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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第一章「魔女になる覚悟」
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3‐2 出立

 灰色一色の雲の下、ソラは馬にまたがってなだらかな丘陵地帯を進んでいた。彼女の後ろにエースが同乗しており、彼は髪をポニーテールでまとめていた。荷物をくくりつけた隣の一頭には三つ編み姿のジーノが乗っている。


 ソラたちは昨日の早朝、ソルテ村を発った。さかのぼること三日、聖域の調査を断念して教会へ戻ったタイミングで、外の郵便受けに飛来物がガサッと音を立てて突っ込んだ。気づいたスランが箱を探って中のものを取り出すと、それは鳥の翼を模して折られた手紙だった。


 この世界では通常、郵便物は獣使いが使役する動物か人の手で運ばれる。しかし急を要する場合には魔力を帯びた紙に文字を書き付けて「飛ばす」ことがある。スランはソラの件を獣使いによる速達で魔法院に報告したが、相手は急報で返してきた。念のためにと魔力を込めた返信用の手紙を同封したのが役に立ったのだ。


 魔法院はすぐにでもソラを氷都ペンカーデルへ連れてくるようにと言った。


 そういうわけで、旅立ちの準備に一日を費やして、ソラはソルテを出立した。エースとジーノは氷都までの案内人兼護衛としてついてきた。半日かけて南の麓町へ下り、その日は夕方までに到着可能な最寄りの教会を目指して道を進んだ。


 地図によれば、氷都へは主に平原に敷かれた街道を行く。場所によっては深い森を通り抜けたり、平野にせり出した山麓を迂回する道筋となり、直線的な移動は難しい。目的地まではおおよそ二十日ほどかかる予定だった。


「ソラ様、どこか痛いところなどはありませんか?」


 小雪が降る中、口元まで覆う襟と帽子の間からエースが聞く。同じような格好のソラは姿勢を崩さないよう、振り返らずに答えた。


「大丈夫だよ。お馬さんも乗るだけなら何とかなるから」


 大学に通っていたとき、ほんの二年ほどだが乗馬の経験をした。五年以上のブランクはあったが、尻と腰を痛めながら上下に揺れた記憶はしっかり体が覚えていてくれた。おかげでソラは馬やエースに苦労をかけることなく旅路を進めた。


「そういえば、魔物に遭遇する危険ってないの?」


「ないわけではありませんが、小さいながら黒泥石のお守りを持っていますので、それほど心配する必要はないと思いますよ」


「コクデイセキ?」


「これです」


 エースが手綱を片手に、腰袋から小さな巾着を取り出した。彼は口を結んでいた紐を解き、キメの細かな黒い石を手のひらに転がした。ソラはそれをまじまじと見つめ、指先で一度だけつついて素早く引っ込めた。


「魔物除けの結界にも使われている、魔物が嫌う岩石です」


「結界の黒い糸は、その石から作った顔料で染められているのです」


 隣のジーノも自分の腰袋を指し、兄妹でひとつずつ持っていることを示す。


「近年は産出量が減っているそうで、小さなものでも貴重になりつつあります」


「一方的に脅かされるばかりじゃないってのは心強いね」


 いざとなればジーノが過剰な火力で対応してくれることもあり、ソラはさほど心配せずお気楽な調子で笑った。この日も教会の宿坊を借りて夜を越した。


 翌日、ソルテを発ってから三日目の昼過ぎ。


「――それでさ、私ったらミュアーちゃんに口で勝てないの」


 ソラは声を小さく、しかし陽気な口調で隣のジーノと話を弾ませる。頬の傷はすっかり塞がり、薄く目立たなくなっていた。


「あの子ホンッと、憎らしいくらい口が立ったわ」


「ミュアーは頭が回る子ですから。よくユナと一緒にお兄様のところへ勉強を教わりに来ていましたし」


「積極的~。私はそういうの気後れする質だから、真似できないや」


「二人ともなかなか出来のいい教え子でしたよ」


「……と、このように。あの子たちの努力はお兄様に全く伝わっていないのです」


「不憫ですね……」


「?」


 少女たちの目的が勉強だけでないのは誰の目にも明らかで、恋慕マシマシで追いかけ回しているのにエースは二人の思いに今以て気づいていなかった。頭をコテンと傾げる彼に、ソラは小さく笑ってしまう。


「でもまぁ、ミュアーちゃんは偉いよね。怪我しても挫けないで頑張るんだから。よくなるか分からないのにリハビ――歩行訓練を続けるって、並の精神力じゃないよ」


「お兄様にかっこいいところを見せたかったのでしょう」


「ジーノ? ミュアーにお兄さんはいないよ?」


 頭を今度は反対側に押し倒して、エースが疑問符を浮かべる。これにはソラも呆れてしまった。


「エースくん、ここで言うお兄様とはキミのことなのだけど」


「え? 何でミュアーが俺なんかにかっこいいところを……?」


「そうかぁー。ミュアーちゃんが言ってた、エースくんが普段ぽやっとしてるって話はマジだったかー」


「はい。お兄様はぽやぽやなのです」


「ぽや? ぽや……?」


 話が飲み込めず、不服そうにしてエースが黙る。その反応が面白くて、ソラはついクスクスと声を漏らした。


「キミがそういう人だから、あの子たちも安心して慕うんだろうね」


「はぁ……」


「いいと思うよ、ぽやっとしてるの。怖い顔してるよりずっと」


 柔らかな表情を浮かべるソラを見て、エースがうつむく。声を聞かずとも雰囲気で彼が気落ちしたのを察し、ソラは首をねじって後ろを向いた。


「どうかした?」


 エースは返事をしなかった。できなかった、と言った方が正しいかもしれない。それから宿に着くまでの間、彼は黙ったままだった。無視されたわけでないのは分かっているが、ソラとジーノは怪訝な顔を見合わせた。


 彼が口を開いたのは宿で夕食を終え、湯浴みも済んだあとだった。少しでも路用を節約したいのと、ソラが同室を気にしないということで、三人は部屋を分けることなく寝食を共にしていた。


 エースはそろそろ寝る頃合いになって、静かに口を開いた。


「……ソラ様。懺悔を聞いていただけますか」

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