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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第一章「魔女になる覚悟」
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1-3 異界の人

「そうしましたら、そちら様のお名前は……?」


 酩酊とまではいかないまでも、おぼろげな口調でソラが尋ねる。その問いには年長者が答えてくれた。


「私はスランと申します。貴方を運んできた子は娘のジーノ。毛布を用意したのが息子のエースです」


「スランさん、ジーノさん、エースさん……ですね。助けていただき、ありがとうございます。本当に死ぬかと思うほど寒かったので……お三方は命の恩人です」


「当たり前のことをしたまでですよ」


 名前でつまずいたのが嘘のようによどみなく話したソラであったが、言葉と態度の差異を危うく思ったスランは気遣わしい視線を送る。ソラはその目が煩わしくて、苦し紛れに話題をずらした。


「ええっと……ジーノさんって力持ちなんですね」


「そうでしょうか? 人並みかと思いますが」


「いや、私のこと腕に抱えて運んでくれたじゃないですか。背負うより負担が大きかったのではないかと」


「魔法で少し補助をしましたから、それほどではありませんでしたよ」


「そうなんですか。魔法で補助……まほう、で?」


「はい」


「魔法、まほう……」


 ソラは視線を落として口の中でつぶやき、目を止めどなくうろつかせた。口元に握り拳を当てて眉間にしわを寄せ、片手を挙げる。


「またまた、ご冗談を。魔法だなんてそんな。ハハハ……」


 彼女は下を向いたままだった。疑いをにじませるその声色にジーノとエースが奇妙な顔をする。スランが軽く腕を組み、ふむと唸って助け船を出した。


「お名前や外見から察するに、ソラさんは東ノ国(あずまのくに)のお方とお見受けします。そちらではまた別の呼び方があったような……エース?」


「彼の国では〈符術ふじゅつ〉と呼ばれていますね」


「そう。それをこの大陸では魔法と呼ぶのです」


 ポンと軽く両手を叩き、スランは「可愛らしい」という表現がぴったりの笑顔を浮かべた。しかしソラの表情は曇ったままだった。


「そうではなく。私は魔法そのものに対して……」


 そこで一度、彼女は話題を区切って別の問いを口にする。


「失礼。ひとつ確認させていただきたいのですが、ここって、あの……どこです? 何という国のどの町とか、教えてもらえたらありがたいんですけど」


「ここはグレニス連合王国、北方ペンカーデルのソルテ村ですよ」


「アー、……聞いたことないですね」


 ソラは己の耳とスランたちを疑うが、目の前の三人はそろって真面目な顔だった。彼らが嘘を吐いているようには見えない。架空の国をでっち上げてソラに悪戯を仕掛けているわけでないのは確かだ。


 そうと分かっているのに、ソラはなおもスランたちを訝しむ。一向に不信感が拭えぬその理由は、靄のかかった意識の中に自身の来歴がよみがえったからだった。


 ソラは生を受けてから二十七年間のうち、最近の記憶を引き出す。


 アオイ・ソラという女は人生について思い悩んでいた。それもこれも、体を病んで死生観が一転してしまったがために。五年勤めた会社を辞めた現ニートは貯金を切り崩しつつ、埋まらない空虚を胸に抱えながら日々を過ごしていた。本人はひどく人生を悲観しているが、視野を広くすれば彼女の境遇などありふれたものだ。どこからどう見ても、ソラは現代日本に生きるごく平凡な一般人にすぎなかった。


 それを自覚して、ソラは自分を助けてくれたスランたちを見る。


 外国人の見た目である彼らは流暢な日本語を話し、魔法がどうのと言っている。ソラはまだ元気があった頃、人が紡いだ物語に没頭する趣味があった。主にファンタジー作品を好み、最近の流行も嗜んでいた。その知識から推測するに、


「もしやここは、異世界……?」


 言いながらソラは自分の頭を心配した。


 ついに幻覚を見るまでになったかと内心で大いに慌てふためいていた。


 確かにここのところ元気はなかったが、妄想を現実と思い込むほど病んでいるつもりもなかった。むろん、人の精神は繊細で何がどう作用するか本人にも分からないものである。からして、もしや実際のところは幻想を見ながらどこぞで倒れており、病院送りになっている最中やもしれない。


