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10‐8 宿借りの足跡

 商都クラーナまでの旅路にユエとツヅミが加わった。


 真新しい衣装を身にまとったソラは、馬を操るケイの隣に座っていた。エースとジーノは以前より正気を保てるようになったものの、日光に当たるのがつらいため幌の下に引っ込んでいる。


「失礼。ソラ様のお膝、お力になれませんでえらい申し訳ありまへん」


 ソラの横に並んだユエがそう言って頭を下げる。それとはケイがユエに頼み込んだもうひとつの用事で、ソラの膝を診てもらうことだった。


「うちは調剤の専門ではありますが、ここが朱櫻ならともかく、今の手持ちではケイはんと同じお薬しかご用意できまへんで……」


「いえいえ。湿布と飲み薬で何とか現状は維持できてますし、大丈夫ですよ」


「東ノ国へ向かう段階となったら、腕利きの医者を手配させていただきますので」


「その時はよろしくお願いします」


 ソラの会釈にユエは申し訳なさそうにもう一度、頭を下げた。


 ユエは一頭の馬にツヅミと相乗りし、折り畳んだ錫杖を手に持っていた。先端の環から垂れる細い帯は符術に欠かせない、大陸で言うところの魔鉱石と同じ役目を果たす媒体で「符術布」と呼ばれる。魔物などを相手にする際は長く延びるそれを宙にたなびかせ、華麗に振るう。


 ツヅミは同様の帯を両の手足に巻き付けているが、符術そのものは身体能力の底上げや攻撃の強化など、補助的に使うことが多いそうだ。そもそも武芸に長ける彼は魔物をはじめとする大概を生身でどうにかできる。実際、興味本位で手合わせを申し出たケイの剣を彼は素手一本で平然と止めた。疑り深いセナの銃弾(もちろん人体に害のない空砲である)も目視だけで避け、その人間離れした芸当には皆が言葉をなくした。


 曰く、刃は当てるだけなら切れない。銃口にしても、向きと手元を見れば軌道と発射の起こりは察知できるとのことだ。この論にはユエも呆れ顔で、「言わんとするところは分かっても、何を言うてるかはさっぱり分からん」と首を振った。要するに、ツヅミの芸は達人にこそ為せる「技」なのである。


 道中、一行は宿借りに襲われたと思わしき村に立ち寄った。検分を行う憲兵にセナが話を聞く間、ソラたちは遠巻きに現場の様子をうかがう。


 事が起こったのは二日前のことで、遺体は既に回収されたあとだった。魔物除けの結界が機能していたおかげで魔女の呪いを受けた者はなかったそうだ。


 街道に近い家々は人目を避けるために黒い布で覆われている。視覚的に人の死を見ることはなかったが、一帯には独特の死臭が立ちこめていた。


 ソラは北方ペンカーデルから西方カシュニーへと入る直前に寄った村を思い出す。


 担架からはみ出てぶらぶらと揺れる生気のない腕、血の混ざった涙を流してむせぶ人。皆が皆、気力をなくしてうなだれていた。あれは魔物による被害だったが、今の現場もそう変わりない惨状に見える。


 宿借りは魔女の呪いを受けずとも、生きたままの「魔物」なのだ。そうなるきっかけを見逃して、野放しにしたのは自分だ。ソラは己の綺麗な手のひらを見つめ、指を握ったり開いたりする。それは空気を掴むばかりだった。


 暗い顔の面々だが、ユエとツヅミは宿借りの所行をここで初めて目にした。


「ソラ様たちは王都に向かいがてら、宿借りなる破落戸ならずものを追ってはるとのことで」


「商都まで、という制限つきですが」


「ここの状況からだいたいは想像つきますけど、どないな輩なんです?」


 まだ手を気にしながら口ごもるソラに代わって、ケイが説明する。


「成人の男と少女の二人組だ。男の方は少々精神が混乱しているようで、言っていることが支離滅裂。少女は魔法に長け、目の色からして獣使いの血を引いている」


「最初は……」


 ソラが後悔を含んだ口調で話し始める。


「身内に虐げられた復讐で動いていたみたいなんですけど、カシュニーで彼らを撃退した際に私たちも恨みを買ってしまいまして。二人は魔女を騙り、凶行を繰り返しながら今も逃亡を続けています」


