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10‐11 危機

 セナはロカルシュの意見を追い払うようにして手を振った。しかし希代の獣使い様は相棒の態度にへこたれもせず、能力の説明を試みる。


「私だって、一度にやりとりできる動物さんはそんなに多くないんだよ? ふっくん以外に自由になる紐はせいぜい五人分くらいしかない~」


「自由になる紐? 何だそりゃ」


「この紐はねぇ、みんなの頭の先っちょからフワ~って出ててね、私の頭からも六本ぐらい出てるんだけど、その先っちょ同士を結んで動物さんたちとお話しするの」


「頭の先からフワー?」


「そう! さよならするときは結び目を解くだけで、とっても簡単。私以外にも理解してる神子はいたし、感覚が掴めれば誰でもできると思うよ~。私が特別なのは使える紐の本数が普通より多いのと、それをすごぉく遠くまで伸ばせるところ。そのくらいしかないの」


「アンタが何を言っているのか分からん」


 ロカルシュの弁舌にはセナを始め、エースたちも不可解な表情を浮かべた。彼は同じ獣使いであるケイに目を向け、助けを求めた。


 ケイが自分の頭を見上げるようにして目を上向ける。ロカルシュが言う「頭の先から出る紐」について、その感覚をすぐに掴むことはできなかった。


 待てども援軍は来ず。ロカルシュがどう噛み砕いたものかと口を開いたり閉じたりしていると、思わぬところから補足がなされた。


「西の神子が言いたいのは、獣の使い手本人が相手と結びつく回路――その仕組みを正しく把握していれば、陪臣との契約つながりは都合により解除が可能であるということです」


 ツヅミは抑揚のない声で言った。琥珀の瞳が焚いた炎を反射して、赤く揺らめいている。


「都度そうして空いた回路を使って新たな契約を繰り返しますので、端から見ると常に大量の陪臣を従えていると錯覚を起こすのでしょう」


 まるで訓練を積めば可能とでも言いたそうだ。


 ここグレニス連合王国では魔法院が学問を牛耳っているため、院に忌み嫌われる獣使いについて研究する者はいない。そのため使い手にしても自分の能力を体系的には把握しておらず、獣使いとしての熟練は各々の感性に影響される。


 魔法院の支配が強いカシュニーで生まれ育ったため、ケイは己の能力と向き合ってこなかった。そのツケだろうか、どれだけ「頭の紐」を意識しようとも、やはりケイにはその存在をかすかにも感じ取ることはできなかった。


 とはいえロカルシュとツヅミによる指摘を加味すると、宿借りの追跡に大きな問題が生じる。


「契約の解除があの少女にもできたとなると、潜る穴ごとに陪臣を変えて道案内を頼むか、目や耳の代わりに使えば進めないこともないな」


 知らないことはたくさんあるが、できないことはひとつもない。


 少女の言葉が本当だとすれば、現在の捜索網はザルにもならず、野放し同然と言える。


「地上に出る際は鳥か何かと再契約して、上空に斥候として放てば周囲の動向も把握できるだろう」


「……まずいな。南方の連中は地下の錯綜具合を知ってるだけに、そこを進んでくる可能性を排除してる。かく言う俺もそうだったし」


「セナ~、そしたらみんなにお知らせしといた方がよくない?」


「ああ。隊長と、商都の詰め所にも急報を入れる。運んでくれる足を確保してくれ」


「はいはーい」


 セナは荷物から四隅を赤く染めた紙を取り出し、二枚に同じ内容でペンを走らせる。しばらくして舞い降りた鳥たちの足にそれが結びつけられ、二羽はあわただしく飛び立っていった。


