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私がそれを望むから ―終わりの魔女と死の聖人―  作者: 未鳴 漣
第四章「そして憎悪が果てるとき」
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15‐8 白夜

 海に浮かぶ氷を割ってかき分け、たどり着いた北極島は断崖に囲まれた孤島だった。季節としては夏に当たるが、岩肌に吹き付けた雪は溶けることなく張り付いている。


 船着き場は実に殺風景で、岩壁から削り出した岩を海に沈め重ねた石垣が一本、伸びているだけだ。港を見守る監視小屋は鉄で組まれた櫓の上にあり、最近になって建て替えられたものであった。


 そこへ、遠くから船が近づいてくる。


 小屋の窓からそれを視認した見張り役の男が戸を開けて転げるように外へ飛び出す。


 男は「朱櫻様」が尊子を連れてやってくると事前に知らされていた。副都を預かるお家柄に怠慢を見咎められるわけにはいかない。彼は防寒重視の重たいトンビ外套の裾を翻して階段を下り、波止場の先へ駆けていってピタリと立ち止まる。耳まで覆う帽子を被り直し、へたれた襟を垂直に立たせて姿勢を正した。


 ギシギシと氷を軋ませ、船が港へ入ってくる。舳先が地上に少し突き出したところで停止し、すると甲板の手すりを乗り越えて船員が次々と降りてきた。彼らにしても尊子の導きなど初めてのことで、ややぎこちない動きで船の停泊作業にとりかかる。


 しばらくすると、手すりの一部が開放されて板状の梯子が掛けられた。男は降り口の横に移動し、一番に降りてきた青年に頭を下げた。


「朱櫻様。長旅お疲れさまでございました」


「そちらも島の管理、ご苦労様です。異変などはありましたか?」


 男と同じく分厚い外套に身を包んだ青年はツヅミだった。彼の問いに見張り役は首を左右に振った。


「それは何よりでした」


 ツヅミに続いてナナシとジョンが波止場に降り立つ。子連れであることは前もって聞いていたが、あまりにも幼いジョンの姿に男はえらく驚いた。夏とはいえ、こんな子供を伴い島の中心を目指すのかと彼は目を白黒させてツヅミに訴えかける。


 ツヅミはニコリともせず、その問いを無視した。


「遅れてもう一隻がやって来ると思います。通常通り迎え入れて問題ないので、くれぐれも怪我などされぬよう」


「怪我ですか?」


「……」


「あっ、いえ。承知いたしました!」


 沈黙に萎縮した男は深入りせずに承伏した。ツヅミはわずかに表情を緩めて会釈し、ナナシとジョンを率いて歩き去った。


「ねえねえツヅミン。この壁だけどさ、まさか登るなんてことないよね?」


隧道すいどうを通してありますのでご心配なく」


「水道? 何でお水の話?」


「……あそこに鉄の扉が見えるでしょう。あれを開けると岩壁をくり抜いた通路がありまして、向こう側へ出られるようになっているんです」


「ああ! トンネルってこと」


 ナナシがポンと手を打って理解を示す。ツヅミが指さした鉄扉は縦が二メートル、横が四メートルほどの大きさで、地震で強烈な横揺れでも浴びない限り自然と動くようなものではなかった。それを船乗り二人が符術の力を借りて目一杯に開けた。ツヅミたちは全開で固定された入り口をくぐり、搬入の邪魔にならないよう早足でトンネルを進んだ。


 ツヅミが四方に手を振って明かりをつけ、洞穴の全容がぼんやりと浮かび上がった。


 出口の見えないその穴は半径二メートルの半円形で、床と壁はしっとりと濡れていた。水の滴る音は遠くに近くにと響きわたり、足音も相まってなかなかに騒々しい。


 こんな場所ではナナシもジョンも面白がって音を立てそうなものだが、二人は意外にも大人しかった。湿った暗闇というのは彼らにとって好ましい環境ではない。誰も助けてくれない孤独と屈辱を思い出すからだ。滴は長く続く雨音に、反響する足音は苛立った怪物のそれに聞こえる。


 ナナシはジョンと手をつなぎ、もう片方でツヅミの外套を摘んだ。ナナシの左腕は痛みもなく動かせるまでに回復していた。だから彼は頼りになる「大人」からはぐれないよう、外套の裾をしっかりと握って離さなかった。ツヅミもそれに気づいていて、振り払うことはしなかった。


 もうどのくらい歩いただろうか。ナナシは一足ごとに気力を萎ませて、視界の中で前後を繰り返す靴先だけを見ていた。


 後ろで荷物の運び入れが始まったらしく、騒がしいやりとりが壁を伝って押し寄せ、ナナシの足を急がせる。時折ツヅミの背中にぶつかって、そのたびに上っ面の謝罪を繰り返す。五回目の衝突でついに、それまで顔で振り返るだけだったツヅミが立ち止まり、体ごとナナシに向き直った。


「少し離れて」


「へ? え。あ……の。ご、ごめんなさい……」


「ジョンさん。ナナシさんをお願いします」


「はいはーい。まっかせて」


 ツヅミは外套を掴んでいたナナシの手を解き、ジョンに握らせる。


「だいじょうぶだよ、なな。でぐちについただけ、だから」


「出口……?」


「扉を開ける際に大きな音がしますので、もしだったら耳を塞いでください」


「おっけー。ありがとつづみん」


 ジョンはナナシの両手を引っ張ってしゃがませる。そしてナナシの手を自分の耳に、自分の手をナナシの耳に当て、互いに音を遮った。周囲がくぐもって、ゴウゴウと何かが流れる音だけが聞こえる。ナナシは何となく安心して瞼を閉じ、耳の中にあふれた洪水に意識を傾けた。緊張がほぐれ、このまま眠ってしまうこともできそうだった。


 不意に耳の押さえがなくなり、不安に揺り戻されたナナシが恐る恐る瞼を上げる。


「みてみて、なな! まっしろ~!!」


 強い光が差し込んで目がくらんだ。ナナシはジョンに手を引かれて光の中へと転げ出た。ツヅミも扉を固定してから二人に続いた。


 トンネルの出口は高床のデッキになっていた。白夜の季節といえど雪は降るのか、うっすらと積もった雪が凍っている。ナナシはパリパリと薄氷を踏み、柵から身を乗り出して目一杯に風景を映した。


 蒼穹の下に一面の雪原が広がる……。


 海と隔てる山壁がなければ波の下に沈んでいたろう大地は油彩を重ねたように白く、小さな起伏の影は青く彩られていた。冷え切った空気が顔面に吹き付け、ナナシは思わず目をつぶった。黒く染まった視界に焦燥感を覚え、あわてて目を開く。当然のことながら瞼の闇が上がっても白い景色は変わらずそこにあって、ナナシは心底安堵した。


 純粋な白が全てを支配し、雪以外の存在を許さない場所。


 汚物が吹き溜まる陰りもなく、まさに無垢で真誠なる世界。


「ああ……。いいなぁ、ここ。僕、こんなところがあるなんて知らなかった」


 しみじみとこぼすナナシの横で、ジョンがシャリシャリの雪玉を作っていた。


「なーんもないね! とりゃ!」


 投げた雪は遠くまで飛んで地面に消えた。吐き出した息がもうもうと立ち上り、空の青に溶けていく。沈むことのない太陽は島を囲む山の上に燦々と輝いた。するとナナシの瞳も自然と煌めいた。

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