15‐10 極夜
白夜の裏側。
南極島へ着いたソラはエースに背負われて船を下りた。地面に両足を下ろして体を支えられ、あとからやってきた車椅子に腰を下ろす。鉄扉に閉ざされたトンネルを抜けて景色が開けると、あまりの静寂に一同は息をのんだ。寂々たる空気が肌を刺し、息づかいさえも殺してしまう静粛な大地はおよそ死に支配されて見えた。
時間としては昼であるが、冬を迎えるこの場所は地平だけがぼんやりと明るい闇に包まれていた。橙色に焼ける夜空に島を囲う岩壁が浮かび上がる。ソラは背後からぐるりと首を巡らせ、刺々しくそびえるその山々を荊冠のようだと思った。
島の中央部から天に向かって伸びる光の筋を横目に拠点へと移動する。
「そう言えば、南極には王国の管理施設もあると聞きましたが……?」
この世界にやってきた日の夜、ジーノからそう聞かされた。大陸の目は宿借りに向いていると分かっていても、横槍を入れられやしないかとソラは心配だった。残り少ない命を賭けている以上、失敗するわけにはいかない。
ユエは西の方角に顔を向けて鼻で笑い飛ばした。
「冬だとこの通り朝から晩まで真っ暗ですし、気ぃ抜くとポックリ死にますもんで、あちらさんが夏以外の季節にこの島へ来ることはありまへん」
「ええ。今期も人っ子一人いないことは燕樹の方で確認済みです。というか前回の〈延命〉以降ずっと放置しとるもんやから、ボロ家になってましたわ」
大陸から聖人が派遣されるのは夏の南極島と決まっている。大陸北方と東方には大型の船が着岸・出航できる規模の港はない。魔法院のお膝元、西方にも大きな港は整備されておらず、あったとしても海流の兼ね合いで北極島までは遠い。手っ取り早いのは交易で栄える南方の港を使うことで、それならば南極島の方が近いので南下の道を取っているのだった。
邪魔される恐れがないと知って、ソラが胸をなで下ろす。
「それならよかったです。最後の最後にしゃしゃり出てこられても困りますし」
朱櫻を出てからというもの、彼女は元の人格を一部取り戻したようだった。もちろん、家族の記録があった以前まで戻ったとは言えない。やや空元気の様子もあったが、胸の穴が埋まって拠り所とするものを得たソラからは陰湿な雰囲気がかき消えていた。
ソラは元来、楽観的で底意地がお気楽な人間なのだ。そうでなければ大小の穴に落ちてばかりの人生を嘆いて性根がひん曲がっていたに違いない。失った「家族」とは彼女にとって最も身近な味方で、最大の信頼を寄せる支えだった。だからこそ、家族を最後の砦としてほかの人間関係を切ることができたのだ。その行動が適切だったかは置いておくとして、「愛された経験」とは何にも代え難い幸運だった。
「不幸中の幸いって言うんでしょうか、やっぱり私は運がいいみたいです」
それを無駄にはすまいと誓うソラに声をかけられる者はいなかった。ソラ以外が重苦しい沈黙を引き連れ、島遠心の第一拠点へと入っていく。
ドアを押し開けると、内側の取っ手を握る駐在員とはち合わせた。迎えに出ようとしていたのだろう、中年の男はユエとホムラの顔を見て条件反射のように頭を下げた。
「朱櫻様、燕樹様。ご足労いただき恐縮でございます」
続いてどたどたと残りの者たちが玄関ホールに顔を出し、棟梁二名に大げさな挨拶をした。ユエは彼らを片手で制し、ソラと兄妹を振り返った。
「今日はここに一泊します。そして明日、犬ぞりで次の拠点との中間にある小屋を目指しますので」
「徒歩でないならエースくんに苦労をかけなくて済みそうですね。ちなみに、何人くらいで行動するんですか?」
