14‐3 昔話|聖霊族
翌日、朝食のあとに休憩を挟み、昨日と同じ表側の客室へ通された。テーブルには巻物がいくつか用意されており、ソラはユエと向かい合う形で椅子に座った。ユエは巻物のひとつを手に取り、紐を解いて広げた。
それは絵巻物だった。躍動感のある筆使いで紙面に人物や風景が描かれ、各々の状況を説明する詞書きが添えられている。
「まずは大陸さんがいうところの聖霊族様についてお話しいたします。御方々の存在は魔女様とも深い関係がありまして、前置きがてら触れさしてもらいます」
ユエの言葉をソラたちは無言で了承した。
「光の魔力を帯びるその方々は大陸に――グレニス連合王国が治める土地に古くから暮らしてはった種族でした。白い肌に金色の髪を持ち、瞳は碧く、耳が尖っていた。非常に長命な方々で、場合によっては優に千年を生きた方もいたという話です」
絵巻物にある姿は、ソラからすれば「エルフ」の外見そのままだった。
「それだけ長く生きられたんは、ひとえに悪しき要素を受け入れぬ性質であったからと聞いとります」
「悪しきを受け入れない……?」
「要は病にかからぬ体質いうことです。病気にならはっても具合が悪くなる前に治ってしまう驚異的な治癒能力をお持ちやったそうで、そういった諸々が作用して、長寿の特性を持ったらしいのです」
ユエは巻物を読み進めていき、ある人物を指さした。輪郭だけを見れば先にユエが説明した聖霊族と同じ特徴を持つが、描かれた外見は明らかに異なっていた。
「種族の中では時折、出で立ちの異色な方が生まれたそうです。肌は暗く、闇路の髪と緋色の瞳を持っておいでで、耳の形と絶対の治癒能力を除けば、聖霊族の通常とは何もかもが違ってはった」
彼らは種族の中でも特異で、特別な個体だった。黒の聖霊族は「世界の平定」になくてはならない存在だったとユエは言う。
「ソラ様には以前、光陰は星の内部を巡る魔力というお話をいたしましたが、覚えておいでやろか?」
「はい。地表の生命に宿るのが地水火風、四属の魔力。星に宿るのが光陰二属の魔力。そのため、星に由来する岩石などには後者の魔力が含まれる……んでしたよね」
「そうです。ところでその二属いうんは、どうにも気むずかしい性格の魔力やったらしいんです。光陰の釣り合いが上手いこと取れんで星内部の魔力が滞り、あちこちで天地が大暴れ。なんてこともあったとか」
それは地震や火山の噴火といった自然災害のことだった。
「そんなこんなで、星は二属の魔力を上手いこと操る存在を生み出した。あるいは、その力を地上に住まうひとつの種族に授けた」
「それが聖霊族だったと?」
「真偽は分からんのですけど、聖霊族は星から生まれたなんていう話もあります。星の脈動を管理するために長寿を与えられたとか、または長寿であったがためにその役目を与えられたとか」
出自ははっきりとしないが、二属を司る聖霊族は星の生命を維持する使命を持っていた。彼らはこの世界の要であり、本人たちもその任を十分に理解し、種の誇りとしていたそうだ。
「ここで先ほど話題に上った黒き聖霊族様の話に戻りましょう。白き聖霊族様が光の魔力を持っていたのなら――」
「話の流れから考えれば、黒い聖霊族はその逆だな」
渋面のセナが憎々しく吐き捨てた。ユエは巻物に視線を固定し、心苦しい声で答える。
「ええ。黒のお方は陰の魔力を授けられておりました」
「魔女の始祖ってことかよ」
「……ふたつの魔力を同時に扱うのが難しいのならばと、役割を分担したわけです。それが功を奏し、聖霊族様は有史以前から長きに渡って世界を平定してきました」
「その人たち、今は……?」
問いながら、もう生きてはいないとソラは分かっていた。わざわざ世界の外から陰の魔力を持つ人間を招くのだから。
案の定、ユエは首を左右に振った。
「聖霊族様は四属の魔力を持つ〈人間〉とも、初めのうちは上手いことつき合っていたそうです。せやけど、人間たちはいつしか聖霊族様の長寿を羨むようになった。特別な力を妬み、そのうち自分たちを攻撃してくるのではないかと猜疑を膨らませていったのです……」
巻物は別の一本に進み、聖霊族と大陸の人間が対立する様を描き出す。あちらこちらで小さな争いが起き、聖霊族の住処は次第に人間の住みにくい場所へ移っていったという。切り立った山や、底なしの沼が広がる未開の森林地帯、涙も凍る極寒の地など、とにかく彼らは人の手が届かないところに隠れ暮らすようになった。
それでも聖霊族の皆は人間を憎まず、世界の存続を望んで星に尽くし続けた。
