16‐6 執念と正義
「そうしたら、僕とキミの願いは相反するわけだけど。話し合いで穏便に解決するのはちょっと難しそうだよね」
「ええ。無理でしょう」
「だったら相手が諦めるまで殴り合う、というのはどうかな」
朗々と話すナナシは冷静を装っているのではない。会話の内容は物騒だが、彼の物腰は柔らかく温厚だった。生意気な少年は自分を内観し、これまで見えていなかった本心を理解したのだ。
男は手を差し出す。
それを掴めば二人の確執が決定してしまう。しかし拒めば、ソラはカシュニーと同じ失敗を繰り返すことになる。
「貴方は本当に……、いいえ。貴方が、それを望んでいるの?」
「僕は最初から僕の望むことしかしてないよ」
「……そう」
彼が望んで差し出したのなら、今度こそはその手を取らねばならない。
ソラはひっそりと瞼を閉じ、己の内に執念が燃え盛っていることを確かめる。次に視界を開いたとき、彼女はナナシの手をしっかと掴んだ。
「腕の仕返しはきっちりさせてもらう」
「それはこっちの台詞かな。僕も腕を切られてお腹まで抉られたんだし、お礼をしないと」
どちらともなく手を離し、二人は同じ歩数だけ後ろに下がった。極寒に絶える装備もここでは不要だ。彼らは外套の留め具を外して脱ぎ捨てる。ナナシはベルトに差してあった鞭を取って構えた。
ソラの腰には剣と杖が下がっている。もしもあのとき受け取らなかったら、彼女は魔法も使えずナナシに敗北するしかなかった。ソラは胸に手を当て、共に在り続けると言ったエースを信じて剣を真っ直ぐに抜いた。
睨み合い、互いに同じ方向へジリジリと移動する。
ナナシがあと一歩で長椅子にぶつかるところで、正面切って仕掛けてきた。彼は鞭を振って一目散にソラの首を狙った。ソラは膝から力を抜いて下に逃れ、ナナシの足下に踏み込んで刃を薙ぐ。その反撃は見透かされており、ナナシは後方へ軽く下がって手を振り魔法を放った。
ソラはつまずきながらも椅子の陰に逃げ込む。ナナシはそれを見落とさず、ソラが逃げ込んだ周辺を爆撃した。頭上からヒュンヒュンと音を立てて目映い魔法が落ちてくる。ナナシの魔法を防ぐ手だてのないソラは身を縮め、魔法で強化した剣を盾代わりに直撃を逸らすしかなかった。体の中心への被弾は避けられたが、肩から腕、下肢などに大小の傷を負った。ソラとしてはもっとひどい傷も覚悟していたが、運がいい。手足はまだ十分に動く。
周囲はすっかり白煙に覆われていた。ソラは血を拭って速やかに体勢を整える。足下には椅子の破片が飛び散り、辺りは一面、瓦礫が散乱していた。
どうやら礼拝堂内の構造物は、光の魔力で構成されている。ここはおそらく、青星の力で構築された空間なのだ。
そうと気づいたソラは煙幕が消えるのを待たず、早々に魔法を放った。黒い礫は床や椅子の干渉を受けることなく、縦横無尽に空を走って無差別に炸裂した。爆音に混じって悲鳴は聞こえない。
煙が晴れてみると、無傷のナナシが立っていた。傍らには始まりの魔女がついており、彼女がソラの攻撃を防いだのだった。
「貴方はそちらにつくんですね」
『彼の提案、悪くはなかったもの』
「魔女さんが味方になってくれたから、キミの攻撃は僕に効かない。ここで諦めてもいいんだよ」
「んな簡単に音ぇ上げられるかっての」
話している間に青星を探した。祭壇に腰掛けて静観する彼はソラに手を貸すつもりはなさそうだった。それならそれで、無駄な希望を持つこともないのでありがたい。ソラは孤軍奮闘を自覚して周囲に魔力を飽和させた。
高濃度の魔力は黒い霧として視認され、床に散らばった椅子の残骸を飲み込み広がった。
