4‐8 お勉強
窓が割れて風通しがよくなった食堂で、床に転がる痛ましい冷凍死体もそのままに、ナナシとジョンは隣り合って遅い昼食を食べた。ジョンは頭蓋骨のポシェットを思いのほか気に入ったらしく、さっそく紐をつけて肩に掛けていた。巾着は見つからなかったので、骨の内側にはハンカチを敷いてある。
「そういや、何でジョンは窓から入れなかったんだ?」
ナナシはパンを頬張り、自分が割った窓に目をやる。
「わかんにゃい。みえないかべに、とおせんぼ。なかんじ」
「ジョンがついてこないもんだから、かなーり焦ったんだぞ」
ナナシはモグモグと口を動かしながら、自分の腕を抱いて震える仕草をした。
時間を少しさかのぼって……、
二人は小屋を出てすぐ、この食堂で裏庭を背に新聞らしきものを読む男を見つけた。それが書斎で縛り付けにされている男で、ナナシは遠目に彼こそがこの家の主人であると直感した。ついでに何気なくイラッときたので、拳大の石を拾い上げその頭めがけて投げつけた。石はガラス片をたなびかせて赤毛の後頭部に直撃し、男は新聞を手放して椅子から落ちた。
ナナシは割れた窓から屋敷に進入した。床に伸びている男が死んでいないことを確かめていると、さっそくメイドが一人、駆けつけた。
「ジョンさーん! 自分で勝手やっといて何だけど助けてー!」
「おうち、はいれない! ちょとまてて」
ジョンは毛玉から出した両腕をクロスしてバツ印を作った。
「え? 嘘でしょ!? 僕ここでひとりぼっち!?」
気の抜けた会話をよそにメイドがナナシに襲いかかった。ナナシは壁に飾られていた剣を手に取り、メイドが放つ火の玉や石の槍に向けて振り回す。
ジョンはといえば、屋敷の裏口へ向かっていた。異変を察知してドアを開けた男を足下から燃やしたのが功を奏し、のたうち回る火だるまがドアを開け放してくれた。
「あそこから、はいろっ!」
少女は細い足から想像もできない早さで地面を走り、くすぶる焼死体を飛び越えた。跳躍するがまま正面の壁に着地した矢先、もう一人のメイドと遭遇する。
悲鳴を聞きつけてやって来たメイドは突如として現れたジョンに度肝を抜かれ、隙だらけだった。それも無理からぬことではある。何せ少女は昨日まで小屋で飼い殺しだった髪の毛まみれの畜生なのだから。それが意思を持ち攻撃を仕掛けてくるなど予測できようはずもない。ジョンは床へ落ちる前に壁を蹴り、体を回転させて女の腹を上下に断ち切った。そして倒れた上半身を踏んづけて廊下を走る。
ジョンは給餌に来たことがある面々を思い出す。照らし合わせて、小屋でナナシが一人を殺し、食堂でもう一人と戦っている。裏口ではジョンが二人を始末した。
残るは一人だ。彼女は食堂への行きがけにそれを発見し、先を急いでいたので腹を刺して捨て置いた。最後にナナシをいじめていたメイドを背後から襲って痛めつけた。
それからジョンは討ち漏らしの確認に回り、ナナシが御館様を書斎に監禁したのである。
「ひと仕事終えたあとのご飯は美味しいなぁ」
ナナシは労働後の食事に感動を噛みしめる。
食材は厨房隣の食品庫から適当に持ち出した。生野菜とスクランブルエッグ、手当たり次第に焼いた肉と、ありったけのバターロールに不明果実のジャムを添えて。
「ななしのごはん、おいしい。たぶんこれがおいしい、いうやつ」
「ぜんぜん凝ったやつじゃないけど、不味くはないはずだぜ? 夕飯はもう少しちゃんとしたの作るから、楽しみにしててな」
「はーい」
二人は同じタイミングで食べ終わり、食器を持って厨房へ行く。後片づけまでが食事、というのがナナシの考えだった。石鹸で洗って水気を拭き取り、台の上に重ねておく。流しの排水溝にたまった生ゴミを捨てている最中、ナナシは何かを思い出したようにして上階を見上げた。
「ヤバ。オトーサン放置してすっかり忘れてた。腐ってるかも」
「だいじょぶよ。しんでたら、くさるのおくれさす。こおりづけで、くさいのきにならない」
耳を澄ませてみると、天井の遠いところからガタゴトともがく音が聞こえた。
「オトーサン、げんきみたい。これならいろいろ、おききできそう」
「お聞きするって、何を?」
「ぼくがしらないこと。しっておいたほうが、いいこと。たくさんある、ので」
「お勉強ってことか」
手を拭いたタオルをポイッと投げだし、ナナシはジョンと手をつないで二階に上がる。
書斎に近づくにつれて物音が大きくなってきた。その騒音が耳障りで、ナナシはドアを乱暴に開けた。屋敷の主は椅子ごと横に倒れて、風に吹かれるゴミのようにガサゴソと動いていた。
ナナシがそれを起こしてやり、ジョンは床に落ちている本を適当に拾って男の前に持っていった。
「よんで。はつおんと、もじ。てらしあわせておぼえる」
「そ、そんなこと……、一朝一夕にできるわけが……」
「だまらっしゃい」
ジョンは袖を振り、鉄の針で男の手を貫いた。男はくぐもった声で彼女に従う返事をし、途切れ途切れに本の内容を読み上げ始めた。それほど厚い書籍ではないが、全てを読むつもりなら一時間以上はかかるだろう。ナナシも横から覗いて言語を習得しようと試みたが、すぐに諦めた。
彼は出窓に腰掛けて屋敷を囲む巨樹を見上げる。
外は雨が降っていた。どうりで昨日から湿っぽいわけだった。太陽は雲に遮られ、わずかな日も枝葉に隠れる日中。ただでさえ陰鬱な景色がよりいっそう鬱陶しくなる。
緑が覆い茂る森のにおいが室内にいても分かる。
ナナシはそれを嗅いで生まれ育った田舎を思い出した。何と忌々しいにおいだろうか。職場から電車で一時間もかけて寂れた村のボロアパートに帰らねばならない絶望がよみがえる。
ああ、胸がムカムカしてくる。
彼は床に座り、膝の間に頭を埋めて瞼を閉じた。




