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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第一章「魔女になる覚悟」
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4‐10 死刑宣告

「聖人、とは何か。ジョンさん知ってる?」


「しらーん」


 男は動揺していた。目を見開き、失望で口をひきつらせ。そうかと思えば口角を上げて歓喜の表情を作り、期待に胸を膨らませる。


「フ、フフッ! フハハハハハッ!! 何たる僥倖! 私が欲したのは陰の魔力だが、それはこの際どうでもいい。四属の上位たる光の魔力があれば私はっ!」


 男は椅子に縛り付けられて数時間がたつ。血流を止められた手足は黒く変色し、痛みもあるだろうに彼はその苦痛を意に介さなかった。喉から手が出るほどほしかったもの、それが手中に収まりかけている現状で、彼にとって四肢など取るに足らないものだった。


 ジョンが呆れたようにため息をつく。


「おべんきょうのつづき、したいのだけどー」


「嗚呼。お前には私の全てを授けよう。我が愛し子よ……」


 歯が浮く台詞を口にした男にナナシは不快を表した。ジョンの態度にしても気に入らない。この男がいなければ勉強が捗らないのはそうだが、あんな上っ面の言葉を並べる奴に教えを請うなんて。


 ナナシは頬を膨らませてプンプンと怒った。それでもジョンの邪魔はせず、雨音に耳を傾けて二人の会話を遮断した。


 ジョンは次々と知識を得ていった。世界の地勢、歴史。聖人への希望、人類と魔女の因縁。魔法の応用、魔力の武器転用、などなど。彼女は一度聞いただけでその全てを覚えて理解し、自らの糧とした。


 日が暮れ、あたりが暗くなってきた。


 喉を枯らした男は生唾を飲み、机の上に座って本を読みふけるジョンに上目遣いで声をかけた。


「ジョン、我が子よ。お前は私の子だ」


「……そう?」


「これまでの償いは何でもする。お前が望むものを全て与える。だから」


「オトーサン。うるさい」


「す、すまない。だが話を聞いてくれ。頼む……」


 その猫なで声には嫌気がさす。


 ナナシは沈黙を破り、男とジョンの間に割って入った。


「オッサン。調子のいいこと言ってんなよ」


「他人のキミは黙っていたまえ」


「お前……立場が分かってないみたいだな」


 ナナシが腰から鞭を引き抜き、高く振り上げる。


 それを止めたのは、こともあろうにジョンだった。


「なな、まって。このひと、つぐなういった。なんでもくれるって」


「そんなの嘘かもしんないじゃん」


「しんぱいなし。オトーサンがうそつきかどうか、どうでもいい」


 ジョンが机から飛び降り、ナナシの鞭を奪って男の前に立つ。


 子供は鞭の先で椅子を叩き、父を責めた。


「オトーサン、ひどいひと」


「ほ……本当にすまないと思っている。これからはちゃんといい父親になってやるから」


「おかねとる」


「馬鹿を言うんじゃない。そんなことはしないよ」


「かけごと、つかう」


「まさか! 私は博打など――」


「おさけのむ」


「わ、分かった。酒は金輪際、飲まないから」


「はたらかない」


「何を言うんだ!!」


 大声に細い肩がビクリと跳ねたが、ひるむことはない。一方でナナシは非常に驚き、膝を崩して尻餅をついた。


 父親が言い訳に明け暮れる。


「わ、わ、私の研究を理解しない奴らがおかしいのだ。未知なるものを追究するのが院の理念だろうに、クソ! あんなところ、むしろ私の方から見限ったんだ! 家の連中も大馬鹿ぞろいで――」


「くちばっかり」


「黙れ! 私は異界学の権威だぞ!!」


「そういうとこー」


 座っていてもなお自分より体格の勝る大人に、小さなジョンは臆することなく立ち向かった。その背中にナナシは自然と、幼い頃に見た理想の「いいひと」を重ねた。


 弱気を助ける少女は聞き分けのない相手に鞭を振った。男の頬が弾け、ドロリとした血が流れ出る。


「おまえ。ぼくを、なぐる」


「なぐ、な、殴ったりなんてしてない、しない」


「けった」


「わ、私はあの小屋に行ったことなどない!」


「くび、くるしかった」


「女中か? 世話を任せていた奴がやったのか?」


「ななし、つらい」


「は?」


「ぼく。ぼくら、つらかったの」


「おい、いったい何の話だ?」


「おまえだよ」


 また一振り。今度は魔法も伴い、目を切りつけて鼻を落とした。


 男が悲鳴を上げたが、仕置きは止まらない。


「きらい。オトーサン、きらい。だいきらい」


 腕と足を圧し潰し、死なない程度に追いつめていく。


「みんなきらい。たすけてくれなかった。つらいぼくらを、だれも。みてない。ぼくらはいるのに。たすけてほしいのに。どいつもこいつも」


 ジョンが淡々と心情を語る。


 外では厚い雲の中で雷鳴がうなり声を上げていた。


 痛めつけられて血だらけの男は虫の息であった。椅子に座っていることも難しいらしく、座面から尻がずり落ちている。ジョンは鞭を振る手を休ませ、近くの床に落ちていた肖像を拾い上げた。


「これ、だれ」


「おまえ、の。はは……おや……」


「どこにいる」


「都……、カ、カシュニー、に……」


「なまえ」


「ノー、ラ……」


 短く簡潔な尋問を終えると、ジョンは肖像を縦に引き裂いて捨てた。彼女は悠然と振り返って、呆然とするナナシに手を差し伸べる。


「ななし、いこう」


「ジョン……?」


「ぼく、ななし。いっしょにたすかる」


 背後の夕暮れに雷光が走り、その閃光は少女のあどけない表情を信奉者ナナシの目に焼き付けた。赤々と燃える空の下、雨がバケツをひっくり返したように降り出す。遅れて聞こえた轟音が東から夜を連れて近づいてくる……。


 ナナシはジョンの手を取り、自ら立ち上がった。


 もう、誰かの悪意に捕らわれるのは終わりだ。


 二人は手に手を取って、厭わしいものたちと決別するのだ。


 その儀式に他人が水を差した。


「待って。たす……助け……、これを解いて……」


 だらしない格好で懇願するゴミ。


 ナナシとジョンは顔だけをソレに向け、


「またない。たすけない」


「ぼくら、くるしかったの。ぜんぶまとめて。いま、つぐなう」


 慈悲を知らぬ口で宣告する。


「そこでしね」


 処刑室の扉は閉じられた。大罪人は喉を震わせて喚いたが、気密のいい部屋作りのおかげで騒音は気にならなかった。


 何ら憂うことのなくなったナナシとジョンは、晴れ晴れとした顔で寝室のドアを開ける。この家の主が使っていたとあってベッドは大きく、二人で寝ても十分に余裕があった。


「ふい~。つかれた、ました」


「ジョンは頭もフル回転だったもんな。夕飯、ここに持ってきてやるから少し休んでなよ」


「おてつだいするよ?」


 布団の上を転がるジョンが顔を上げてそう言う。


 ナナシは首を左右に振った。


「ジョンさんめちゃくちゃ頑張ってくれたからさ。お礼に美味しいご飯をごちそうしたいんだ」


「そうなの? じゃあ、おねがいしちゃうかしら……」


 目を閉じてまどろむジョンの髪に、ナナシが口づける。


「お休み、僕の天使。愛してるよ」


「ぼくも。あい、してぅ~……」


 ジョンは頭を撫でる大きな手を心地よく思いながら、すやすやと寝息を立てた。

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