11‐5 決戦
翌朝。昨日の喧噪はどこへやら、都は死んだように静かだった。
正午までの数時間、広場で待機を言い渡された面々は家の陰に立ち、今日も今日とて肌を焼く強い日差しを避けて待ちかまえる。ロカルシュもその場におり、動物たちに呼びかけて都全域の避難状況を確認していた。まだ居残っていた住民を見つけては犬に追い立てさせ、近辺を見て回る騎士か憲兵の元へ誘導するのだ。
そして、おおよそ避難が完了した頃。
異変は予告された通りの時刻に起こった。地下から突き上げるような振動があり、時計塔の後ろで土煙が上がったかと思うと、その周辺が崩落して塔の半分ほどが地面に沈んだ。煙が風に乗って流れていく中、斜めになった塔に何者かが取り付き、よじ登って頂点に立つ。
「お~? さすがジョンだぜ。狙い通りの場所に出やがった」
宿借りの片割れ、ナナシである。彼の不遜な瞳が地上の人間を有象無象として見下ろす。布で吊られた左腕は指先まできちんと血が通っているようで、身振りのたびに小さく動いていた。
彼は右手を胸元に引き寄せ、優雅に辞儀をする。
「どうもどうも、皆さんご機嫌うるわしゅう」
広場をぐるりと見回しながらナナシは腰から乗馬鞭を抜き、その先をソラとエースに向けた。
「特に俺の腕をカッ飛ばしてくれた兄ちゃんと姉ちゃんは元気にしてたかな~?」
大げさに首を傾げるナナシをめがけて、ソラの後方から銃弾が飛んでくる。兵舎の屋上に陣取っているセナの狙撃だ。しかしナナシは初めから周囲に防御魔法を展開しており、弾は宙で砕け散った。今頃、セナは舌打ちをして次弾を装填していることだろう。
「せっかちだな! そしたらさっさとお相手を呼んでやろうじゃねえの!」
ナナシが鞭で天を突くと、まばゆい光が都全土の上空にあふれた。ソラが広範囲に防御を張り、誰もが衝撃に備えて身構える。ナナシは光を一点、遠く離れた東部の一角に収束させ、鞭を振り下ろした。
ちょうど貧民街が形成されているあたりに雷撃が落ちる。
後方を振り返った幾人かは爆風に巻き上げられた瓦礫が宙を舞う様を目にした。噴煙を押しのけ、続けざまに真白い蒸気が地面から吹き出す。その白い靄を割って出てきたのは五十メートルを優に越える氷の巨人であった。
「すっげー!! ド派手に登場してとは言ったけど、想像を超えるデカさじゃん! かっこいいぞジョーン!」
冷え固まった巨体は青く染まり、クラーナの気温でも溶けることなく冷気をまとう。温暖で火属性が強化されるこの地であえて氷塊を操るのは、有り余る魔力と強固な魔法の誇示に違いない。圧倒的な強さを前に常人であればひるむところだ。
宿借りこだわりの強者演出はそれだけにとどまらず、広場にも人間サイズの氷傀儡が出現した。見たこともない敵を目の当たりにした騎士たちにわずかな動揺が走る。
「ええい! これしきのことでうろたえるでないわ!!」
肩を怒らせた老大将の叱咤が響いた。
「我らは誇り高き騎士! 故国の民に非道を尽くした憎むべき悪鬼を前に脅え逃げまどうなど笑止千万! 今これを取り逃すは末代の恥と知れ!!」
第一部隊の指揮を任されたはずの老人であるが、久しぶりの前線に血がたぎったのか勇ましく穂先を掲げ、氷傀儡の群に一番槍で突っ込んでいった。正気を取り戻した騎士たちが彼に続き、広場は瞬く間に混戦となる。 ケイもその一団に参加し、木偶の坊を押し返しながらナナシに問うた。
「この化け物はお前が生み出したのか!?」
「違いまーす。あっちの巨人も含めて氷のお人形さんたちは全部ジョンが作ってんの! すごいでーー」
「皆の者! コイツらはあの男と違って我々で歯が立たない相手ではないようだ!! とにかく叩き潰せ!!」
「やっべ、口が滑った。あとでジョンに怒られる」
都市ひとつを巻き込んだ戦場において、ナナシの態度は間抜けに映った。こんなちゃらんぽらんに屈してなるものかと、騎士の皆が覇気を強める。
殺気立つ空気の中で、符術を操るユエが静かにナナシを見つめる。
「なるほど。あの男が……」
彼女の傍らではツヅミが腕の符術布を拳に巻き付け、鉄拳一発で氷傀儡を粉々にしていた。ユエは隣に戻ってきた彼に目配せし、たったそれだけの仕草でツヅミは無言の命を承知した。
ナナシは傾いた時計塔の上に未だ佇んでいた。眼下では烏合の衆が氷の雑兵に一進一退を繰り広げている。ナナシにとって彼らは下位の魔力しか持たない、しかも魔鉱石という燃費の悪い媒体を介さなければ魔法も使えない雑魚だった。
では自分と同じく上位の魔力を持つあの女はどうか。
彼女もやはり石を用いなければ魔法は扱えず、しかも保有する魔力量が少ないのか、指で弾けば壊れそうな弱々しい盾で狭い範囲を守っていた。己が身を鈍器にして襲いかかる氷傀儡に耐えることもできず、防御を使い捨てにしながら不格好に逃げ回っている。
「ぷくくっ! 姉ちゃんは放っておいても自滅しそうだな」
名前のない男は余裕の仕草で前髪を掻き揚げ、うっかり殺さないように力を加減しつつ下々の雑魚に魔法をぶつけてなぶった。腕を突き刺し腹を切りつけ、足をすくって転ばせたところに氷傀儡をけしかけてみたり……広場は見渡す限り彼の遊び場となった。
遠くでズンと低い音が響いて地面が揺れる。
「お!? ついに侵略開始したっぽい? 僕はここだよ早く来て~なんてね。ジョンさん頑張れー!」
遠くで一歩を踏み出した凍える巨人にナナシは満面の笑みを送った。




