3‐5 教会文庫
エースは教会に併設されている文庫を訪れ、古い文献を手当たり次第に読み漁っていた。一冊を手に取って表紙を開き、視線を斜めに動かして二度まばたきをしたくらいの時間で次の頁をめくる。
ふとしたところで部屋の隅にある鍵付きの書架に目をやり、
「あちらも確かめることができたら……」
閲覧禁止書籍が収められたそこに入れるのは、魔法院から許しを得た者だけだ。教会の関係者でも、院に関わったような経歴がなければ許可は下りない。
それだから、エースは王国の歴史から何か手がかりを見つけられないかと躍起になっていた。それらしい題目の本を片っ端からめくって、関連がありそうな記述を頭に記録していく。
手を止めることなく内容を変えていくうちに、エースは気になる一文を見つけた。
「異界より来たりし女、その幻脈に陰りあり。長き旅の末、怨念を纏いて悪しき道へ落つ。黒き業を以て世を呪い……」
エースは巻末の執筆年を確かめる。年数は現在の王紀と様式が異なり、大陸が統一される以前の書物であることが分かった。こういった文献をもとに伝承記は編纂されたわけだが、エースには見逃せない相違があった。
伝承記、曰く「魔女、異界の地より怨念に囚われ、魂のひずみ故に幻脈曇りたる。彼の者が振るうは黒き業にて、大地を災厄で覆いけり」。つまり怨念によって悪しき陰の魔力が生じたとある。
しかしエースが手にしている本では、まず「魔力に陰りがあった」と書かれている。怨念との因果関係については明確に言及されていない。
「編修の段階で解釈が変わっていったのか? あるいは意図的に……? ほかでも同様の記述が見つかれば検証できそうだけど……」
魔力の陰りと、悪しき力。それは怨嗟によってもたらされたものだと言うが、ソラを見れば果たして真実なのか怪しい。
彼女は家族が思い出せないと言った。幼い頃に死に別れて顔を覚えていないような、と。その顔に悲嘆や絶望はなく、彼女は家族への愛着もなくしてしまっていた。「何もない」と口にした彼女はその事実にさえ無関心であった。
エースは本を棚に戻す。
不意にジーノの顔が浮かんだ。
妹は物心がつく前に両親を失っている。エースは両親の顔を今でも覚えているが、ジーノはおそらく違う。肖像なども残っておらず、妹は両親の面影を自分と兄の顔に見るしかない。
そこに愛情は存在するのだろうか?
いいや、記憶とは揺らぎ変貌していくもので、エースのように過去の詳細を忘れないでいられる方が珍しい。その特異な能力を生かして、エースは妹に両親との思い出を語り慰めたことがある。そうして、ジーノは聞かされた話を自分なりに解釈し、亡き両親への愛情を育んできたのだろう。
その一切を奪われてしまったソラが気の毒でならない。
彼女には支えとなるものが必要だとエースは思った。自分たちにとってのスランのような心の拠り所が。
一人で苦しみを抱え込ませてはいけない。
見捨ててはいけない。
守らなければならないのだ。
エースは自分の肩を抱いて体を小さくした。
「失礼。そこの方」
「――ッ!? は、い!」
「勉強熱心なのは感心しますが、もう文庫を閉める時間です」
「そ……う、ですか。もうし……申し訳、ありません」
文庫を管理する魔法院の司書に閉館を告げられ、エースは不自然なまでに動揺して後退った。
「貸し出しの手続きであれば、いたしますが?」
「いえ、その……、今後の予定が、はっきりしないので……遠慮させていただきます」
「そうですか? 分かりました」
エースは逃げるようにして文庫から宿坊に戻った。与えられた個室に入り、閉めた扉を背中でずり落ちた。今夜に限って一人きりの部屋で、エースは腰の剣を鞘ごと抜いて腕に抱えた。
口元を押さえ、浅く早い息を繰り返して床に横たわる。
「嫌いだ……嫌いだ……。こんなの……、間違ってるのに……!」
嫌悪と同時によみがえるのは、体の芯に染み着いた恐怖。
青年のか細い呼吸が、夜のしじまにいつまでも聞こえていた。




