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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第一章「魔女になる覚悟」
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3‐6 魔法院へ

 約束の時刻が来た。魔法院からの迎えは太陽が昇りきってから教会へ姿を現した。四人が向かい合って乗れる箱型の馬車から一人降りてきた男が案内係で、ソラが魔封じの腕輪を装着しているのを見ると、彼は満足そうに鼻から息を吹き出して顎を上げた。さっさと馬車に乗れと言いたいようだ。


 ソラは瞼をいつも以上に腫れぼったくして、睡眠不足なのかあくびをした。ジーノとエースの顔は暗澹として元気がなく、ここにきて無気力な様子のソラをしきりに気にしていた。


 馬車に乗り込み、男がドアを閉めた。御者が馬に鞭を打つ。


 がらがらと車輪が回り始め、ソラは振動に頭を揺らしながら窓の外を見た。といっても彼女は氷都の風景に興味などなく、目をつぶって物思いに耽った。


 考えてしまうのは、昨日のことだ。


 家族の記憶が消えていると発覚して、単に「思い出せない」のとは違うと感じた。それは家族に対する感情や思いが何ひとつ浮かんでこなかったからだ。知識として、親や兄弟がどういうものかは知っている。けれど自分にそういう存在がいた実感は全くない。


 寂しさすらも感じないことにソラは愕然とした。


 一方で、眠れない夜のうちに気づいたこともあった。家族と過ごしたはずの「経験」はアオイ・ソラという人格に刻まれ、覚えているらしいのだ。


 まず、家族というものに嫌悪はない。


 スラン親子のやり取りを微笑ましく思い、ミュアーたちとの触れ合いも楽しかった。他人同士が親しくする光景を羨んだり、妬んだりする気持ちはソラになかった。


 どうして家族を忘れてしまったのか。突き詰めて真っ先に思いつく理由は「不仲」だ。関係性を消し去りたいまでに破綻した家族仲だったのなら、それは納得のいく理由だ。しかし、よそ様の家庭を見て胸を温かくする自分が、家族関係の消却を望むほど嫌っていたとは思えない。


 ソラの中に残っている「経験」からするに、家族仲は良好であったと仮定しよう。その上でソラは脳内で再び推理を繰り広げた。


 結果として、どうしても辻褄の合わない部分があった。自分の心理状態というか、認知というか。それが歪んでいる気がしてならなかった。


 なぜアオイ・ソラはこんなにも過去を恨み、記憶の中の他人に怒りを覚えるのか?


 家庭環境がまともだったのなら、両親や兄弟姉妹はソラの■■という最大の不運に団結して立ち向かってくれたはずだ。しかしそういった記憶が消え去ってしまった今、慰められたであろう事実も、隣に寄り添い元気づけてもらったこともソラは知らない。


 幸福とは、個人の人格を形成する上で重要な要素だ。そう思うからこそ、ソラはある可能性にたどり着いた。


 ――元の世界の私は、ここまで卑屈ではなかったかもしれない。


 記憶を失ったことで生じた不整合を無理やり正し、正気を保つために人格をねじ曲げたのではあるまいか。もしもそれが真実ならば、ここにいる「アオイ・ソラ」は「青井空」と地続きの同一人物だと言えるのか?


 その答えは出ていない。出したくないし考えたくもなかった。


 葛藤すればするほど感情が冷めていく。


 目に映るものは全て無価値で、色も音もなくなって。


 喜びも悲しみも消え失せてしまい、


 仄暗く燃える怒りだけが胸に残っている。


「……」


 ソラはおもむろに瞼を持ち上げ、前から後ろへ流れていくペンカーデルの風景を眼球に反射させた。白々しい町並みの中で、人影がうごめいている。


「ソラ様、顔色が悪いです……大丈夫ですか?」


 ジーノがソラの顔をのぞき込む。少女の美しい顔も今のソラには彫刻のように素っ気なく見えた。ソラはパッと笑顔を張り付けて頷いた。


 馬車はそれほどかからず目的地に着いた。城壁を越えて前庭の噴水を迂回し、大きく重厚な観音開きの扉の前で止まる。外から車のドアが開き、案内役の男に続いてソラと兄妹が降りた。


