1-10 夕餉
野菜だけの夕食は素材の味を生かした質素なもの……ではなく、普通に絶品だった。
エースの菜食主義は魚介を含む動物の肉こそ食べないものの、卵や乳製品の使用には抵抗がなかった。テーブルには煮物やマカロニサラダ、マッシュポテトに野菜たっぷりのリゾットなど、多くの彩り豊かなメニューが並んだ。ソラという客人がいるためかプリンのデザートまで付いて、これにはジーノも喜びを露わにしていた。
食事を終え、スランは魔法院への文をしたためるため自室へ引っ込んだ。エースには後片づけがあったので、ジーノが今夜の寝床をソラに案内してくれた。
蝋燭にマッチで火をつけ、燭台を手にジーノが先を行く。
「魔法が使えるのにマッチを擦るんだ?」
「まっち、という言葉に聞き覚えはありませんが、ソラ様も同様のものをご存じなのですか?」
「たぶんね。それ、こっちでは何ていうの?」
「私たちは燐寸と呼んでいます。実はこちら、お兄様が魔術の知識を駆使して作ったものなのですよ」
「魔術?」
ソラが聞き返すと、ジーノは立ち止まって天井を見上げた。少女は遠くの知識を引き出しながら、ぼんやりとした言葉で答える。
「私には難しくてよく分からないのですが、個人の魔力に依存せず一定の働きをする……種も仕掛けもある魔法だと聞きました」
「魔力に依存しないで火をつける……となると、魔術は科学に近い技術なのかな。でも、魔法が使えるのに何でわざわざそんなものを?」
「……この村は大陸の中で最も〈軸〉に近く、御神がおそばでわたくしどもの生き様をご覧になっておられます。ですので、便利な魔法にばかり頼って怠惰な姿を見せるわけにはいかないのです」
「この村はそういう生き方なんだ」
「はい。といっても、高い場所に必要な明かりには蓄光石を使いますし、火種に至るまで一切魔法を使わずにいるのは私たち家族だけだと思います」
また歩き始め、礼拝堂の背後に位置する大部屋のドアを開く。
「ソラ様はこちらの部屋をお使いください」
「ベッドが四台……。お客様用のお部屋があるんだね」
「聖人の再臨を各地で祈る〈巡礼者〉様をお泊めする部屋ですが、今は宿泊の予定がないので。お好きな場所にどうぞ」
ジーノがそう言うので、ソラは一番近いベッドに腰を下ろした。
「あのさ、ちょっとお話ししていい?」
「何でしょう?」
「昼間にスランさんからちょこっと話は聞いたんだけど……魔女について、キミが話しにくいのでなければ少しでもいいから教えてほしい。間違ったことを言って火炙りにされたら嫌だからさ」
隣にジーノも座って、言葉を選びながらぽつぽつと話し始める。
「そうですね……魔女とは、遙かなる昔に異なる世界よりやってきた侵寇者であります。彼の醜悪なる者は私たち地上の人間を憎み、聖なる軸を汚して世界を呪いました」
「聖なる軸?」
「お父様がおっしゃっていた、地の軸のことですね。天地を支えるそれを、今も魔女の呪いが蝕んでいるのです」
「地の軸は世界の要で、それを汚した魔女は忌み嫌われる存在、って理解でいいかな。人を襲う魔物が現れるのも魔女の仕業で……聖人はその呪いを打ち消し、世界を救う役目を負う?」
「はい」
「ふーん、聖人も魔女もこの世界の外からやってくる人間なのか。ちなみに、聖人は具体的にどうやって世界を救うんだろ?」
「軸の裾にて祈りを捧げるのです」
ギシリと床が鳴る。
ソラは膝に頬杖をついて、昼間にスランが見せてくれた星の模型を思い出す。
「軸があるのは北極と南極って話だったな……。ひとつ聞くけど、現地で人が過ごせるような施設とかはあったりする?」
「我が国は南極島にのみ拠点を置いているという話です。隣国の東ノ国は南北両方の島に管理施設を持つそうですよ」
「じゃあ、そこで何か研究をしてるとか、実績は?」
「あいにくと私の耳には……。そういった活動で成果を上げているのであれば、何かしら兄が知っていそうなものですが」
「エースくんからも聞いたことはないんだね」
「何ぶん、肺も凍る土地で生息する生き物もいないのでは、と言われていますので」
「つまり地の軸で祈るのは命がけの使命なわけだ。それさ、聖人様って役目が終わったら戻ってこれるの?」
「……」
ジーノは答えない。
ソラは彼女の反応をふまえて考えてみる。仮に聖人として認められ、その役を務めることになったら。
極地へ赴いて祈りを捧げるとは、言うだけなら簡単に聞こえる。しかしそこは極寒の地で未開にも等しく、どんな生き物が生息するかも分からない。ならば聖人の務めとは死と隣り合わせの大任と言える。
ソラは顔を手で覆い、内心で毒づく。特別な縁もないこの世界と人々のために、どうしてそんな危険を冒せようか。死ぬかもしれないのに。
自分の命を他人に躊躇なく差し出せるほどソラは達観していないし、自分を諦めてもいない。
何のために死ぬか。
どうやって死ぬのか。
死んだあとに残るものはあるのか?
まだ何ひとつ分かっていない。選択肢すら知らずに決められはしない。
ふと、この世界で最初の恐怖がよみがえる。あまりの寒さに肩を抱くが震えは止まらず、体温が徐々に下がっていって鼓動が死へと近づく感覚……。
ただ望まれたという理由だけで、自分は死ねるのか。
そんなことのために、死ぬのか。
もちろん生きて戻るという結果もあり得るが、ジーノの反応を見るにその可能性は決して高いものではない。
「……」
ソラは拳を握って額に押しつける。
いつかの冬、白い部屋で。背中にヒタリと枯れた手が触れて、ひびの入った花瓶から水が漏れ出るように、生きる気力は失われた。
そんな思いをするのに「理由」がないのは二度と御免だ。
眉を怒らせて首を振り死の影を追い払うと、ソラの心は決まってしまった。魔女と謗られ悪役に転落する事態はむろん避けるべきだが、かといって聖人ともてはやされることも許容しがたい。
「ああ……、最悪だ」
何て卑怯なのだろう。
どうしようもなく身勝手で、その自覚がありながら自分を嫌うでもなく、受け入れてしまっている。自己愛が強いのも考えものだった。そんな人間を救世主候補として召喚してしまったこの世界が気の毒でならない。つらつらと己を責めながらも口先ばかりで罪悪感がないあたり、救いようがなかった。
ソラはため息を殺してうつむく。消沈する彼女をジーノが慰める。
「ソラ様。この世界にいらしたことは大変な出来事であったと思いますが、どうか元気を出してください」
「……アー、ごめん。そんな感じに見えた? 最近ずっとこんなだから、自分では普段とあまり変わらないつもりなんだけど……。でも、年下の子に心配をかけるのはよくない。うん、それはよくないな」
常に低いところで停滞している気持ちを少しでも浮上させようと、ソラは無理やりに笑ってみせた。代わりにジーノがつらそうな顔をする。
「……このあとは湯殿にご案内します。今日はいろいろとありましたし、どうぞよく暖まってぐっすり眠ってください」
「ありがとう。そうさせてもらいます。寝て起きたら元気だと思うし、気にしないでね」
ジーノは着替えを持たせ、ソラを風呂場へと送った。




