15‐1「今、別れを告げよう」
ナナシたちが北斗を出た約半日後、朱櫻での一悶着が終結した後のこと。ロカルシュたち宿借り追跡班が遅れて北斗に到着した。日が沈んだあとになると気温は肌寒く、クラーナの服装では心許なかった。思い思いに上着を羽織った面々は長らくの船旅から解放され、陸に降りてつかの間の休息を取ることになった。
エクルはさっそく、地べたに座り込んで愛おしそうに土を撫でた。
「やっぱり人間、地に足が着いてないと駄目だよな」
「先輩、地に足着いてたことありましたっけ?」
「は? 着いてんだろ」
フェントリーの指摘にエクルは地面をバシバシと叩いて不機嫌になる。
「失礼な後輩だな」
「……。元気になったようで何よりっす」
「おうよ。任せとけ」
とりあえず陸の上であればエクルは使い物になる。呆れたような安心したような、フェントリーは空を見上げて嘆息した。
一方で隊を束ねるマキアスには休憩などなく、波止場の人間に話を聞いてまわっていた。港の仕切役らしき男に声をかけ、宿借りの行方を探ろうと人相を説明する。
ツヅミについても言及したところ、ようやく男が繰っていた帳面から顔を上げた。
「もしかしてアンタたちかい? 朱櫻様からひと足遅れの船ってのは」
「何だそりゃ?」
「いやね。こちらに寄港なさる何日か前に、朱櫻様から北極島へ向かう装備を調えてくれと依頼があったんだがね。後続で来るもう一隻の分も準備しておけと言われたんだよ」
「へえ、そんなことを……」
マキアスはとっさに思案する。この朱櫻様とはツヅミのことだ。敵に寝返った本人が追跡の手はずを整えるとは何事か。遅れを最小限にとどめられるのはありがたいが、追ってこいと言わんばかりなのが不可解だ。
こちらを引きつけなければならない理由があるのだろうか?
「……」
いずれにせよ、マキアスたちの目的は宿借りを捕まえることに変わりない。お膳立てがあるなら乗ってやろうと、彼はニカッとして対応した。
「あちらさんも気が利きやがる。俺たちゃあ北極島へ行くのはこれが始めてでね。ついでに海流やら地理やらに詳しい奴も何人か乗せてくれねえかな」
「朱櫻様のお連れさんが沈んだんじゃこっちも困る。そういうことなら見繕ってくるが……」
「そうか! 頼んだぜ!」
マキアスは仕切役の肩を叩き、くれぐれも頼むと念を押した。
あらかじめ用意されていた荷物を続々と積み込み、追加の人員も乗せた船が北斗を出たのは翌日の早朝だった。
視界不良とまではいかないが、海にはうっすらと靄が立っていた。天気はやや曇の多い晴天。日が差したり陰ったりを繰り返す甲板で、マキアスは微妙に気持ち悪い胃をさすりながら一服する。彼の喫煙は暇を紛らさせるためのものだった。肺を満たした煙を吐き出し風にたなびかせていると、上空から鷲の鳴き声が降ってきた。
雲から顔を出した日の中で黒い影が次第に大きくなり、船の手すりに舞い降りる。革の兜を被った二羽の鷲を見つけたマキアスは煙草の火を消して海に放り投げ、そちらへ背筋を伸ばして駆け寄った。二羽のうち、足に筒をくくりつけた方へ手を伸ばす。
鉄線の花と蔓が描かれた濃紺の蓋を外し、中の紙を取り出してくるくると解きほぐす。
文書が二枚重なっていた。二枚とも滑らかな手触りの高級紙で、紙面には筒と同じ紋章の空押しがある。そして二枚目の末尾に、さる高貴な御方の署名が添えられていた。
「こいつァ余程のことになりそうだ……」
マキアスが二枚とも書面を確認した旨を合図すると、筒をつけていた方の鷲が飛び立った。残った一羽にマキアスが腕を差し出す。
飛び移った鷲は見届け役として派遣されたもので、今後も同行すると書状にも書かれていた。マキアスは鷲を連れ、追跡班の皆を会議室代わりの部屋へ集めた。