 建物を見上げる。


 ソラの頭に浮かんだのは、「でかい城」。もはや感想でもなく見えたままを言葉で代替しただけだった。他方、エースの印象はといえば、「見るからに悪の巣窟」。ジーノはその風格にただただ圧倒され、口を硬く引き結んで緊張していた。


 案内役に導かれて建物に入り、吹き抜けの螺旋階段を上って五階へ。男は奥の華美な扉を開けて、


「中へ。元老がお待ちだ」


「……ご案内いただき、ありがとうございました」


 男は頭を下げたソラに変な顔をした。ソラたちを室内に入れて、ドアが閉じられる。


 部屋には巨大な執務机に向かう一人の老人がいた。空間の主然として、この人が案内係の言った「元老」なる人物なのだろう。ソラが入ってきたドアの近くにも手強そうな男が三人控えていて物々しい。空気が重くよどんでいる。


 ソラは居心地が悪くて、兄妹の様子はどうかと首を巡らせた。二人は目に見えて体が固まっていた。特にエースは顔面蒼白で、嫌悪と言うよりは恐れを抱いて見えた。ソラが彼に声をかけようとしたとき、老人が咳払いをして机を叩いた。


 しわにまみれ、皮膚のたるんだ髭面の翁。顔つきは温厚と正反対で、その目には猜疑と嘲弄と嫉妬に満ち満ちていた。常に顎を上げて鼻の穴がよく見える。あからさまに強圧的なこの男は、他者を踏みにじることに何ら抵抗を感じない人格破綻者に見えた。


「貴様が書状にあった者か」


「はあ」


 ソラは面倒くさそうな顔をして、呼ばれるがまま元老のもとへ歩いていった。エースとジーノは入り口の男たちに阻まれて進めなかった。


「初めまして。アオイ・ソラと申し――」


「よい。名前など取るに足らぬ」


「……」


 今となっては他人みたいに聞こえる名前だが、一個人を表すそれを取るに足らないとはひどい言いぐさである。見た目通り、偏屈で窮屈な老人らしい。ソラは分かりやすく嫌な顔をして老いぼれから視線を外した。


「儂は急がしい身であるゆえな。早うそこにある証石を持って貴様の魔力を見せてみよ」


 ソラは憮然としつつ老人の言に従った。机の中ほどに置かれた石に手を伸ばし、手のひらに乗せた途端、白と黒に色を分けたそれを老人に示す。


「これはまさに。疑いようもない」


 元老は髭を揉み、その手を机の影に隠した。


 同時にエースが控えの男を押し退けてソラに駆け寄ろうとし、後方に吹き飛ばされた。


「え……?」


 振り返ったソラは拘束される兄妹を見て、何が起こったのか分からずに呆然としていた。


「な、何をするんですか!? 二人を放して!」


 元老に翻り、ソラは金切り声で叫んだ。


 老人は杖を掲げ、言う。


「口を閉じよ、痴れ者」


 杖頭の石が光り、目に見えない縄がソラの足を縛り上げた。バランスを崩して転倒したソラは床に這いつくばり、それでもとっさに腕を張ってエースたちに体を向ける。だが、その腕も後ろ手に捻り上げられてしまった。


 元老はソラのもとまで来て後頭部を杖の尻で押さえつけた。地に額を擦りつける無様な姿を見下ろしてクッと笑う。


「卑しい魔女め」


「誤解だ! その方は魔女ではない!」


「耳につく。黙らせろ」


 元老はソラから目を離さないまま口だけで指示し、エースを拘束する男のうち一人が彼の腹を蹴った。ソラの目には床しか見えなかったが、ジーノが悲鳴を上げたことで二人に危険が及んだと分かった。


 ソラは不格好と分かった上で、じたばたと体を揺すって怒声を上げる。


「やめて! 二人には手を出さないで!!」


「やかましい女だ」


 元老は頭を押さえていた杖でソラの顎を上げ、直後に頬を打った。勢いで真横を向いたソラの顔に血がにじむ。杖の尻は薄くなっていた傷跡を深く抉った。

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