4‐6 御館様
ナナシは鼻歌を歌いながら、赤毛の男を椅子に縛り付けていた。その腕には魔法を封じる腕輪が装着されており、留め金をはめたジョンはここにいない。
彼は男の胴体を固定し終わったので、手足の拘束に取りかかった。血の巡りが滞るほどきつく締め上げる。その痛みが意識の覚醒を促し、男が目を開けた。
「う……」
隈に縁取られた執念深い緑の瞳が長い前髪の下から姿を現す。鼻の下に小さなひげを生やし、歯を噛みしめるのが癖なのだろう、口元には深いしわが刻まれている。後頭部には出血した跡があったが、そうでなくとも彼は顔色が悪かった。目に映るもの全てを妬む、陰湿で粘着質な視線がギョロギョロと周囲を見回す。
ナナシが最後の縄を結び終えた。
「あ。オッサンもう気づいたの?」
体を傾け、ナナシが男の視界に入り込む。彼は白いシャツを赤く染め、頭からつま先まで血だらけだった。腰には鞭を差している。
男が視線を下に向ける。床には折れた剣が転がっていた。それは食堂の壁に掲げてあった模造品だった。男は目を丸々と開き、血液が付着した剣とナナシとを見比べた。ナナシが剣を指して申し訳なさそうに言う。
「これ、壁に掛けてあったやつを借りたんだけど、使ってたら壊れちゃったんだ。ごめんね」
「き、貴様……! 何者だ!?」
「俺の名前はナナシってーの。オッサンは?」
「私の屋敷で何をやっている! 家の者はどうしたんだ!?」
「うるっさ。ひょっとしてお話が通じない人? 困ったな……」
ナナシは拾い上げた剣の腹で肩を叩きつつ、男に歩み寄る。
「アンタには聞きたいことがあってさ。ジョンについて、色々と教えてよ」
「ジョン……?」
「庭の小屋にいた子供のこと。知らないとは言わせないぜ、御館様」
「し、しら、知らない! 私は知らない!!」
「嘘つき。あんなでかい食堂で悠々とお食事なさってたんだから、アンタがこのお屋敷の主様なんだろ?」
ナナシは男にうんと顔を近づけて表情を細かに観察した。だがすぐに飽きてしまい、今度は部屋を物色し始めた。剣を放り投げ、壁一面の本棚を見上げる。
ここは男の書斎だった。
ナナシは棚から書籍を取り上げ、開いては顔をしかめて床に落としていった。
「言葉は通じてるのに文字は読めない。みんな外国人顔で、ジョンみたいな魔法使いがいて……何だっけ、こういうゲームだか物語だかの中に入っちゃうやつ。異世界ナントカ? 会社の後輩に薦められて何冊か買ったけど、よく分かんなかったんだよなぁ」
独り言を呟きながら散らばった本の上を行ったり来たり。
しかしこれもまたさっさと投げ出し、ナナシは机の引き出しを開けて中をかき回した。
そこで一枚の肖像を見つける。
「ねえねえオッサン。これ、何?」
二重底の下、後生大事に仕舞ってあったキャンバス。色はやや褪せているが、ブルネットの髪に灰色の瞳を持つ女は美しかった。顔に笑みはなく傲慢そうに見えるのがもったいないくらいだ。
男はそれを見て歯を食いしばった。
「それは私の妻だ。……妻、だった」
愛憎入り乱れて、男は怒りに悔しさをにじませて涙を浮かべた。
ナナシはその情動に白け気味となり、背中を反らして男から距離を取った。
「あっそ。これはどうでもいいや。それよりジョンのことだよ。あの子、どっかから攫ってきたの? それともアンタの実子?」
「馬鹿を言うな! あんな汚れた血統が私の子であるはずがない! あの女め、使用人と浮気を……」
「痴情のもつれは聞かなくていいです。とにかく、ジョンはアンタの奥さんが産んだ子供ってことね」
「知らん!」
「いやいや、知らないはずないでしょ。その年でヒステリーとかやめろって、みっともない」
ナナシは肖像を放り投げ、机に寄りかかって呆れたように天井を仰いだ。
