2‐3 傷跡
結果として、雪合戦はセトルが負けた。というのもソラが足を引っ張ったからである。彼女はもとより体を動かすのが苦手なのだ。投げた玉は明後日の方向に飛び、避けたつもりが当たりにいき、その際にセトルやジーノを巻き込んで大惨事となった。
ざまあ見ろとばかりに高笑いをするミュアーの前で、セトルが半泣きになってソラを責めたのは言うまでもない。
「ねーちゃんの役立たず~!」
「ごめんなさい。ホンットすみません。申し訳ない。平にご容赦を」
「もういいしっ! 次はソラねーちゃんがミュアーの方につけよな」
「了解です。それでミュアーちゃんをボロクソに負かしてやろう」
「あら! ソラがいたって私が勝ってみせるわよ」
ミュアーは鼻をうんと高く上げ、自信満々に言い切った。実際、彼女は足の不自由をものともしない強者だった。戦いの最中も上半身を巧みに使って攻撃をかわし、雪玉を雪玉で打ち落とす芸当まで披露してみせた。その発言はソラの敗北宣言より信用がある。
彼女の技量だけなら認めているセトルは負けを受け入れて地面に大の字になった。
「お前、その足がちゃんと動くようになったら王国騎士にもなれちまうんじゃねーの? やっぱスゲーわ」
「ユナもそう思う! 獣使いの能力もあるし、きっと引っ張りだこだよ」
「確かに身体能力は申し分ないけれど、獣使いの才能はそんなに立派なものじゃないから……どうかしらね」
少女は大人っぽい仕草で肩をすくめた。しかしそれは己の可能性を諦めているのではなく、力量を見極めた上で前向きに受け止めているふうだった。思うように動かない足を持ちながらも、未来への希望にあふれるミュアーは十歳そこらの子供には見えない。
ソラは彼女に憧憬を抱くと同時に、「人生何周目ですか」と羨望の眼差しを送った。その視線に気づいたミュアーが勝ち気に笑う。
「なぁに? ソラ」
年上を呼び捨てにしても不遜を感じないのだがら、その剛胆な性質には舌を巻くしかない。ソラは物怖じしない少女に白旗を振って目をそらした。
「いえね。これだけ動いたあとだと、冬でも暑いもんだなーと思いまして」
「ソラ様の言うとおりですね。私も汗をかいてしまいました」
ジーノが首元を扇いで熱い息をもらす。
皆が皆、コートを脱いでも平気なくらいに白熱した勝負だった。
エースは一人ずつ順繰りに見て、
「確かに、このまま体を冷やすのはよくないな……」
「そこでオススメしたいのが〈雪花亭〉のお風呂ですよ客様!」
それまで雪に尻を着いていたベリックが勢いよく立ち上がり、人差し指を高々と掲げた。
「汗を流せて体も芯まで暖まる。一石二鳥のお得な提案! 皆様、これを逃す手はありませんよ!」
「ベリックは二鳥どころかお風呂代も稼いで三鳥じゃん。ちゃっかりしてるんだから、もうっ」
カムは声だけに不満を表して、ベリックの提案に乗り気だった。「雪花亭」とは彼の両親が経営する宿泊施設である。エースが昨日、除雪を手伝いに行ったロッジ風の建物がそれだった。風呂は公衆浴場としても使われており、ソルテの人間であれば割引価格で入ることができる。
「ではでは、熱が冷めやらぬうちにご案内~」
ベリックに先導され、ソラたちはさっそく雪花亭へ向かった。誰も疲労を背負って足取りは重かったが、ミュアーだけはシルベに乗って悠々だった。彼女の後ろをついて歩くソラがつぶやく。
「シルベちゃんはミュアーちゃんの言うことをよく聞いて、いい子なんだね」
ここでシルベをよくよく観察してみる。
ミュアーが「女狼」という彼女の見た目は「犬」で、ソラが生まれ育った世界であればサモエドと呼ばれる種によく似ていた。ふさふさの白い毛並みに箒のような尻尾、南極の雪原に隕石が際だつのと同じで黒い瞳と鼻が目立つ。
ミュアーは顔を横に向けて視線だけをソラにやって、
「当たり前よ。この子は私の番だもの」
「つがい……?」
「貴方、そんなことも知らないの? ……でも、ソラって東ノ国の人なんだし、そっちじゃ違う呼び方してるのかもしれないわね」
「そうなんですヨ。こちらの言葉は分からないものが多くて」
異世界の人間だとバレても面倒なので、ソラはミュアーの勘違いに話を合わせる。
「いいわ、せっかくだから教えてあげる。番って言うのはね、獣使いが陪臣の契約をした相手なのよ」
「ソラ様。獣使いというのは……大陸では動物と心を通わせ、使役する能力の持ち主をさします」
「なるほど! ありがとう、ジーノちゃん。向こうは違う言い方するから都度の注釈とても助かりマス」
「その能力を使って、私はシルベに足の不自由を補ってもらってるわけ。私の伯父様なんて番の鷹を使って天気を見たり、村の周りで危ないところがないか警戒したりで、すごいんだから」