「ある時、人間の村々に流行病が生じました。遺体の肌が後に黒く変色したことから、黒色病と呼ばれた病です」
「肌が、黒く……」
ソラはその先に語られるであろう出来事を察し、表情を暗くした。ユエは一度、深呼吸をしてから淡々と過去を明かす。
「人々はよりによって、それを聖霊族の黒き御方が発生源だと言いよった」
「それはいつ頃のことですか」
エースが感情のない声で問うた。私情を交えず歴史を過去の事実として解釈しようとする彼をユエが見つめ返す。
「王国が統一されるよりもっと前、大陸が五つの領地にすら編成されていなかった昔のお話です」
「……今であれば聖霊族が関与した根拠を追究するところですが、その当時では関連性など調べるまでもなく、真実となってしまったんでしょうね。まして、人間側は強い疑心を持っていた」
「その通り。そして、黒き御方が持つ魔力の特性を知った人々は自分たちの疑いを本物とした」
「魔力の特性? それはどういう?」
ユエはエースから視線をはずし、ソラをちらと見てうつむく。
「陰の魔力は病を併発する。または、陰の魔力は病によって発する」
「は?」
「黒き御方は生まれた時より、病と共にありました。他者に感染せぬとはいえ、人の身であれば死を免れぬそれを負っていた」
ぽかんと口を開けるソラを置いてけぼりに話は続く。
「やのに魔力を行使してもなお長命を生きていけたんは……、聖霊族としての性質――高い治癒能力が備わっていたがゆえに」
「じゃあ……」
治癒能力のない者が陰の魔力を使えばどうなるのか。己で克服できない病を抱える者の行く末など、説明されるまでもなく分かり切ったことだ。
そこまで考えが及んで、不思議とソラの心臓が凍ることはなかった。むしろこれまでずっと張りつめていたものが緩み、気が抜けてしまったせいで咳が出た。軽く乾いた小さな息がコンコンと気管から押し出される。収まると、ソラは低く喉を鳴らして呼吸を整えた。
体調が優れない理由はソラが睨んだとおりだった。彼女は陰の魔力が病と密接に関係していると知らず、クラーナで魔法を使ってしまった。その結果、今まで体の中でくすぶっていた病変が刺激され、全身の痛みという症状で現れているのだ。
「なるほど。なるほど……」
――私は遠からず死ぬらしい。
それはずっと何となしに、頭の片隅で考えてきたことだった。
誰だっていつかは命を終える。■■を経験したこともあり、ソラの場合は途絶の実感が近くにあった。終わりの兆候は治療の間つかず離れず、ソラの後ろをヒタヒタとついてきて、時に戯れで肩を叩き彼女を怖がらせていた。
無限に続くものはない。そんなことは分かっていた。
何事にも終わりがある。それも知っていた。
しかし「この日この時間に」とは断定できなかったから、実感はありつつも全ては予感に過ぎず、確実に来るはずのソレはいつも漠然としていた。
「人の身に、余る力……」
クラーナで意識が薄れゆく際に聞こえたユエの言葉がよみがえる。暗きそれは人の身に余る終の力だと。聖霊族でもない限りは……、とても生きてはいられない。
――やはり、どうあっても。私はそのうち死ぬ。
それはあやふやな妄想ではない。枯れた手は今、ソラの肩を掴んでいる。しかし彼女は動揺しなかった。とうとう捕まってしまった、というのが正直な感想で、それ以外にどう考えてみようもなかった。死とはこの世に生まれ落ちた時点で避けようのない終着点なのだ。
万人に等しく訪れる「最後」の違いは、早いか遅いかだけだ。それを踏まえて、二十七年という年月は生きたと誇るに充分だったろうか? 充実し、充足していたか? ただ開いているだけの目に何も映さず、ソラは内省に沈んでいく。
それをユエが引き留めた。
「ソラ様、お体の具合は?」
「……、……平気です」
「あとでお医者さんをお呼びして、診察してもらうこともできますけど」
「一度お願いした方がいいかもしれません」
「あい分かりました。お話が終わりましたら、手配させていただきます」
頬を張られたとまではいかないが、ユエの声はそれなりの衝撃を持ってソラの意識を現実に引き戻した。おかげで雑然とした思考が冴えて、認知が明瞭になる。
「すみません。考え事でお話を中断してしまいましたね」
もう逃げられない。抗う術もない。
聞かなかったことにも、嘘にもできない。
たどり着く先が決まったならば、そこへ行き着くまでに何がしたいか。誰に何を望むのか。
ソラは決断しなければならない。
「まだ続きがあるのでしょう。どうぞ、続けてください」
腹を据えるためにも、ソラは自ら話を本題に戻した。




