4‐7 まん丸の
二人は血痕を避けて歩き、「掃除」の途中で見つけたリネン室へ向かう。
「思ったんだけど、傷を治すのって難しくないの?」
「むずかしい。よ。でも、わかる。なんとなーく」
「ジョンさんマジ天才じゃん」
「それはわからない。しらないこと、いっぱいある。けど、できないことなし。とおもう」
「確かに知識は大切……なんだけど、文字が読めないんじゃ本からは学べそうにないな」
「しんぱい、なし。ぼくに、かんがえある。オトーサンを――、お?」
唐突に後方を振り返ったジョンの目が、動くものを捉えた。
通り過ぎた角の陰から手が這い出ている。
「く、そ……。院に……れん、らくを……」
ジョンは右足を軸に体を反転させた。スキップしながら廊下を引き返し、処理し忘れたゴミの前に立ちはだかった。白い毛糸のお化けにニュッと手が生え、石の剣を握る。
「いっけなーい。しまつしまつ~」
ジョンは容赦なく相手の頭頂部から顎を串刺しにしてかき回した。あとからナナシがついてきて、
「まだ生き残りがいたの? しぶといね」
「そういえば、このひと、おなかさしただけだった。みまわりのとき、いきひそめてたのかな」
「今度はちゃんと死んだ感じ?」
「だいぶじょ、だいじょぶ。ねんのため、こおりでかちこちも、したし」
「氷……? ああ、腐るのを遅らせるのか。風呂のあとでいいから、ほかのもやっといてくれると助かる~。臭いのヤだし」
「まっかしなさい。ぼくもくさくさは、いやいや」
廊下を戻って、リネン室のドアを開ける。手頃な籠が床に置いてあったのでナナシがそれを取り、タオルと使用人の着替えを適当に放り込んでいった。
彼はほかの部屋でハサミも調達し、風呂場までやってきた。ジョンが指先を振って脱衣場の明かりをつけ、さらに浴室のドアを開けてこちらも明るくし、中の様子をうかがった。
「おっけ。だれもなし」
「そこでジョンさんに提案です。その髪の毛、風呂の前に切っちゃわない? もちろん、お前が嫌なら無理にとは言わないけど。長いと洗うの大変かな~って」
「あら。たしかにそうかも。いいよ」
ジョンは浴室のドアを閉じ、ナナシがタオルを敷いた床の上にちょこんと座った。ナナシはハサミを右手に軽く構え、さっそく美容師に成り代わった。無論それは真似事で、彼の操るハサミはぎこちない。
ナナシはまず、絡まってダマになっている毛先を全て切り落とした。そして右を切っては慌てて左を切り、そうかと思えば後ろに回ってざっくりとやってしまい、「あ」とか「やべ……」とか不穏なことを言いながら、白い髪を短くしていった。その間、ジョンは目を閉じて鼻歌を歌っていた。
結果から言えば、ナナシのヘアカットは上手くいかなかった。どうしても片側が長くなって見えるので、まっすぐにできないなら斜めに整えてやろうと開き直ったまではよかった。だが、仕上げてみれば毛先は不揃いで、彼は目を開けたジョンに深く頭を下げた。
「申し訳ありません」
「みじかなって、あたまかるい。よいよいです。それよりおふろはいろ」
「おう」
長い房を肩の後ろに払いのけて、ジョンが両手を高く上げる。脱がせろということだ。ナナシは麻袋の肩部分を掴んで一気に引き上げた。
「エッ!?」
少年の体は袋で隠れていた胴体以外、どこもかしこも傷だらけだった。が、ナナシが目を見張ったのはそれが原因ではない。
「おま、お、お前……!」
「どうした?」
「女の子だったの!?」
「おんなのこ? そうよ」
「そうよって……」
ジョンの体つきはどこからどう見ても女子のそれだった。ナナシは自分の勘違いに目も当てられないとばかりに肩を落とし、クルリと後ろを向いた。
「風呂、一人で入れる?」
「ななし、おふろいらない?」
「僕はジョンが終わったらもらうよ」
「そか。ぼくひとり、できる」
「それなら僕は外で待ってる。ドアの前にいるから、何かあったら呼んで」
「わかた~」
ナナシは脱衣場から出て、浴室のドアが閉まる音を聞いた。壁に背中を押しつけてズルズルとしゃがみ込み、
「女子の体に傷作るとか、マジないわ。いや、たとえ男でも子供相手にあんなんあり得ないけど」
どいつもこいつも、ぶちのめして正解だった。
それからしばらく。ジョンはお行儀よく人生で初めての風呂を終えた。余りに静かすぎて、ナナシは彼女が浴槽に沈んではいないかと何度か声をかけたほどだ。
