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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第二章「悪の牙」
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5‐4 捕捉

 セナとロカルシュは吹雪の晴れ間を縫い、馬で駆けた。魔女を助けた男女のうち一方は魔法を使って馬の足を助けているのか、魔力の痕跡が途切れることはなかった。おかげで追跡自体は楽に進んでいる。


 氷都を発った翌日から教会には魔法院の文が回っていた。セナたちは大きな町のほか教会がない小さな集落にも立ち寄り、特徴に合う人物を探した。目撃情報を整理すると、こちらは目標の足取りから半日ほど遅れていると分かった。


 天気を気にせず行動できれば一気に縮められそうな距離だが、ここペンカーデルではそう簡単にいかない。荒涼とした野原は吹きさらしで、風が強く真ん中を突っ切るのは難しい。二人は強風を遮ってくれる樹林帯沿いに経路を取り、遠回りせざるをえなかった。


 任務に就いて三日目、彼らは山裾に広がる森を行く。風上から木々の香りに紛れて何やら鼻を突くにおいが漂ってきた。


「これは……魔物が近くにいるみたいだな」


「セナ、がーんば!」


「アンタもたまには魔物の相手をしてくれよ。俺ばっかじゃん」


「私、魔法ダメダメだもん~。騎士所属じゃない野良の子に危ないことはさせられないしー」


「分かってっけど。楽したいだけだったら怒るからな」


 言っている間に悪臭が近づいてきた。


 動物の死体が魔女の呪いを受けたことで生まれる魔物は、程度の差こそあれど腐敗した状態で現れる。ザクリと氷を踏む音がして、木の陰から異形が姿を見せた。魔物除けのお守りを嫌って、一定距離からは踏み込んでこない。


 今回の相手は大型の山犬だった。肉は腐り落ち、露出したあばらの先に内臓が引っかかって揺れている。


 セナは腰に武器を差していたが、それには手を伸ばさず腕を素早く振り上げた。分厚い外套の下で胸元が輝き、魔物は冷気を上げて凍りつく。少年が腕を下げると今度は火柱が立ち、敵は氷ごと灰も残さず消え去った。


 魔法を納め、セナは手綱を操作しながら辺りを警戒する。魔物は密な群を形成することはなく、単独で襲いかかってくることが多い。集団を作ったとしても個体同士は距離を取って標的を囲み、攻撃も同時には加えず各個で代わる代わる仕掛けるのが通常だ。


 セナが身構えて待つも、追撃はなかった。腐臭は風に乗って消え、ほかに気配もないことを確認して少年は肩の力を抜いた。


「ふう。水属性の応用魔法はあまり得意じゃねえけど、やっぱ今の時期だと扱いやすいな」


「セナつよーい。魔法院で勉強してただけはある~」


「一年で放逐された出来損ないなんだが?」


「そんなことない! セナ、魔法の使い方めちゃくちゃ上手いもんー。最低限の魔力で最大火力! 隊長もほめてたよ」


「……あっそ」


「てゆーか、初手で人格破壊がまかり通るあのクソ組織なんかに一年もいたのがすごいと思うんだよねぇ、私~」


「アー、うん、まあ。それはそう、な……」


 少年は居心地が悪そうに顔を逸らした。そこに大粒の雪が吹き付け、風に揺られた枝から雪が落ちてくる。被っていた帽子に降りかかったそれを払い落とし、セナは灰色の空を見上げた。


「ったく、天気が悪いのだけはどうにもならねえな」


「北の方は晴れてるみたいだけどねー」


「運のいい奴らめ」


 ひがむ口から熱い白煙を吐き出した。


 彼が追いかけている魔力の痕跡は平然と雪原を駆け抜けている。昨日はこのあたりも晴れていたのだ。魔女たちは好天の尻尾にしがみついて移動しているらしかった。


「このあとは回復しそうか? それならふたつ先の村まで進もうかと思うんだが」


「あんま良くはならないと思うー」


 明るい日差しがないにしても、色素が薄く肌の弱いロカルシュは日中、顔の前に布を垂らす。彼は風にたなびく裾を押さえ、肩を軽く上げてフクロウふっくんを上空へ飛ばした。フクロウは大きく旋回して、雲の流れを見る。


「南から厚い雲が来ててぇ、この辺の気流を考えるとやっぱ下り坂っぽい~」


「プラディナムの元神子様がそう言うなら、無理は禁物だな。今日はこの森を抜けるのが精一杯ってところか」


「うんうん。神子の主なお仕事は天気を読むことだったからね~。無視すると痛い目に遭うよー」


 フクロウの羽ばたきが頭上から聞こえ、ロカルシュの肩にいつもの重みが戻る。


「騎士になって大陸中を回って、あちこち雲の流れも覚えたしぃ。お天気の予測だけは間違えない自信あるんだからー」


「アンタの能力に関しては疑ってないから安心しろ。魔法院と違って蔑ろになんてしねえよ」


 とはいえ、追跡班の足取りは一向に捗らず、進めども捕縛対象から遅れを取る日々が続くことになった。セナは日に日に薄く消えかかっていく痕跡を歯がゆい思いで見つめ、むしゃくしゃした気持ちを募らせていった。


 氷都を出てから十八日目の夕方、ロカルシュが奇声を発した。彼は何も任務に嫌気がさしておかしくなったのではなく、目標を見つけてはしゃいだのだった。


「いたー! 見つけたよセナ! 今朝からソルテ周辺を張ってたんだけど、今ちょうど魔――ムグゥ」


「オイコラッ! 時と場所をわきまえろ馬鹿!」


 魔女が昨日訪れた村で今晩の宿を取るセナがロカルシュの口を塞ぐ。変な顔をする宿の主人に愛想笑いを向け、彼は相棒を捕まえたまま受付から離れた。横目に窓の外を見て、真っ暗な夜空に白雪がちらほらと舞う景色を苦々しく思う。


「……奴らがソルテに着いたんだな?」


「そう~」


「今日はもう動けない。そのまま見張っておけ。ぜってー見失うなよ」


「まっかして」


 遅れに遅れて追跡対象の魔力痕が霧散寸前だっただけに、ロカルシュが魔女を捕捉したのは朗報だった。翌日は日の出とともに宿を出て、昼過ぎにソルテの南にある麓町に入った。


「どうだ。奴らはまだ村にいるか?」


「ウン! ほかへ逃げる準備にモタついてるみたいネー」


「山の天気は」


「ここら辺は晴れてるけど、峠の辺りは雲が出てきてる~」


「一か八かだ。ここで逃がしたら特務の名がすたる」


「そう言うと思ったから道案内さんは捕まえといたよー」


 セナとロカルシュは麓町を素通りしてソルテへ続く登山道に入った。村があるのはそれほど高い場所ではなく、高地への順応は必要としない。道にしても、地元住人のほか行商人も使うので馬を連れて登れるよう整備されている。そのため勾配の緩い九十九折りの坂がひたすら続き、標高のわりにかなりの距離を歩くことになる。


 それでも目の前に獲物がぶら下がっているなら、セナは走らずにいられない。山中を縄張りとする狼に先導を託し、少年は着実にソルテへと近づいていった。


 ところが山の天気というのは変わりやすいもので、最初は順調に見えた行程も日が完全に落ちたあたりで怪しくなった。風が唸り声を上げて吹き始め、舞い上がった雪煙に視界も消え、狼は先へ進むことを拒んだ。

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