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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第一章「魔女になる覚悟」
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3‐4 氷都ペンカーデル

 氷都の中心地、段丘南部の町を守るのは往時の城壁である。と言っても、整備されてはおらず岩塊が点々と無造作に配置してあるだけだった。対して都の上空を走る黒染めの紐は等間隔で張り巡らされている。


 都入りしたソラはそうした魔物除けをくぐる際、自然と頭を下げた。個人の家にお邪魔するわけでもないのにそんな仕草をした自分に、未だにこの世界でお客さん気分なのかと呆れてしまう。彼女は手袋をしたまま頬をやんわりとつねり、気の緩みを正した。


 ペンカーデル地方の建築は勾配の急な屋根と太い柱、漆喰の壁というのが特徴らしい。氷都にしてもソルテと同じ様式の建物が多く見られる。住宅街を抜けて商店の通りへやってくると、この寒空の下に露店が出ていた。夕食時とあって客は旺盛に商品を買い付け、子供が親に菓子をねだる声も聞こえた。店先の品ぞろえも潤沢で、魔女に呪われた暗い時代でも人々は生きることを諦めていないのが分かった。


 どんなに辛くとも、人は働き、食べ、寝て、子は遊ぶ。


 嬉しいことがあれば祝い、悲しいことがあれば悼み、そうして日々を過ごしていくのだ。


 ソラは感慨深く町の様子を眺め、やがて大きな教会の前まで来た。


「魔法院に直で行くんじゃないんだ?」


「それだと門前払いでしょう。こちらの大祠祭様に頼んで、面会の約束を取り付けてもらうつもりです」


 魔法院とは学術組織なのだから、研究成果を盗まれる危険がないよう部外者の出入りを制限するのは当たり前だった。しかし、エースの影響でネガティブなイメージが強いソラは心証を悪くして苦い顔をした。


 三人は馬を厩舎に預けて、ソルテ村とは比べものにならない大きな礼拝堂の扉を開いた。小さな家なら二、三件は入りそうな規模の堂にソラのみならずジーノとエースも圧倒され、扉を閉めるのも忘れてあんぐりと口を開ける。何を隠そう、兄妹も氷都の教会を訪れるのは初めてなのである。


 堂はランプ内の蓄光石により淡く照らされ、ドーム状の天井に落ちる影が静謐な雰囲気を醸し出していた。アーチ窓のステンドグラスも暗くなりがちな冬の季節を鮮やかに彩り、まさに心の拠り所となる温かな場所であった。


「もし。何かお困りのことがありましたか?」


 圧倒される田舎者に教会の修道僧が声をかける。ハッとしたエースは懐から二通の手紙を取り出し、その一通を男に手渡した。


「ソルテ村からやってきました。大祠祭様にお取り次ぎをお願いいたします」


「お預かりいたします……ふむ、スラン祠祭のお使いの方ですね。確認を取って参りますので、少々お待ちください」


 男は礼拝堂奥の長椅子まで三人を案内し、身を翻して事務所がある別棟へと走っていった。それほど待たされずにソラたちは宿坊へ通され、エースが大祠祭に用件を伝えに行った。


