4‐10 死刑宣告
「聖人、とは何か。ジョンさん知ってる?」
「しらーん」
男は動揺していた。目を見開き、失望で口をひきつらせ。そうかと思えば口角を上げて歓喜の表情を作り、期待に胸を膨らませる。
「フ、フフッ! フハハハハハッ!! 何たる僥倖! 私が欲したのは陰の魔力だが、それはこの際どうでもいい。四属の上位たる光の魔力があれば私はっ!」
男は椅子に縛り付けられて数時間がたつ。血流を止められた手足は黒く変色し、痛みもあるだろうに彼はその苦痛を意に介さなかった。喉から手が出るほどほしかったもの、それが手中に収まりかけている現状で、彼にとって四肢など取るに足らないものだった。
ジョンが呆れたようにため息をつく。
「おべんきょうのつづき、したいのだけどー」
「嗚呼。お前には私の全てを授けよう。我が愛し子よ……」
歯が浮く台詞を口にした男にナナシは不快を表した。ジョンの態度にしても気に入らない。この男がいなければ勉強が捗らないのはそうだが、あんな上っ面の言葉を並べる奴に教えを請うなんて。
ナナシは頬を膨らませてプンプンと怒った。それでもジョンの邪魔はせず、雨音に耳を傾けて二人の会話を遮断した。
ジョンは次々と知識を得ていった。世界の地勢、歴史。聖人への希望、人類と魔女の因縁。魔法の応用、魔力の武器転用、などなど。彼女は一度聞いただけでその全てを覚えて理解し、自らの糧とした。
日が暮れ、あたりが暗くなってきた。
喉を枯らした男は生唾を飲み、机の上に座って本を読みふけるジョンに上目遣いで声をかけた。
「ジョン、我が子よ。お前は私の子だ」
「……そう?」
「これまでの償いは何でもする。お前が望むものを全て与える。だから」
「オトーサン。うるさい」
「す、すまない。だが話を聞いてくれ。頼む……」
その猫なで声には嫌気がさす。
ナナシは沈黙を破り、男とジョンの間に割って入った。
「オッサン。調子のいいこと言ってんなよ」
「他人のキミは黙っていたまえ」
「お前……立場が分かってないみたいだな」
ナナシが腰から鞭を引き抜き、高く振り上げる。
それを止めたのは、こともあろうにジョンだった。
「なな、まって。このひと、つぐなういった。なんでもくれるって」
「そんなの嘘かもしんないじゃん」
「しんぱいなし。オトーサンがうそつきかどうか、どうでもいい」
ジョンが机から飛び降り、ナナシの鞭を奪って男の前に立つ。
子供は鞭の先で椅子を叩き、父を責めた。
「オトーサン、ひどいひと」
「ほ……本当にすまないと思っている。これからはちゃんといい父親になってやるから」
「おかねとる」
「馬鹿を言うんじゃない。そんなことはしないよ」
「かけごと、つかう」
「まさか! 私は博打など――」
「おさけのむ」
「わ、分かった。酒は金輪際、飲まないから」
「はたらかない」
「何を言うんだ!!」
大声に細い肩がビクリと跳ねたが、ひるむことはない。一方でナナシは非常に驚き、膝を崩して尻餅をついた。
父親が言い訳に明け暮れる。
「わ、わ、私の研究を理解しない奴らがおかしいのだ。未知なるものを追究するのが院の理念だろうに、クソ! あんなところ、むしろ私の方から見限ったんだ! 家の連中も大馬鹿ぞろいで――」
「くちばっかり」
「黙れ! 私は異界学の権威だぞ!!」
「そういうとこー」
座っていてもなお自分より体格の勝る大人に、小さなジョンは臆することなく立ち向かった。その背中にナナシは自然と、幼い頃に見た理想の「いいひと」を重ねた。
弱気を助ける少女は聞き分けのない相手に鞭を振った。男の頬が弾け、ドロリとした血が流れ出る。
「おまえ。ぼくを、なぐる」
「なぐ、な、殴ったりなんてしてない、しない」
「けった」
「わ、私はあの小屋に行ったことなどない!」
「くび、くるしかった」
「女中か? 世話を任せていた奴がやったのか?」
「ななし、つらい」
「は?」
「ぼく。ぼくら、つらかったの」
「おい、いったい何の話だ?」
「おまえだよ」
また一振り。今度は魔法も伴い、目を切りつけて鼻を落とした。
男が悲鳴を上げたが、仕置きは止まらない。
「きらい。オトーサン、きらい。だいきらい」
腕と足を圧し潰し、死なない程度に追いつめていく。
「みんなきらい。たすけてくれなかった。つらいぼくらを、だれも。みてない。ぼくらはいるのに。たすけてほしいのに。どいつもこいつも」
ジョンが淡々と心情を語る。
外では厚い雲の中で雷鳴がうなり声を上げていた。
痛めつけられて血だらけの男は虫の息であった。椅子に座っていることも難しいらしく、座面から尻がずり落ちている。ジョンは鞭を振る手を休ませ、近くの床に落ちていた肖像を拾い上げた。
「これ、だれ」
「おまえ、の。はは……おや……」
「どこにいる」
「都……、カ、カシュニー、に……」
「なまえ」
「ノー、ラ……」
短く簡潔な尋問を終えると、ジョンは肖像を縦に引き裂いて捨てた。彼女は悠然と振り返って、呆然とするナナシに手を差し伸べる。
「ななし、いこう」
「ジョン……?」
「ぼく、ななし。いっしょにたすかる」
背後の夕暮れに雷光が走り、その閃光は少女のあどけない表情を信奉者の目に焼き付けた。赤々と燃える空の下、雨がバケツをひっくり返したように降り出す。遅れて聞こえた轟音が東から夜を連れて近づいてくる……。
ナナシはジョンの手を取り、自ら立ち上がった。
もう、誰かの悪意に捕らわれるのは終わりだ。
二人は手に手を取って、厭わしいものたちと決別するのだ。
その儀式に他人が水を差した。
「待って。たす……助け……、これを解いて……」
だらしない格好で懇願するゴミ。
ナナシとジョンは顔だけをソレに向け、
「またない。たすけない」
「ぼくら、くるしかったの。ぜんぶまとめて。いま、つぐなう」
慈悲を知らぬ口で宣告する。
「そこでしね」
処刑室の扉は閉じられた。大罪人は喉を震わせて喚いたが、気密のいい部屋作りのおかげで騒音は気にならなかった。
何ら憂うことのなくなったナナシとジョンは、晴れ晴れとした顔で寝室のドアを開ける。この家の主が使っていたとあってベッドは大きく、二人で寝ても十分に余裕があった。
「ふい~。つかれた、ました」
「ジョンは頭もフル回転だったもんな。夕飯、ここに持ってきてやるから少し休んでなよ」
「おてつだいするよ?」
布団の上を転がるジョンが顔を上げてそう言う。
ナナシは首を左右に振った。
「ジョンさんめちゃくちゃ頑張ってくれたからさ。お礼に美味しいご飯をごちそうしたいんだ」
「そうなの? じゃあ、おねがいしちゃうかしら……」
目を閉じてまどろむジョンの髪に、ナナシが口づける。
「お休み、僕の天使。愛してるよ」
「ぼくも。あい、してぅ~……」
ジョンは頭を撫でる大きな手を心地よく思いながら、すやすやと寝息を立てた。