 違う方角に去っていく羽音を聞きながら、ソラが問う。


「クラーナの都にはいつ着くんです?」


「もう目と鼻の先だ。明後日には入れる」


「そしたらあの二人、もう着いちゃってるかも……」


「今はそうでないことを祈るしかねえ」


 セナが悔しげに言葉を絞り出す。


「商都は地下の洞窟を使って都全域に取排水の管を整備している。宿借りどもが地下を進んでいるなら、そのまま穴伝いに侵入すると考えられる。都の穴蔵は出入り口を含め全容を把握し、要所を施錠して閉め切ってあるが」


「あの二人相手に鍵は役に立たないからなぁ」


 これまでの襲撃で家に押し入った形跡がなく、また彼らが魔鉱石に頼らず魔法を使用できることから、施錠が無意味との推測は広く共有されている。


「こうなったら、騎士と憲兵で人海戦術に打って出るしか手はなさそうだな」


「ああ。俺もそう思ったから、手紙には出入りできる箇所に片っ端から人を立たせとけって書いといたぜ」


「さすがだぞ、少年」


「伊達で特務やってんじゃねえんだ。ナメんなよババア」


「キミという奴は……もう少し素直に受け取ってほしいものだね」


 ケイは少年の不遜な態度を鼻先でスッと躱し、やれやれと頭を振った。


 そこで話は終わり、見張り以外は寝る準備に入った。


 ジーノは馬を外した荷車の中にソラの寝床を作っている。ソラは献身を絵に描いたような彼女の背中を見つめ、台にもたれ掛かった。


「あの、ジーノちゃん。ちょっとお話が」


「何でしょうか?」


「えっと。この間、服を買ったお店でキミの持ち物を拾ったときの話なんだけど……」


「そのお話でしたら。ええ、ありがとうございました」


 ジーノは手を止め、ソラを振り返って微笑む。


「あれを無くしていたら私、とても困ったことになっていましたので」


「うん。それで……そのとき私、中身をこぼしてしまってですね」


「そうなのですか? ご安心ください。無くなった物はありませんでしたよ」


「それはよかった、んだけど……」


「ソラ様」


 彼女の声色は親しみのこもったものから他人を呼ぶそれに代わり、


「私たち家族の問題ですので」


 氷像のように美しく、温度のない笑み。


 ソラはジーノと初めて出会った時を思い出す。雪が降る森の中、白の背景に消え入りそうな少女の姿。それが今、乾いた暗闇にひっそりと沈んでいる。


 余所者を映す青い瞳の意志は強かった。


「私が聞きたいことに見当はついてるんだね。その上での言葉なら……分かった。キミはそれでいいよ」


 ジーノには先に突き放されてしまった。ここでソラが食い下がろうとも、彼女は上手くはぐらかすだけだろう。


 頑固で、軽率で、心に秘めた思いを誰にも話さない。静寂な兄に対してこの妹は実に熱烈である。一見すると兄妹は正反対のようだが、ただ情緒が反転しているだけで、根本にある性質は同じだ。


 忍耐強いものの視野が狭く、一線を超えると取り返しがつかない。


 ソラはそれを知っている。


「だけど、私はキミとの対話を放棄するつもりはない。家族の問題だというなら、なおさら」


「……」


 ジーノはソラから視線を逸らし、寝具を整えて荷台を降りていった。彼女はしれっと兄の隣に座り、見張りの任に着いた。エースに笑顔を向けるジーノの横顔はすっかりいつも通りだった。


 ソラは二人のやりとりを遠くに感じながらつぶやく。


「空いた穴に合わない欠片を無理やり押し込んで、後悔するキミは見たくないから……」


 その願いは、既に心の空虚を歪んだピースで埋めてしまったソラ自身に向けたものでもある。


 選んだのなら行く道を戻ることはできない。


 進んだその先で以前よりもマシな選択をするしかない。


 たとえそれが誰かの美しい理想、幸せな幻想を打ち砕くことになろうとも。独り善がりで諦めが悪く、執念深いソラは自分が思い描く「最善」を尽くすつもりだった。


 商いの都、喧噪のクラーナまではもうすぐである。ソラはその場所こそが運命の分岐点になると直感していた。

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