ケイとルマーシォ、ロカルシュが即座に応じ、エクルもフェントリーとエィデルに介抱されつつやってきた。
マキアスは鷲によって運ばれた尊い真筆と、素っ気ない添え書きを机の真ん中に置いて、
「つい先ほど、国王陛下より下知を賜った。我々の任務である宿借りの捕縛だが、必ずや生け捕りにせよとのことだ。陛下は全貌のつぶさな解明を望んでおられる」
「あんだけの、大量殺人犯を……? 生かして捕らえろって? それ本当に、陛下からの命なのかよ……」
椅子に腰掛けてぐったりするエクルが苦しげに言う。その疑いには鷲が抗議するように羽ばたき、その出で立ちを見せつけられたエクルは追撃を諦めた。
ケイが王の書状を眺めて聞く。
「宿借りの逃亡に東ノ国の人間が手を貸した事実は報告してあるのだろう? 国家間でのやり取りはないのか?」
「外国の介入はなかった体で動けと言われている。東ノ国に事情を訊ねたところで、まずは幇助の証を見せろと言われるのがオチだからな」
「貴方がたの証言や、宿借りを乗せた船が北斗に寄港した事実があるのにか」
「国が動くのは手助けした当人のツヅミって野郎を捕まえたあとだってよ。確実な証拠をもとに手堅く詰めたいんだろう」
「悠長なことを言ったものだ」
「政治のことはよく分からんが、宿借りの件で魔法院の向こうずねを蹴ってやろうとか、東ノ国から先進医療を供与していただこうとか、いろいろ考えてるんだろ」
「とんだ皮算用じゃないか」
「そうならないために俺たちが踏ん張らなきゃなんねえの」
後方にどんな思惑があるにせよ、マキアスたち前線に立つ者がやることはひとつだった。
「我らは誇り高き王国騎士である。凶悪犯を未だ野放しにしている汚名は何としてもそそがねばならん」
「生け捕りってのは、息があるなら手足の一本や二本はちょん切れてても大丈夫って理解でいいっすか?」
「ああ。胴体と頭がつながってりゃそれで構わん。ってわけで頼んだぜ、医療班のお二人さん」
いざとなれば憎き殺人鬼の命を助けなければならないエィデルは不快そうに唇を噛み、「承知いたしました」。要請を突っぱねない姿勢は騎士の鑑であった。ケイも拒否はしなかったが、ナナシが負傷した場合を考えると頭が痛かった。
「男の方は損傷を控えてくれると助かる。アレには魔法での治癒が効かない」
「そうなのかい? 祷り様もそんなじゃなかったか?」
「……同郷だからな。そろって特殊体質なのさ」
ケイにしては歯切れの悪い応答にマキアスが半眼になる。
しばらく一同は沈黙し、ルマーシォが口を開いた。
「そもそもの疑問なのですが、宿借り一行は北極島で何をするつもりなのでしょうか」
「はいはーい。それは私がカモメさんから聞いたよ! あの人たち、どうやら地の軸を目指してるみたいなんだー」
ロカルシュが首どころか体全体をひねって不可解を露わにする。
「東ノ国の人、何を考えてるんだろー? 実は世界を救いたいとか?」
「救うだなんて、滅ぼすの間違いでしょう。宿借りこそが魔女という噂もありましたし」
ナナシが聖人だと知らないルマーシォはロカルシュの言説に眉をひそめた。その言われ様にロカルシュはぷくっと頬を膨らませて……そうするにとどめて反論を耐えた。ケイが口の前に人差し指を立てて睨んできたからだ。
「まあ、宿借りが魔女かどうかは置いておくとして。こちらも北極島へ上陸するとなれば、その手はずが気になるところだ。北の極地に我が国の管理施設は置かれていないはずだが」
「それについては問題ない。東ノ国の拠点を奪取する算段だ」
「わーお。それだいぶざっくりっすね、隊長」
「分かりやすい方がいいだろ?」
「そりゃあ、そうだけどよォ。ジイさん……」
真っ向から敵陣に踏み込むという身も蓋もない策には、さしものエクルも驚いていた。