「僕としてはあんまり女の子を傷つけたくはないんだ。できれば早いところ降参してほしいん――」
ナナシの戯言が不自然に途切れ、その頬に一筋の傷が浮かび上がった。遅れて血がにじみ出て顎へ伝う。
「キミは今、何をした」
「聞かれて素直に手の内を明かすわけないでしょ」
ソラは椅子の破片をひとつ、魔力で包み込み高速で発射しただけだ。そして、魔女の防御にぶち当たる寸前で魔力を完全に消し去った。結果、光の魔力で形作られた破片は魔女の盾をないものとして突破し、ナナシの頬を切りつけたのだった。
ナナシは傷を指で撫で、付着した血液を指先で揉む。
「まあ、いいか。キミを殺せばそれで解決だ」
彼が顔を上げるや、ソラの前でチカチカと光が瞬いた。ソラはとっさに飛び退き、瓦礫をかき集めて眼前に隙間なく展開した。直後、閃光と共に空気が弾けて何もかも吹き飛ばされる。ソラは身を低くして盾を構え、どうにか爆風を耐えた。
押し寄せる熱風が止まぬ中、爆心を割って鞭を振りかぶったナナシが飛び出してきた。度肝を抜かれたソラはただでさえ不安定だった姿勢を崩し、尻餅をついて倒れた。
それでも剣を掲げて鞭を受け止めたのだから、ソラは負けていないと思った。とはいえ、当人に闘志があろうと力比べで女が男に敵うはずもない。ナナシは全体重をかけて押し切ろうとしていた。次第にソラの腕は持ちこたえる力をなくし、ナナシの刃が着実に近づいてくる。
「もっと抵抗しないと。このままだと首が落ちちゃうよ」
「こ、ンの……クソッ……!」
「言葉が汚いなぁ」
「うる、っさい!!」
もうこうなっては形振りなぞ構っていられなかった。がむしゃらに抵抗し、ないはずの左腕を振ってまでナナシを押しのけられないかと暴れる。すると不思議なことに伸しかかっていた重しがスッと消え去った。
何事かと体を起こすと、離れたところにナナシが転がっていた。今はとにかく、彼が復活する前にこちらの体勢を立て直さねばならない。疲れきった右腕をかばって立ち上がり、いやに反対の腕が重いことに気づく。
思いがけず、左腕が生えていた。
正確には左上腕の半ばから黒い液状の何かが垂れ下がり、腕らしき形を成していた。指を意識してみると五本に分かれた枝先が想像の通りに動き、先端に握り拳を作った。
「クラーナで使った弓と同じ……!」
光陰の魔力で弓矢を形作った実績があるのだ。腕の一本や二本、再現できない道理はない。ソラは手札をひとつ手に入れて自信をつけた。ナナシに見つからないうちに、吹き飛ばされた椅子の陰に身を潜める。
一方のナナシは何が起こったのかまるで分からず、呆気に取られて上半身を起こした。すっかり虚けて辺りを見回す彼に、子細を目撃した魔女が言う。
「女の細腕に殴り飛ばされるなんて、だらしない。しっかりなさいな」
「何を言ってるんだ。あの子にそんな余力はなかったはず……」
「本当に何も分かってないのね。左腕よ。魔法で形を作って思い切り貴方を吹っ飛ばしたの」
「腕を、魔法で……?」
「貴方だって魔法で形あるものを作るでしょうに、想像力のない人だこと。なくした腕くらいわけなく具現できるわよ」
「……そういう言い方、僕は嫌いだなァ」
ちょうどその頃合いで、隠れながら移動していたソラが物音を立てた。耳ざといナナシは発生源に顔を振り、椅子の陰に向けて容赦なく魔法を降らせた。敵を仕留めたか確かめるため、爆煙が消え去らぬうちにそちらへ歩いていく。