「獣使い。驚くべき才能ですよネ」
「ええ、そうなの。だからこそ思うのだけど、ここがカシュニーみたいな土地柄じゃなくてよかったわ」
西の地名にユナがピクッと反応する。
「ユナあそこ好きくない。獣使いは血が汚れてるとか嫌なこと言うんだもん」
彼女は頬を膨らませて東の方角へプイッと顔を向けた。
「生まれた子の目が金色だったら、その場で潰しちゃうって噂もあるんだよ!」
「私も伯父様も、場所が違えば目玉がなくなってたかと思うと怖い話よね」
「でも、逆にプラディナムだと大歓迎なんだっけ。神に選ばれた~とか何とか?」
「当事者としてはそんな感覚ないのだけれど。カシュニーとプラディナム……魔法院と聖霊正教の対立関係がこんなところにも、って感じ。もはや魔法院は正教憎しで獣使いを疎んでるんじゃないかしら?」
「間に挟まれた王様がいっつも仲裁してて、ユナちょっとかわいそうになっちゃうよ」
「がめついクラーナは両者を突っついてひと儲けしてるみたいだし。困ったものだわ」
少女たちは呆れて深々と息を吐いた。このように、魔法院は子供にまで嫌われている。ソラは遠からず訪れる院との面会に思いを巡らせ、楽観は禁物だと肝に銘じた。
そうこう話しているうちに一同はベリックの実家に着いた。
雪花亭は客室を八つ持ち、最大で二十五人が泊まれるソルテで最も大きな宿だった。端に雪が残る階段を上がってロビーに入ったところ、ラウンジにスランがいた。正面には亭主と思しき男が座っており、二人は和やかに談笑していた。そこへエースが控えめな足取りで近づき、風呂を借りる旨を伝えた。
スランと亭主は快く頷き、エースがほっとしたような顔つきで戻ってくる。各々で入浴料を支払い(ソラは財布を忘れたと言ってジーノに立て替えてもらった)、男女は別れてそれぞれ大浴場へ入っていった。ちなみに、シルベはロビーでお留守番である。
脱衣所でかごに衣服を脱ぎ入れながら、ソラは下着を取ろうとして手を止めた。まごまごしている彼女をユナが見上げ、「ソラお姉ちゃんも体に傷があるんだ?」。瞬間、脳裏に過去の景色が割り込んで、ソラを哀れむ目が浮かんでは消えた。ソラは脇の下から斜めに走る傷を隠し、感情を消す。
ユナはソラの変化に気づかず、ミュアーに話を振った。
「ミュアーも腰におっきな傷があるんだよね~」
「ユナ。私が言い出すならまだしも、貴方が始める話題じゃないでしょ」
「そうなの?」
「そうなの」
「ん~……、……そうだね。ごめんなさい」
謝るユナの頭をミュアーがぽんぽんと叩く。さらにミュアーは無愛想な顔つきのソラを見かねて、下着代わりのリネンワンピースを脱いで自分の腰部を見せた。
「ほら、これ」
「うわ。めちゃくちゃ痛そう」
小さな体を横断する傷に、ソラは眉をひそめた。
「昔、魔物に襲われたことがあるの。そのときに、ね」
「ユナもよく覚えてる~。血がどばーっと出て、ユナが叫んだ声を聞いてお父さんたちが駆けつけて、最終的にジーノお姉ちゃんが魔法をばーんってして魔物をやっつけてくれたんだ」
「この怪我はエースお兄ちゃんが治療してくれたのよ。ケイ先生がいれば治癒魔法で足の不自由は残らなかったって話だけど……」
それは言っても仕方のないことだと、ミュアーはさっぱり割り切っていた。
「大切なのは、お兄ちゃんが頑張ってくれたおかげで私は一命を取り留めたってこと! 今も足はあまり高く上げられないけど、平らなところなら難なく歩けるんだし、魔法施術士もいなかったのにここまで回復したのは大したものよね」
「エースくんはミュアーちゃんにとって、命の恩人なんだね」
「そ! 普段はぽやっとしてるけど、すごい人なんだから」
「ぽやっと……?」
剣呑な眼差しで剣を向けられた印象が未だに強いソラは、ミュアーの表現を理解しかねて首を傾げた。その横で脱衣を中断したジーノが膝を折り、ミュアーの両手を掴んで賞賛する。
「ですが、一番すごいのはミュアーですよ。傷が治ったあとも一生懸命に歩く訓練を続けて、その努力があったからこそ今の状態まで回復したのだとお兄様は言っていました。ミュアーは頑張り屋さんだと褒めていましたよ」
「まあね! 情けない姿ばかり覚えてられても困るもの。フフン!」
「キミは強いなぁ……」
自分にはとても真似できないと言いたげなソラの声色に、ミュアーが顔をしかめる。それを知らないソラは少女の前向きな姿勢に憧れ、えいやと下着を脱ぎ捨てた。とはいえ急に気が大きくなるはずもなく、彼女は胸元を気にしながらこそこそと浴室のドアを開けた。