「ソラ様からしたら、とんだとばっちりですなぁ」


「……」


 そうは言っても、伸ばした手で掴めなかったのは事実だ。去っていく彼を無理矢理にでも捕まえて、引き留めることはできたはずなのに。嘆息するソラをジーノが慰める。エースはソラを横目に沈んだ表情で、堅く握った左手に視線を落とし、瞼の下に納得のいかない気持ちを隠した。


 一時、しんと静まったその空気をバリバリとロカルシュが破った。


「もぉ~、ホンット魔女さんはいい迷惑だよー! しかもそいつ、ナナシっていう男の方なんだけどねっ、よりによって聖――モギャッ!?」


 彼の口をケイが叩くようにして塞いだ。ユエとツヅミが怪訝な顔をする。


「よりによって? せい……?」


「聞かなかったことにしてくれ。いくら何でもはしたないぞ、ロカルシュ。仮にもプラディナムの神子がそんな禁句を口にするんじゃない」


「ファッ!? モガガムニムゥー!」


「何? 仮じゃない? それはすまなかった。ああ、ソラたちも今の言葉は真似するなよ」


 抗議するロカルシュを引きずり、ユエから離れていく。ケイは「ナナシ=聖人」という事実を明らかにするつもりはなかった。それをソラたちも察して素知らぬふりをした。


 ロカルシュは皆から十分に距離を取ったところで解放された。


「ぷはぁ! 何なの先生。あの男が聖人だってこと、巫女さんたちには言っちゃダメ?」


「あれは本人がそう言っているだけで、確証はない」


「でも、つよーい魔法を使ってたんでしょー?」


「ジーノの鉄壁をものともしなかったからな。おそらく嘘ではないと思われる」


「じゃあ言ってもよくなーい?」


 フクロウは現在セナと行動中のため、彼はケイの声に耳だけを向けて首を傾げた。


「キミは東ノ国の人間が大陸をどう思っているか、知っているかね」


「お薬の輸出相手。大口のお客さん~」


「……ユエ殿の態度を振り返ってみれば自ずと知れるが、あの国の方々はもともと私たちにいい感情は持っていないのだよ」


「あー? うん、そうねー。おばさんが何か口先の言葉に別の意味も含めてしゃべってるの、お国の腐った神子さんたちにちょっと似てるって思ってた~。あのおばさんは腐ってるって言うより、意地悪って感じだったけど」


「存外、キミも分かっているじゃないか。そこで気がかりなのは、あの方々が魔女のほかに聖人も探していることだ。私も出会った当初にその目的を聞いてみたが、例のごとく外交の取り決めを理由に明かしてはくれなかった」


「大陸嫌いな人たちが、大陸わたしたちにとって良くも悪くも重要人物な魔女さんと聖人さんをわざわざ探しに来てる~、ってのは確かに何か引っかかるかもー」


 ロカルシュがケイの頭越しに、引きずられてきた方へ顔を向ける。


「正当な理由なら隠すこともないのにねぇ」


「そんな彼女らに、まっとうならまだしも殺人鬼を聖人と知られることは避けたいと思わないか?」


「だったら魔女さんのことも秘密にしといた方が良かったんじゃないの~?」


「痛いところを突いてくれるな。ソラの潔白を証明するには魔女への理解が必須だ」


「お医者先生でも旅の目的を教えてもらえなかったんだからぁ、素性を隠したままなら当然、魔女さんの言い伝えも聞き出せなーい。だから仕方なく明かした感じ?」


 彼はふざけているようで、よく話を聞いている。ケイは感心して大きく頷き、憲兵と話を終えて戻ってくるセナに目を向けた。


「一応、キミの相棒くんにも伝えておいてくれ。ソラたちにはあとで私から話しておこう」


「りょっ、かい!」


 ロカルシュはピシッと背筋を伸ばしたあと、セナの肩にとまるフクロウを目指して走っていった。ケイが待機組へ視線を移すと、顔面に笑顔を張り付けたユエがこちらを見ていた。ケイは彼女とそっくりな笑顔を浮かべ、改めて「非礼」の謝罪へ向かった。

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