途中、全く別の方向から予期せぬ攻撃が飛んできた。それは先程と同じく椅子の破片を利用したもので、魔女の防御魔法を素通りする。そのからくりを知りたいナナシは厚みのあるゼリー状の防御壁と硬質の盾を重ねて展開し、手段不明の狙撃を受け止めた。
「さっきの音は陽動。そしてこれは……椅子の破片か。なるほど、考えたね」
壁に食い込んだ粗末な弾丸をねじり潰し、ナナシは真面目になる。鈍くさかったソラの動きは段々とマシになっていた。ひ弱な女だとナメてかかっていては足をすくわれるやもしれない。彼は用心を誓い、手っ取り早く目に見える障害物を木っ端みじんにした。隠れる場所と武器を奪ってしまえば少しは戦いが楽になる。
腕を一文字に振って漂う煙を払いのけると、逃げも隠れもせずソラが待ちかまえていた。彼女は黒い弓を引いて弦を弾き、つがえた矢を放ったところだった。一本と心許なかった矢は空を切る間に幾重にも増え、彗星のように尾を引いてナナシを射抜こうと走り迫った。
それは羽根から鏃に至るまで陰の魔力に満ちていた。であれば魔女の魔法で守ることは造作もない。魔女はナナシの前に立ち、手を床と平行に掲げて防御を構築した。
ところが漆黒の矢は暗闇の盾を容易く砕き、
「そんなっ! 私の魔法が――!?」
失速することもなく標的へ到達した。ナナシ一人ではソラの魔法を防ぐ手だてもなく、彼は襲いかかる矢を鞭で打ち払うしかなかった。全ての攻撃を相殺することは敵わず、ナナシは腕や足から血を流す。
「やってくれたな……、痛いじゃないかっ!」
それでもナナシは生きていた。
体の中心部に傷はなく、ソラは意図して人体の急所を外していた。この期に及んで相手を殺したくなかったソラが選んだのは、ナナシに恐怖と痛みを与えて戦意を殺ぐこけおどしだった。
その思惑を見抜いたナナシは目に怒りと屈辱を浮かべ、それでいてソラから目をそらした。
「ねえ魔女さん、キミもしかしてふざけてる? 復讐だ何だって未練がましく燃え残ってるくせに全然ひとっつも役に立ってないよね。何のために僕の味方してんの? ちゃんと守ってよアイツのカスみたいな魔法からさァ」
「……」
「アッ、ハハ! 乱暴な言い方してごめんね。けどさ、黙ってないで早いとこあの子をブッ殺してきてくれない? 僕がこんな傷だらけになってんのはキミの怠慢だよ。アイツが死ねば人類皆殺しにできるって分かってるでしょ。魔女さんだってそれを望んでるんでしょ。役目を果たせよ、思いを遂げろよ。誰も彼もみんな憎いから未だにこんなところで死んでんだろお前は!!」
「わ、私は……っ」
魔女もソラも魔力の保有量にそれほど差はない。むしろまだ生きているソラの方が劣っているとさえ言える。それでもソラが魔女の魔法を破ったのは、ひとえに意志の強さで勝ったからだ。信念あるいは執念の強度は時間とともに惰性を発し劣化していく。その鮮度であれば、数百年と世界を恨んできた魔女に、今さっき覚悟を決めたばかりのソラが負ける理由などなかった。
陰の防御が陥落したこの好機を逃す手はない。
ソラは次の矢を番えようとする――のだが、なぜか気が進まなかった。答えを求めて目が移ろい、ナナシを見る。
彼は喜怒哀楽に振り回されて実に忙しそうだった。穏やかな口調で辛辣な言葉を吐いて、前触れもなく烈火のごとく怒り、理想からほど遠い現実を嘆いて途方に暮れる。
総じて彼の印象は、幼い。
「……」
ソラは構えを解き、最後の後悔を腕に抱く。
ナナシの置かれた境遇はとてもつらく残酷で、苦痛と忍耐、屈辱ばかりがあったのだろう。そんな彼には救いがあってしかるべきだと思う。共に地獄を行く覚悟があったならと、ソラはカシュニーでの選択を嘆かずにはいられない。今からだって、ソラが負けを認めてナナシの願いが叶えば、それはきっと彼の救いとなる。そうと分かっている。
