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私がそれを望むから ―終わりの魔女と死の聖人―  作者: 未鳴 漣
第四章「そして憎悪が果てるとき」
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15‐15 錦の衣

 南北極島の中心部には広く浅い水原地帯が広がっている。地表の雪が溶けて水深は三~五センチほど、透明な水面の下にあるのは地面ではなくシャーベット状の雪だった。防水の靴であれば歩いていけないこともないが、足下が緩く不安定な状態では体力を無駄に消耗する。それゆえに水原を行く「浅瀬渡り」は魔法や符術によって一時の道を敷くのが定石だった。


 おかげで犬がそりを引くこともでき、ソラはカンロの尻尾を眺めつつ悠々と道を進んでいた。時に夜空を見上げ、あるいは波立つ水面を見ながら、ソラは最後の風景を脳裏に焼き付けていく。


 島中と軸との間に設けた無人の小屋に着いた頃には、夜もいっそう暗くなっていた。ソラはそりから降りて、エースに抱えられながら小屋への階段を上る。そんなとき、視界の端で光が揺れた。


「あ……もしかしてこれ、オーロラ……?」


 見上げると、天空に光のカーテンがかかり、極彩色の裾が星々の間にはためいていた。ソラはハッとして水原に視線を落とす。風が止まった水面は波ひとつなく静止して、上空を鏡写しにしていた。


「すごい。綺麗……」


「少し見ていきますか?」


 うっとりとしたソラの声を聞き、エースが階段を下りて地上に戻った。そばにジーノもやってきて、兄妹は顔を見合わせて頷くと、浅瀬の上に足を踏み出した。ジーノの杖に淡い明かりが灯り、靴が触れる部分だけを凍らせて水面を歩いていく。


 太陽が深く沈んだこの地に、明かりは星と極光のみ。


 それらは人の手には掴めない輝きだった。


 けれど決して遠くない。そう思えるのは水鏡が天を湖面に映し出しているからだ。平面に広がる夜空はどこまでも続き、じっと見つめていると足下の星々があたかも空中に浮かび上がって見えた。


 まるで宇宙空間を漂っているような感覚がソラの胸を熱くさせる。吐く息を真っ白に染めて、彼女は目を大きく見開いた。澄んだ瞳に煌々と星の宿りが散り、瞬きのたびに色とりどりの光が網膜を彩った。


 この瞬間、ソラたちはまさに銀河を散歩していた。


 オーロラは翻るごとに色相を変え、緑の葉脈に多彩な花弁を咲かせた。凍れる静寂しじまに一条の尾を引いて星の欠片が流れていく。


「……」


 この星は確かに生きていて、広大な宇宙そらもまた脈動している。


 ソラは冷たい空気で肺を満たし、熱を吐いた。しぼむ肺に合わせて力を抜き、エースに体を任せる。衣服で隔てられても彼の体温が伝わってきて、とても心地がいい。


 静かに、穏やかに。


 安らかな様子のソラを見て、エースは小屋へと足を戻した。ジーノも無言のまま兄に従い、階段の手前で魔法を解いた。彼らは室内に入るものと思われたが、デッキの隅に置かれたベンチへ歩いていった。


 エースはそこにソラを座らせ、腰に巻いた革鞘から剣を外した。ジーノも同じように自分の杖を手に取る。


 二人は同時にひざまずき、幼少より肌身離さずあったそれらをソラに捧げた。


「何してるの? それはキミたちを守ってきた大切な……」


「だからこそです。どうか、わたくしどもの代わりにお連れください」


「でも……魔法が使えなくなるんだよ」


「魔法のひとつやふたつ、使えずとも困ることはありません」


「ジーノの言うとおりですよ、ソラ様。私たちは魔法に頼らぬ生き方を知っております」


 二人の青い瞳が力強く煌めく。できることなら最後までソラと一緒にいたい。けれど魔力が満ちる体を持ったままでは軸の帳を越えられない。ならばせめて、これまで自分たちを守ってきたよすがを共に行かせてほしかった。


「……そうだね。キミたちなら心配ないか」


 二人の懇願を受け入れ、ソラは剣と杖を受け取った。この先に何が待ち受けていようとも、愛しき者を思い、自らを奮い立たせる拠り所――その確固たる徴証をソラが指先でなぞる。


「ありがとう。一人で行くのが心細かったけど、これなら怖くないや」


 ソラはそれらを胸に抱え、とびきりの笑顔を浮かべた。


「ジーノちゃん、エースくん。二人とも、大好きだよ」


 三人は互いの顔を見合い、強く固く、抱擁を交わす。眠るときも彼らは手をつないでずっと一緒だった。


 空と水面みなも。相対する極光が色を変えながら流れていく先で、天を穿つ光の柱が待っている。


 夜は明けぬまま朝が来て、人知の及ばぬ最果てへと至る最後の一日が始まる。

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