2 伯爵令嬢フルール
「むふふふ」
「お嬢様、その緩んだお顔をすぐに戻して下さい」
「あらやだ失礼」
伯爵家の次女であるフルールお嬢様はこの半年、騎士団の演習場へ足繁く通っている。
その理由が殿方の体を見るためである。
なんと嘆かわしいことでしょう。
このお嬢様は物心ついた時にはもう男性の体にしか興味がなかった。
いえ、生まれた時からでしょうか。
夜泣きをすれば男性が抱き上げるまで泣き続け、旦那様を寝不足にさせた。
乳母であるこの私ハンナが抱いてあやしても、母である奥様が抱いてあやしても泣き止まず、それどころか増々鳴き声は大きくなりついにはその声で起こされた旦那様も出てくる始末。まるで旦那様を呼び出しているかのようにも見受けられました。
乳母として不徳の致すところではありますが、お嬢様の男好きはこの頃から既に始まっていたと思います。
お嬢様には嫡男である兄上とその下に姉上がおります。少し年の離れた末っ子としてそれはたいそう可愛がられました。
どなたにも愛想を振りまき虜にさせますが、抱っことせがむのは決まって体躯の良い男性ばかり。
一所に大人が集まっても瞬時にその体躯を見抜き、可愛いお顔を綻ばせ「らっこ」と手を伸ばせばロックオンされた男性は立ち所にメロメロです。
魔性の女になること間違いなしだと、奥様とふたり、頭を抱えたのは一度や二度ではありません。
三歳になるとこの国の貴族は子どものお披露目をします。お披露目と言っても大勢で集まるのではなく、交流のある家同士で行き来し、粗相やマナーは気にせずお菓子や玩具を与えて互いの子どもたちを遊ばせるだけ。はい、純粋に子どもたちの相性だけを見ます。
早ければそこで仮の婚約者となることもありますが、残念ながらと申しますか、そうでしょうねえと申しますか、お嬢様には婚約者は現れませんでした。
お嬢様はお茶会に呼ばれた先々で問題を起こしました。ある時は庭師に纏わりつき抱っこをせがみ、ある時はフットマンの足に抱きつき腿をペタペタと撫で回し、使用人たちを困惑させました。主の客人を無下には出来ません。出来ませんが伯爵家のお嬢様を他家の使用人が抱き上げたり、足にくっついたまま引き摺るなど大問題です。
その度に奥様は顔から火が出る程だったと言います。幸いだったのはお嬢様が誰彼問わずなつき、そのお屋敷の旦那様や奥様にも可愛がられた事です。お茶会を抜け出して、要はすっぽかして男を漁っていたと言う事実も子どもならではの可愛さで乗り切りました。しかしながら奥様は頭を痛め旦那様と相談した結果、茶会への赴きを断念されました。
今はまだ可愛さで許されるがこの先を思うととても一人では対処できないと。どうしてもお断りできない家格のご招待には旦那様も伴って行くことにしたのです。
旦那様がいれば当然旦那様から離れず、その腕を堪能するかのように大人しく腕の中に留まります。
ですが一方で同い年のご子息には全くと言っていいほど目もくれません。これでは相性が良いか悪いかわかったものではありません。
最初こそ愛娘を腕に抱き、お父様が一番と言わんばかりのお嬢様に旦那様もデレデレしておられましたし、周りも微笑ましく見ていたそうです。息子しかいないご当主はとても羨ましいと溢した方もいたそうですが、それが続き事の次第がわかってきました。
このままで良い訳が無い。
そして旦那様と奥様はフルールお嬢様を連れて領地に引っ込みました。勿論私も一緒です。表向きは奥様の療養で、そこにまだ小さい末娘を伴っても誰も不思議には思いません。領地であれば少しは人の目も気にしなくて済みますし、年頃の貴族令息との顔合わせもしなくて済みます。
ですが困ったことに領地の使用人の方が体躯がよく、お嬢様の目は前にも増して煌めきました。とはいえこの頃には奥様は本当に療養が必要なほど疲れておられ、家の使用人ならば変な噂も立たないでしょうしいいわと諦めてしまわれました。
そしてお嬢様は一瞬にして使用人たちの心を掴み、お気に入りを侍らせるようになります。
更には領民にもなつき、あっという間に領地を掌握されました。言い方は失礼ですがそのくらいの手腕をわずか五歳児が持っていたのです。もしかすると旦那様よりも慕われていたのかもしれません。勿論、領主様のお嬢様と言うこともあります。ですがそれだけではありませんでした。
「メアリー、ジョン。こんにちは。今日もレバンの実をとらせてくださいな」
「まあお嬢様こんにちは。よろしいですよ。ではご一緒しましょう」
レバンとは黄色い木の実でそのひとつは実に子どもの頭程の大きさです。
その木の実を取るのは大人でも梯子などを使います。子どもでは無理です。ですから実を取るにはメアリーの夫であるジョンに肩車をしてもらう必要があったのです。
一見可愛らしく木の実取りをお願いしたように見えますが、ただ肩車をしてほしかったのです。その証拠に取ったレバンは持ち帰ってはいません。
「メアリーがうらやましいわ。どうしたらこんなに素敵なだんな様がみつかるの? 私もメアリーのようにスレンダーで美人にならないとだめなのかしら……ほんとにうらやましいわ」
この時お嬢様はたぶん、頬に手を当てて二人をうっとり見ていたと思われます。
「ま、まあ、お嬢様、なんて恐れ多い。わたし程度の顔や体型など履いて捨てるほどいます。お嬢様にはもっと良い殿方が見つかりますよ」
「まあ、メアリーそんなことないわ。あなたのだんな様はほんとに素敵なのよ。それはあなたが素敵だからにほかならないわ」
お嬢様は男性の体躯を好み、更にペタペタとその体を撫で回しますが、女性に嫌われることは決してありません。なぜなら素敵な男性を射止めた女性には惜しみなく尊敬の念を送るからです。それも純粋に羨ましいという想いを込めて。
恐縮しながらもジョンとメアリーは顔を赤らめ満更でもなかったそうです。
このふたりは完全に篭絡されただろうと、付き添っていた使用人からの話で私は悟りました。
ああ、嘆かわしい。
こうして着々と領内を回りお嬢様は領民の心も摑み取っていきました。