「その様子だと、奥さんは死んだわけじゃなさそうだな。もしかして捨てられちゃった?」
「黙れ!! 私は捨てられてなどいない!」
「どうせ愛想が尽きてポイされたんだろ。アンタ見るからに面倒くさそうだし」
男は違うとわめいたが、ナナシはもう彼の言葉を聞いていなかった。
「あーあ。母親はガキこさえときながら知らぬ存ぜぬで出て行って。父親はそれを小屋に閉じ込めて飼い殺しとはね。ここには難しそうな本が山ほどあるけど、アンタには知性の欠片もないぜ」
畜生にも劣る悪辣な生き物。
親というのは何故、こうなのか。責任を持たなければならない子供の身にもなってほしい。
ナナシは心底の軽蔑を肺の底から吐き出した。そのついでに、「女の子だったら一緒に連れて行ってもらえたのかな……」。床に落ちた肖像画を見つめて悔しさを漏らす。
そこへジョンがピョンとジャンプして部屋に入ってきた。
「ななー。ぶっころろ、ちゃんとおわ、ってた。ら、おなかへりー」
この子供はこともあろうに、人間の小腸をくわえて引きずってきた。
「コラッ! 何でもすぐ口に入れるんじゃありません!」
慌てて駆け寄り、ナナシはジョンの頭をぺしりと叩いた。その拍子に口からクソ詰めの腸が落ちる。
「あとで僕がちゃんとしたご飯作るから。そんなの食べないでください」
「あい」
「もー、口の中まで血だらけじゃん。どっかですすいできて」
「りょりょ!」
白い毛玉はぺたぺたと素足を鳴らし、ペンギンのように体を左右に揺らして出ていった。ナナシが手を振ってそれを見送る。
「あれは、いったい誰なんだ……?」
信じられない奇跡を見たような顔で、男がナナシに問う。
「まさか、あの子は」
「オッサンが小屋で飼い殺しにしてた子」
「言葉をしゃべるなんて話は聞いてないぞ!」
「聞いてないも何も、アンタはそういうのなーんも知らないんじゃん」
ナナシは耳に指を突っ込んで男の非難を聞かず、部屋を後にした。
かと思えば顔だけをドアの向こうから突き出して、
「おっと、報連相を忘れちゃいけないよな。これから俺はジョンにご飯を作ってあげなきゃだし、風呂にも入ろうと思うので、オトーサンのお相手はひとまずここまでね。そこで大人しくしてろ」
「ま、待て! これを解いて行け!」
「馬鹿なの? ゴミは縛ってゴミ捨て場に置いとくのがルールでしょうが。常識ないのもいい加減にしてよ、恥ずかしい」
ナナシは痛々しいものを見る目で男を睨み、彼のわめき声を無視して書斎のドアを閉めた。
階段を下りて、近くの手洗いを覗く。
「おーい、ジョン~」
返事が聞こえたのは隣の扉からだった。赤いピクトグラムが張り付けられている方のドアが開いて、ジョンが出てくる。彼の目線はずいぶんと低い位置にあるし、女子用のマークが見えなくて間違えてしまったのだろう。
「ななし、どした?」
「ジョンさんお腹すいてるかもだけど、先に風呂いこうぜ。このまま食事するのはさすがに汚いし、綺麗にならないことには傷の手当てもできないからさ」
「そういえば、ごみそうじ、むちゅう。けがわすれてた。いま、なおす」
「そんなすぐ治せるの?」
「るる。まかーして」
ジョンは裂傷ひとつひとつに触れ、次々と自らを治療していく。裂けていた箇所は全て塞がり、やや窪んで引きつれた傷跡が残った。
「かんりょーう。ななしはけがない? オトーサン、あばれなかった?」
「おかげさまでね。魔封じの腕輪ってやつ? あれがなかったら僕も今頃そこら辺のゴミどもみたいに、オトーサンの魔法で引き裂かれてたかも」
「あぶない、あぶない。しょくどうのオネーサンにおしえてもらって、よかった、わ」
「教えてもらったって言うか、脅して聞き出したんだけどね」
「いひひっ。ぼくがやりました~」
ジョンが親指を立ててニッコリとしたので、ナナシも同じようにして笑い返した。