 それはよくない。とても。非常に。


 ソラは焦燥感を強め、またしても顔が土気色になってきた。指先で虚空を掴む彼女の手をジーノがそっと握り、スランをうかがう。


「気分が優れないご様子です……」


「困ったね。エース、何か見立てはあるかい?」


「もしかしたら記憶が混乱しているのかもしれません。服装からしても訳ありのようですし、健忘の症状によっては師匠に助言を求めた方がいいかも……」


 そこでジーノがアッと声を上げた。


「すみません、お父様、お兄様。ソラ様に関して、お伝えすべき重要なことがありました」


 ジーノはソラの手を離さないまま、今まですっかり忘れていた彼女との出会いを語る。


「ソラ様は聖域の祠からお出でになられたようなのです」


「何だって? それは本当なのかい、ジーノ」


「嘘ではありません、お父様。ソラ様は確かに、自然結界の内側に立っておられました」


「ということは……」


 スランは仰々しい視線でソラを見やる。


「ソラ様は異界のお方だったのですか」


「ンェ……、は? 待って。何ですって? 異界?」


 自分の妄想を否定することに躍起だったソラは、自分でも驚くほど大きな声で聞き返した。


「い、異界というのは? それはどういう……」


「こことは異なる、世界の外から招かれし尊きお方。祠より参られた貴方様は聖人であらせられる」


「異なる世界、の。聖人!?」


 ソラとしてはいよいよ現実に戻らないとまずい状況だった。自分を異世界召喚された勇者と主張するなど傍目にかなりイタイ状況だ。心を病んだのは仕方ないにしても、問題が解決したあとに黒歴史として傷が残るのは勘弁してほしい。


 腹から胸に欠けて冷たい手で臓器を圧迫されたような感覚があり、ソラは吐き気に近い不快感を覚えた。口の端をひきつらせて首を左右に振り、痛々しい妄想を否定する。


「何ですか聖人って。チート能力を持った特別な人間とかってやつです?」


「ちいと? とは?」


「ないない、私に限ってそんなこと。いい意味での特別待遇なんて、今さら」


 やはりこれは甘い夢なのだ。


 彼女は過去の経験から、まず穴に落ちることを知っている。この場合は目を覆いたくなる中二病的な幻覚が「穴」で、それから覚めることが「幸運」であるに違いない。ソラは自虐の表情を浮かべ、苦し紛れに頬をつねる。


「イテテテいや痛いな普通に!?」


「お止めください、ソラ様」


「でも早く目を覚まさないと私の名誉が」


「ソラ様」


 今度は両手で頬を掴んだソラをジーノが強い口調で遮った。


「混乱なさっているのでしょうが、人の侵入を阻む結界の内よりお出でになった貴方は間違いなく聖なるお方で――」


「やめて」


 これまでの軽薄な様子から一転して、ソラは深刻な顔つきでジーノの言葉を拒絶した。


「っ……、すみません。でも、違います。絶対に」


 小声になりながらもソラは幻をかたくなに拒否した。その頭ごなしな態度にスランとジーノは眉をハの字にして、がっかりしたふうだった。


 一人、傍観していたエースは双方の言い分を確認する手立てがないかと考えていた。


「では……、ソラ様に証石しょうせきをお持ちいただくのはどうです? ジーノの証言を疑うわけではありませんが、仮説の証明は複数の視点から行われるべきです。結果が目に見えれば、ご本人にも納得していただけるでしょうし」


「あ、ああ……。そうだね、それがいい」


 平然としているエースにつられて、期待と失望が入り交じるスランの眼差しが中立に戻った。一方で、ジーノはソラが「自然結界」の中に立っていたのを自分の目で見たこともあり、兄の提案に瞳をキラキラと輝かせた。


「では、礼拝堂へ行きましょう。さあ、早く早く!」


 少女はピョンとその場で飛び上がり、気後れするソラの手を取って礼拝堂へと行きたがった。ソラは靴を借り、毛布を被ってフラフラとジーノについて行く。

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