「でも……、私に助けることは、もうできない。できなかった」
ソラはそれら慚愧と一緒に、臨終の理想をひとつ手放すことにした。誰にも恨まれることなく死にたかったが、その願いは叶わないし、叶えてはならないのだと悟った。
利己の塊であるロクでなしはついに改心することなく、最悪の過ちさえも踏み台にして目の前の執念を選ぶ。
弓矢を解き、ソラは腹から声を出してナナシの罵詈雑言を遮った。
「ナナシ! 貴方の敵は私だ。ほかの誰でもない!」
「……ああ。そんなところにいたのか。もう人間だか何だか分からなくなってきちゃったね、キミ」
体のほとんどが黒化したソラは目まで血の色に染まり、異様な風貌をさらしていた。しかしその赤い瞳は清かであり、ナナシに顔をしかめられても彼女は己の有り様を恥じなかった。
ソラはナナシがこちらに意識を向けたのを機に、一度は納めた剣を黒の左手で抜いた。エースの記憶と経験があれど、ソラの体力では彼の剣技を再現するに足りない。しかし魔法で再生した左腕であれば彼の動きを小手先に模倣できる。エースの才を魔力に宿し、ソラは切っ先で円を描いて的を定めた。
北極島でのケイと同じ仕草だ。ナナシは老婆に屈服した事実を思い出して顔をひきつらせた。そんなことはつゆ知らず、ソラはエースに倣って振り下げた刀身を体に隠して半身に構えた。
師と同じ動作はナナシに焦燥を与えた。彼は勇み立って魔力を鞭に充填し、奥歯を噛むと同時に地を蹴った。始まりの魔女がナナシに追随する動きはなく、もう共に戦うつもりはないようだった。
突進してくる男をソラは恐怖することなく待ち受けた。大きく振りかぶった鞭が落ちてきて、脳天を叩き潰そうとするその鈍器を半歩引いて軽く避ける。ナナシは勢いを次の体勢に転換できず、前のめりに床を叩いた。
がら空きの背中にソラが素早く刃を下ろす。予測していたナナシは背後に防御を展開し、ゆらりと持ち上げた鞭を薙いでソラの足を狙った。ソラもまた防御魔法を以てそれを防いでみせる。
ナナシは不安定な姿勢から器用に反転して、ソラの剣とかち合った。ソラは流動する黒色の左腕に魔力を送り、ナナシの鞭を毅然として退ける。切っ先がそれたわずかな間にナナシが足を振ったが、ソラは冷静に盾をまとい衝撃を阻んだ。
飛び退いて距離を取り、間髪入れずにまた攻め入って二人の刃がぶつかり合う。両者とも一歩も引かない剣劇の応酬がしばらく続く。衝突が重なる毎に、ソラの形相は鬼気迫っていった。
意志の強さはここでも形勢を左右した。ソラの執念は己の一撃が無駄打ちとなるたび強度を上げ、ナナシは虚勢ばかりが大きくなっていった。
ソラの切っ先は重く、強く。徐々に防戦へと追い込まれるナナシの頭にはその姿がケイと重なって見えた。彼はこれまで踏みとどまっていた一線をジリジリと下がり始める。打開を期待して放った魔法もそのほとんどが剣によって叩き折られた。
圧されるにつれてナナシの中で意固地が膨らんでいく。
まだ自分は戦えると鼓舞しても、どこか空しい。
「嘘だ、嘘だ嘘だっ、嘘だ……! 僕はいつだって上手くやってきた! どんなに難しいことも諦めずに頑張って、約束もちゃんと守ったし嫌なことからも逃げたりしなかった! 明るくて穏やかで誰からも頼りにされてっ、他人を殴って蔑む幼稚なアイツなんかと違って僕は強くて優しい〈いいひと〉なんだ!!」
それなのに、なぜ。とナナシは弱る心に抵抗する。
ソラが怖い。できることならここから逃げ出したい。
