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私がそれを望むから ―終わりの魔女と死の聖人―  作者: 未鳴 漣
第一章「魔女になる覚悟」
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3‐1「都に棲む獣」

 グレニス連合王国は五つの地方からなり、大陸の中央に王都ラド=ウェリントン、西方にカシュニー、南方にクラーナ、東方にプラディナム、そして北方にペンカーデルが位置する。王都以外の地方にはその名を冠する大規模な都市がひとつあり、これは統一以前の領地時代に元首が直轄した都である。


 氷都ペンカーデルは四つの地方都市の内、地勢的に最も王都と近く、二つの山脈を挟んで北の段丘地帯に府を広げる。河川の浸食によって形成された高地の平原には大小の集落が点在し、この一帯を「氷都」と呼んだ。気温は北限のソルテ村ほどは冷え込まないが、降雪量が多く背後の山々には樹氷が形成され、特に南方向けの観光資源になっている。


 崖を切り開いた九十九折りの坂を上り、耕作地と集落とを交互に抜けていくと、所々に朽ちた石垣が見えてくる。それはかつてこの地を納めた領主の城壁跡であり、今は段丘南部の町で魔物除けの垣として再利用されていた。そのどん詰まりの扇状地こそが氷都の主部である。


 町は扇の天と要の中間地点に役場と教会を置き、商業地と市街地が入り組んで構成される。


 また、山裾の高地には尖塔を三つ建てた城ともいえる建物がそびえている。下々を見下すような立地に加えて周辺に城壁を巡らせ、排他的な外観と相まって実に感じが悪い。常に門番が立ち、閉鎖された城内では魔法に関する研究が日々行われている。カシュニーを発足の地とする学術組織――「魔法院」が支配する不可侵の領域というのがその城だった。


 石造りの堅牢な壁の向こう、分厚い一枚板の扉を開けた先。広々とした廊下には縁を金の糸で装飾した赤い絨毯が敷かれていた。迫り持ちの天井は高く広く、豪奢な照明器具が吊り下がる。その台座に据え付けられた複数の蓄光石はどれも小さな太陽のように明るく、通路の隅々まで照らしている。


 正面玄関から少し歩いて観音扉をくぐると、円形の広間に出る。五階分が吹き抜けになったその空間には、壁に沿う螺旋の階段だけがある。ここも廊下と同じく遙か頭上から長々と照明が垂れ、一定間隔で配置された台座の上で蓄光石が輝いていた。


 今、その階段を下りてくる老人がいた。彼は石の飾りがついた黒檀の杖で床を叩きながら一階に下り立ち、さらに地下へと下っていった。段差が途切れたあとも、凍てつき乾いた空気が漂う通路を黙々と行く。研究資材などを保管する倉庫を四つほど通り過ぎ、錠をかけて厳重に閉じられた鉄扉の前で止まる。


 老人は懐から取り出した鍵を穴に差し込んだ。開いた扉の向こうから湿り気を帯びた生ぬるい風が吹き込み、床の塵が後方へ転がる。彼は鼻を袖口で覆い、杖を掲げた。壁に設置された蓄光石が順に灯り、通路の突き当たりに牢屋が浮かび上がった。


 奥の暗闇から低く唸る声が聞こえる。


 鉄格子の前で老人が床を三度打つと、常闇に隠れていたモノが柵に飛びかかった。それは長く黒いたてがみを振り乱し、黒く変色したぼろぼろの歯を食いしばって格子に体当たりを繰り返した。


 荒れ狂う生き物は犬か、狼か、はたまた熊か。


 否。それは獣と見紛うまでに尊厳を奪われた一人の男だった。精神を狂気に侵されて理性と言葉をなくし、憎しみに染まった本能のみを残した「人間」である。


 己の痛みを省みない獰猛な振る舞いに、老人は長く伸ばした髭の中でニタリと嗤った。彼は杖を持ち上げて石の先で空気を弄んだ。その動きにあわせて牢獄の獣が宙に浮き、杖が振り下ろされると同時に床にたたき落とされる。


 男の目に苦痛の涙はない。そんなものはとうの昔に枯れ果てていた。屈辱を奥歯で噛みしめて……哀れなるかな、彼はやはり唸ることしかできなかった。


 その後も老人は獣をいたぶり、時に優しく声をかけ、言葉と裏腹に暴力を振るった。老人は歯を見せて、「ヒ、ヒ、ヒッ!」。奇声にも近い歓喜を叫び、瞳に興奮と愉悦を浮かべる。斯様に醜悪な加虐癖は生来のものか、あるいは傲慢が蔓延る組織で生き残るため身につけた処世術なのか。


 いずれにせよこの行いこそが老人の人格を表すものであり、その残虐性は支配者としての風格を彼に与えた。


 獣をひと通り痛めつけ、老人は息を荒くして杖を下ろす。それを待っていたかのように、頃合いよく若い男が背後に現れた。彼は部屋から漂う悪臭にえずきながら言葉を紡ぐ。


「北の……ソルテ村で、異界人が確認されたそうです」


「ほほう。して、どちらだ?」


「陰の者であります」


「光の聖者は未だ現れず、か。予測の精度は昔から変わらんな……」


「都へ出頭するよう祠祭へ文を返しますが、よろしいでしょうか」


「任せる」


 若い男は足早にその場を去り、老人だけが残された。格子の向こうでは床にひれ伏した獣が惨めに鳴いている。


 老人はソレに慈愛の微笑みを向け、情け深い仕草で手を差し出した。


「聞いたとおりだ。代わりが現れた今、儂は貴様をこれ以上苦しめぬ」


 その動作に反応して獣は憎悪を叫んで床を蹴り――、頭が不自然に下方へずれ落ちた。


「さて、此度の者はいかなる知恵を持ち合わせるか。あるいは無能な役立たずであれば……」


 血だまりに男の胴体がずしんと沈み、切断された頭部が牢の中を転がった。


「それもまた一興よな」


 低く、高く。怖気立つような嘲笑が地下室に響きわたる。


 果たして獣とは誰だったのか。


 男は開いた瞳孔に老人を映し続けた。

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