 今日の部屋は男女で分かれることになり、ソラはジーノと氷都の感想を語らいながらエースの戻りを待った。


 彼は夕食の時間直前に部屋のドアをノックした。


「お帰り、エースくん。お話はすんなり通った?」


「明日の昼過ぎに、魔法院がこちらへ迎えを寄越してくれるそうです」


「明日のお昼ですか? 私はてっきり、すぐにでも院へ向かうものと思っていました」


「だから荷物も広げないで待ってたのにね。しかも、明日の朝一番でもなく昼過ぎに来いだなんて。急いでないみたいだし、これは楽観してもいい……のかな?」


「ソラ様、この時間を使って氷都を観光しましょう。ぜひ!」


「そんなこと言って、ジーノちゃんが見て回りたいだけなのでは~?」


「それもあります」


 キャッキャと明日の予定を立てる二人に、エースが表情を暗くして言う。


「あの、ソラ様。大祠祭様からはこんなものも預かっておりまして」


「ん? 何でしょう?」


「……魔封じの装具です」


 彼が差し出したのは幅三センチほどのブレスレットだった。飾り気のない真鍮製のそれには半球の石が留められ、光を反射して球面が猫の目のように光った。


「それはつまり、魔法を封じる効果がある?」


「はい。念のため付け加えますと、これは主に……罪を犯した者に科せられるもので、装着したまま出歩くというのは、その……」


「万が一、袖から見えてしまったら体面がよろしくないと」


「その通りです」


「うん。私めちゃくちゃ警戒されてるわ」


 それどころか、大祠祭は「魔女」と聞いて恐怖に震え上がり、エースに腕輪を投げ渡したのだった。


「数秒前のお気楽な自分をひっ叩きたい」


「腕輪は留め金の石が閉じた者の魔力を記憶し、その者のみ再び開くことができる仕組みです。今回であれば俺がお着けしますので、外出時に外すことは可能ですが……」


「つけてないところを見つかったら大問題だ。ただでさえ薄い信用がゴミクズになりそうだから、やめとこう」


 ソラは悲愴を全身で表現して、ベッドに顔面から倒れ込んだ。


「あーあ。これはいよいよ穴に落ちる気がする。今でも落ちてるようなもんなのに、さらに掘るのか。つらぁ……」


 布団に突っ伏したままソラが左手を伸ばし、どうぞ腕輪を着けてくれと身振りした。エースはやるせなくて、ためらいながら彼女の手を取った。細い手首に無骨な装身具を通し、金具をパチンと閉じる。ソラはもぞもぞと芋虫みたいに動いて手を引っ込め、両腕を踏ん張って上半身を起こした。


「まっ、しゃーないってことで。とりあえず今日はご飯を食べて寝る。何なら明日の昼までグースカ寝る!」


 無策も極まるが、出たとこ勝負でどうにかするしかない。これまでだって落ちた穴から這い出てこれたのだ。己のささやかな幸運を信じると決めたソラは体を返してベッドに座り、締まりのない顔で現実を笑い飛ばした。


「いやぁ。キミたちが本当によくしてくれるから、弟妹と旅行してるみたいで楽しかったよ」


「そのように寂しくなることを言わないでくださいまし、ソラ様。明日は私たちも一緒に参りますので。そうですよね、お兄様?」


「うん。無理やりにだってついて行くつもりだよ」


「でも、エースくんは魔法院が嫌いなんじゃん? そこに乗り込むのってしんどくない? 大丈夫?」


「そんな弱音、言ってられません」


 眉を勇ましくつり上げるエースに、ソラは目尻にうっすらと涙を浮かべて下を向いた。


「ありがとうね。二人のおかげでめちゃくちゃ心強いです」


 室内がしんと静まる。遠くに夕時の喧噪が聞こえて、余計に静寂が強調される。


 湿っぽくなってしまった雰囲気を払拭したいジーノがぽんと手を叩いた。


「そういえば、これまで私たち家族の話はたくさんしましたのに、ソラ様のご家族についてはお聞きしていませんでしたね。ご兄弟はいらっしゃいましたか?」


「兄弟? 確か……、っ!?」


 これまでにもたびたび側頭部を刺してきた痛みにソラが顔をしかめる。


 家族。


 自分を育ててくれた両親。


 ともに成長した兄弟姉妹。


 どんな言葉を交わしたか思い出そうとして、


「……何も、ない」


 頭に映し出されたのは空白だった。


 がらんどうの白、または底知れぬ闇が胸の真ん中に広がっている。


「何かが足りないって、ずっと思ってた……」


 心の中にあった、パーツが欠けたまま埋まらなかった場所。


 そこに何があるはずだったのか、ようやく明らかになる。


「思い出せない……? いや、覚えてない……っていうのも何か変だな。私がこうして存在してるんだから、親はいたはずなんだけど……顔も何も、いたかどうかも。家族に関することが……」


 記憶からごっそりと抜け落ちている。


「ソラ様……?」


「家族はいたんだ。うん、いたはず。でも、まるで初めから一人だったような、幼い頃に死に別れて顔を覚えてない、みたい……? いや、それすらも分からない」


 兄弟がいるかと聞かれて、そんな質問にはイエスかノーですぐに答えられたはずなのに、「確か……」と言いよどんだ時点でおかしかった。


 家族に関する記録が、


 感情を含む記憶が。


 あまりにも不自然に、


「何もない」


 頭痛は消え去り、代わりに空虚の境界がはっきりと浮かび上がった。


 それでもソラはあっけらかんとして、夕食もしっかりと食べた。本来であればショックで喉も通らないだろうに、本人はまるで平気だった。


 記憶の喪失による不利益がないことを幸運と言っていいものか、ソラにも分からなかった。

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