けれど一度でも逃げたらおしまいだ。弱さを見せたらなぶられる。これまでもそうだった。
――僕は強くないと生きられない。
「一生クソ親父のご機嫌伺いで終わるなんて御免だ! 楽しいことなんて何もなかった!! 苦しくて痛いだけの人生なんてそんなのっ、何で――!!」
奪われるだけなんて許せない。
報いもない苦痛を受け入れるなんてできない。
だからせめて、家の外では理想通りに生きていけるよう居場所を整えた。いつか、何でもない些細なことで自然と笑顔を浮かべられるようになりたい。ただそれだけなのに、
「僕は強くなくちゃいけないんだ!!」
どうして自分は……自分だけが、こんなに傷つかなければいけないのか。
怒りが散漫になって、その人と分からない漠然とした誰かに目を向けるナナシにソラが檄を飛ばす。
「ごちゃごちゃうるさいんだよ! アンタ誰と戦ってんだ!? 私だろ!! よそ見すんな!」
「っぐ、う……! キミなんかにっ、僕が……!!」
ここで逃げたら負けは確実で、あとに残るのは徒労と無駄骨だけだ。
ソラの覇気に圧されながらもナナシは狂信狂乱の体で食い下がり、
「俺がお前なんかに負けるわけないだろ!!」
叫んでソラの一刃を大きく払いのけた。彼は後退したソラを近づけないため魔法を四方八方に散りばめ、掃射さながらに打ち出した。青星への願いと自分の本心とが矛盾するのを無視して、本人でさえ何が本当なのか分からなくなって、ナナシが嗤う。
形勢はにわかに変わった。礼拝堂の構造物が粉々となった現在、ソラにはナナシの魔法を防ぐ手立てもなく、とにかく走って逃げるしかなかった。ナナシはいっそう強烈な攻撃を繰り出し、執拗にソラを追ってくる。
先にも述べたが、ソラには体力がまるでない。今は火事場の馬鹿力でどうにかなっても、次が続かず刻一刻と息が切れていく。
そうであっても、ソラに諦めるという選択肢はなかった。彼女は剣を逆手に右へ持ち替え、天井の一点に視線を定める。そこにあるのはこの空間で唯一、陰の魔力で作られた円環だ。ナナシからは程遠く、ソラの現在地からもそれなりに距離がある。
ソラはこれが最後の足掻きと決め、疾走しながら左腕を振り上げた。人体の可動を超えて形を変えるそれは瞬く間に目標へ到達し、ガシャンと音を立てて一番大きな輪を掴んだ。
足が床を離れ、ソラは宙へ飛ぶ。
伸ばした腕を一気に縮めて空へと舞い上がり、ナナシの攻撃を完全に振り切る。腕が体を引き上げる速度に遠心力が加わって、ソラは足をばたつかせながら天井に着地した。
逆さまの地面に足をついていられるのはほんのわずか。一秒あるかないかの間にソラはナナシの足下めがけてエースの剣を投擲し、深く突き刺した。ナナシはその奇行に驚きはしたが、魔法の軌道を変えて彼女を迎え撃つだけの余力を残していた。純白の礫は輝く槍へと変貌し、たったひとつの目標へ駆ける。
ソラは右手に鞘を取り、輪を捕まえていた腕を切り離して一瞬のうちに剣の柄を掴んだ。初速から全力でナナシに迫り、向かってくる槍は強化した鞘で打ち払った。
腕の収縮速度は変わらず、ナナシが不意の瞬きで瞼を上げた時、ソラはすでに目前だった。
彼の目にはソラの動作がゆっくりと映っていた。
彼女が鞘を手放して指を握り、肘を折って脇を締める。
血のにじむ黒い拳が力強く突き出され、突進の速度が威力に乗る。
女の小さな手が男の頬に食い込む。
ナナシは真正面から殴り飛ばされて見事にもんどりを打った。
ソラも慣性に任せて床を転がり、二人はべしゃりと地面に潰れて動かなくなった。




