた。
「騎士様がお越しとは珍しい。どういったご用向きでしょうか?」
「どうって、魔法院から出ている文の件です。知らないとは言わせませんよ」
「というと、魔女再来の件で」
「ええ。俺たちは魔女、ソラという女を追ってこの村に来ました」
セナは瞳の怒りを深くし、目尻をつり上げて相手を睨んだ。
祠祭はその視線をするりとかわし、
「騎士様はこの村が魔女に関わりがあるとお考えなのですか?」
「魔女の逃亡を手助けした男女は、この村の教会関係者だと聞いていますが?」
「そうですか」
セナの問いに答えを返さない。かといって苦しい様子でもない彼に、ロカルシュがフクロウと一緒に首を傾げた。
「祠祭さん、何か秘密でもあるー?」
「いいえ」
「隠し立てはしない方がいいですよ。場合によっては貴方を拘束することもあり得ますので」
「拘束……。なるほど」
祠祭はしばし考え込み、やがて小さく笑った。
「それはいい」
「はい?」
「どうぞ、私に縄をおかけください」
彼は両腕を揃えて差し出した。
これにはロカルシュのみならず、セナも戸惑った。はぐらかされるか抵抗されることは予想していたが、まさか自らが捕まる道を選ぶとは思わなかった。
セナはぽかんと開いていた口を閉め、呆れたと言いたげに顔をしかめる。
「まさか魔女をかばうつもりですか、アンタ」
「親は子を守るものです。たとえ己が身を滅ぼそうとも」
魔女が世界の外からやってくることはセナも知っている。ならばこの祠祭が守りたいのは、魔女を助けた男女なのだろう。これもまたセナの考えが及ばなかったところで、少年は自分の頭を小突いて盛大なため息をついた。
祠祭は口を噤み、長椅子に座る。セナは彼を軽蔑の視線で見やり、ロカルシュに向き直った。
「ロッカ。麓の詰め所に使いを出したい。飛ぶでも走るでもいい、誰か捕まえてくれ」
「ちょっと待って……。うん、まだ近くに今日の狼さんがいた~」
「峠……」
ボソリと横やりを入れたのは祠祭だった。
セナにはその呟きが煩わしく、振り払う仕草をして祠祭に詰め寄った。
「いったい何です」
「吹雪いていないといいですね」
背中を丸めた祠祭の顔は見えない。その声はあくまで穏やかに、柔らかく。しかし覚悟を決めたように凛と響いた。
カッとなったセナが彼の胸ぐらを掴んで振り向かせる。祠祭は逆にその手を捕まえ、瞳に後悔と憎しみを滲ませてセナに迫った。
「そうだ。私を離さない方がいい」
「何なんだよアンタ……、正気か?」
「少なくとも、麓から憲兵がやってくるまでの間。貴方は私から目を離すことができない」
「ふん縛って村の人間に預けることだってできる」
「ならば私は魔女の再来を叫びますよ。魔法院からの文にはその事実を口外しないよう書かれていました。村の人間に知れ渡ることがあれば、貴方も困るのでは?」
「……」
「人の口に戸は立てられません。魔女の再来は噂となって麓の町へ、やがて大陸全土に広がるでしょうね」
子を奪われた親に後も先もなかった。
こうして、祠祭は翌々日の朝までセナとロカルシュを足止めした。彼はセナの尋問にいっさい答えず、我が子を守り通した。
氷都を出てから二十二日、魔女から遅れること三日目の朝。セナはようやく北の峠を回って西の麓へ下りることができたのだった。