「びちょんこ、なった!」
タオルを体に巻いてはいるが、毛先から滴を垂らしたまま廊下に出てきた彼女を脱衣場に押し戻し、ナナシはしたたる水分を丁寧にふき取ってやった。
「なあ。お前の名前、今からでも女の子らしくジェーンに変えるか?」
「なまえ? ぼく、じょん。そのままでいい。ななし、つけてくれた。はじめての、だいじ。それがいい」
「……そんな大事にしてもらえるなら、もっとちゃんと考えればよかったな」
ジョンは用意しておいた着替えを羽織り、前のボタンをたどたどしく留めていく。ナナシの記憶をかいま見てやり方は知っていても、指を使って小さな突起を穴に通すのは不慣れだった。ナナシは手を出したい気持ちをぐっと堪えて、自分はジャケットやらネクタイやら、取って問題のないものを床に捨てていった。
「つぎ、なな。おゆだすの、わかる?」
「蛇口ひねればいいだけでしょ」
「うん。あかいほう、あつい。あおいほうで、ぬるくする。ぼく、さきにはいった。まほうでおゆ、つくっておいたから。すぐあったかい」
「そうなんだ。ありがとう」
「いいって、ことよ。ほかに、なにかあったら。よんでね」
「あいよ」
ジョンが脱衣場を出て行ったので、ナナシは手早く衣服を脱いで浴室に入った。室内には窓も取り付けられているが、巨大な木に囲まれるこの家はどこの部屋も暗い。壁にふたつある照明がぼんやりと光って、白いタイルを照らしている。
足付きの浴槽には新しい湯が張られており、ジョンが気を使って入れ直してくれたようだ。ナナシはシャワーの隣に設置された棚に石鹸を見つけ、血や泥を洗い流してから湯船に足を入れた。誰に急かされることなく、温かい湯にゆっくりと浸かれたのは初めてのことだった。
十分に温まって風呂を上がり、ナナシも拝借した衣服に着替える。糊のきいたワイシャツに黒のベストとスラックスを合わせ、靴は自前の物をきれいに拭いて履いた。記念日に自分で買ったこの革靴だけは捨てられない。最後に腰のベルトに鞭を差し、彼は装い新たに廊下へ出た。
ナナシという男は艶のない短い黒髪に生気のない半眼が特徴だったが、それはもう昔の話だ。下瞼の隈こそ残っているものの、眉はキリッと上向いて、褐色の瞳には苛烈な感情が秘められていた。やつれ気味だった好男子は活発さを取り戻し、少年のように生き生きとしていた。
「お待たせ、ジョン。ご飯にしような」
「はーい!」
ジョンは元気いっぱいに手を上げたり下げたり、大きく身振りをした。十年の不摂生で傷み放題の白髪がバサバサと舞う。斜めに切れた前髪の下から、宝石のように輝く大きな金の瞳がナナシを見上げた。目を縁取る隈が二人の共通点である。
出会った頃は白い毛玉お化けだった彼女は小さな猛獣へと変貌した。男物のシャツだけを着て腰のあたりを適当な紐で結び、余った袖をそのままにワンピースよろしく着こなしている。
「台所はどこだったかな」
「そのまえに、あれ。ほかのやつ、れいとうほぞんする。それと、よいあたまだとおもったの、ほしい」
「死体の頭がほしいの? 何でまたそんな……悪人をやっつけたトロフィー?」
「すきなかんじの、あたまだった。まるいのなでなでしたら、きもちよそう」
「頭が丸いのは当たり前だろ。四角いのなんて見たことないぜ」
「しかくいあたま。ある」
「左様でございますか」
ジョンは厨房手前の裏口に立ち寄り、ふたつの死体を凍らせた。胴体を横薙にされた女の頭部を刈り取り、少女はしたたるような血も残ってない生首をフワリと宙に浮かせて満足げに頷く。ナナシは半目を開けて絶命しているそれを気味悪そうに見つめ、ふとその頭にひらめきが舞い降りた。
「はっはーん。ジョンさん、それをポシェットにしたらどう? 中身を出して外身も剥いで、骸骨に紐を通して肩から下げるの」
「あっ! いい~!! ぽしぇと、ないすあでぃあ!」
「問題は目玉の穴から入れたものが落っこちそうなことだけど、巾着みたいな袋か、布を敷けば何とかなる……かな」
「ななし、ごはんするっ。そのあいだ、ぼく、ぽしぇとするっ」
「そうなの? ならそっちはお前に任せるわ」
「まかされよー!」
ジョンであれば面倒なナマモノ処理も魔法でチョチョイとできてしまう。彼女は悪趣味なハンドメイドポシェットを食事ができあがる前に完成させた。