「ソラ様、エースはん、ジーノはん。うちに燕樹はん、セナはん。あとは書記の随伴を二人ほどと考えて――」
指を折って数えるユエの声に被せて、壁をひっかく音と控えめな獣の鳴き声が届いた。ソラは急に背中を伸ばして前のめりになった。
「い、犬の声……!?」
室内の建具は引き違いのようで、ズバンと勢いよく戸が開いて奥の通路から四つ足の動物があふれ出した。白、黒、茶のブチなど、様々な毛色の大型犬たちがドッと玄関に押し寄せる。
彼らはがっしりとした体つきで、寒さをものとしないふわふわの長毛が体格を一回り大きく見せていた。外見だけであれば超大型犬と言ってもよく、一頭でもそれなりに重いそりを引いてくれそうだ。そんな彼らの駆けつける勢いは大人も轢き殺しそうな迫力だった。
躾の行き届いた犬たちは駐在員の号令でソラの一歩前に整然と並んだ。
「わんちゃんだ! か、かわいい……!!」
ソラが歓喜の声を上げ、手袋をつけたまま腕を伸ばす。その仕草に応じようと、リーダー格の一頭が近づいて頭を差し出した。
「もふもふ……! あったかい! 可愛い!!」
ブチ模様の彼は鼻筋が太く手足が大きかった。鼻先の長さと立ち上がった耳、巻き尾という犬の特徴がなければ熊と見間違えるほど屈強な出で立ちだというのに、つぶらな瞳が妙に似合っていて非常に愛らしい。
「ヒィ~! 見てこの顔! 何と言うことでしょう可愛い!」
興奮が収まってみると皆、物静かな個体だった。可愛さが渋滞してハァハァと息を上げるソラに次々と湿った鼻がくっついてくる。見知らぬ人間に物怖じせず好きにさせてくれる彼らに、ソラはデレデレとした。
その後ろでジーノが犬を睨む。
「ソラ様……私にもそんな顔は見せませんのに……」
「ジーノ。犬と張り合うのは不毛だよ」
隣で諭すエースも表情が緩んでおり、寄ってくる大きな毛玉に心を許していた。かく言うジーノとて柔らかな毛に包まれてしまえば目尻を下げるしかない。
そろってエヘ……エヘ……と奇声を漏らす三人に、ユエは耐えきれずに笑いを吹き出した。
「ま、まあ……皆様がっ、犬好きで、ッフフ……ようございました。フフフ!」
「こない大きなケモノが可愛いとは。うちには分かりまへんなぁ」
ホムラは手袋に着いた鼻水を拭って、「その顔。犬やのぉて熊やろ、熊」。イチャモンをつける彼は、犬が嫌いとまではいかずとも得意ではないようだった。
駐在員は犬なりの歓迎を喜んでくれたソラたちに安堵の息を漏らした。
「申し訳ありません、外から人が来るといつもこうで……。拠点とは言いますが、ここも島中の方も、ほとんど犬舎みたいなものなんです」
「ぜんぜん大丈夫ですよ可愛い。この子たちが明日のそりを引いてくれるんですよね。はぁ~可愛いすぎる……」
「え、ええ。そのつもりです」
「やっぱり! お仕事わんわん可愛い上に偉いねぇ」
拠点の者もソラがどんな存在かは知っている。己の命をかけた酷な使命を帯びるというのに、従者の兄妹にしても雰囲気が和やかな様子に駐在員たちは戸惑っていた。彼らはホムラにまごついた視線を向ける。それには宗家の主も困ったような顔をしたあと、静かに目を伏せて首を左右に振った。
それを知ってか知らずか、ソラは犬にも人にも明るく会釈する。
「どうぞ、よろしくお願いします」
「ワン!」
元気よく応じた犬にソラが破顔したので、人間もまた悲痛な思いを隠して快く迎え入れた。
この日は大勢で夕食を取った。ソラは故郷での出来事を中心に話を繰り広げて食卓を楽しませ、その和気藹々とした雰囲気は親戚一同の団らんにも思えた。皆はソラがこの世界に存在した証明を心に刻もうと、彼女の話を熱心に聞いた。




