11 あの日の出来事
「旦那様大変です。これを」
「何をそんなに慌てることがある」
ナート伯爵は執事が差し出した手紙に目を通すと、やはり同じように慌てた。
使用人も主に似るのだろうか。
「な、なぜ公爵家のリリック殿が、いや、この場合はなぜ殿方がフルールに会いに来るのか、と言う方が正解か。いや、どちらにしても、あー、ハンナだ、ハンナを呼べ」
こうしてバタバタと呼ばれたハンナは澄ました顔で旦那様の執務室に足を運んだ。
「お呼びでしょうか旦那様」
「最近のフルールに変わったことはないか?例えば誰か殿方に興味を示したとか」
「残念ながらございません」
「そうか…。ならエーデル公爵家のご子息リリック殿と、なんだその、関わるようなことはあったか?」
「リリック様? いいえ、リリック様どころか本当に殿方とはお会いしてません。お会いになるどころか、会話もございません。強いて申し上げれば、演習場の出入りの門番に会釈をするくらいです。今までと何ら変わりはございませんが急にどうなさったのですか? まさか、お嬢様に縁談のお話でも来たのでしょうか?」
「いや、縁談…ではないと思うが、リリック殿が急に訪ねてくることになった」
「リリック様が?」
そこでハンナはハッとした。まさか!?
「どうした? 何か思い当たることがあるのか」
「思い当たると言うほどではありませんが、お嬢様が例のスケッチブックを紛失致しました」
「なにー! 男ばかりを描いてあるあのスケッチブックか?!」
「左様です」
「なぜ家からの持ち出しを止めなかった!」
「申し訳ありません。私ではあの腕力にかないませんでした」
「ならば何故それを報告しなかった!」
「重ね重ね申し訳ございません。探しましたが強風に奪われ見失いました。紛失場所は騎士団の演習場です。既にあちらの手に渡っていると思い、知らぬ存ぜぬを通したほうが傷は浅いかと思い控えました。旦那様へお伝えすれば捜索だなんだと騒ぎになることは見えておりましたので」
主に対してあまりな言いようだが、これがフルールが生まれてからのナート家の日常だ。気の弱い当主と、必要以上に人の噂を気にしてしまう奥様を叱咤するのがハンナの役目となった。
ナート伯爵は天を仰いだ。ハンナは何かを諦めたような主の姿に、これから起こることを思い不謹慎ながら少しわくわくした。
あの日、フルールがどうしても描いた絵と照らし合わせたいのでスケッチブックを持っていくと言い出した。今までそんなことは一度もなかったが、言い出したら聞かないのはわかっている。無駄なやり取りで時間と体力を消耗することは望まない。ハンナは、くれぐれも手から離さない事を約束させ、フルールはそれを持ち馬車に乗り込んだ。
朝から少し風があるとは思っていたが、演習場に着く頃にはかなりの強風に成長していた。
「お嬢様お気をつけ下さい」
御者が乗降台を整え、フルールに手を出したその時、突き上げるような突風にフルールは思わずドレスを押さえてしまった。
「あっ!!」
その隙を突かれスケッチブックは強奪された。
「ハンナ! どうしよう」
「どうしようもこうしようもありません。すぐ探しますよ」
「うん!」
スケッチブックが見つかったら馬車に置きたい。そう考えたハンナは、御者に控えの場で待つように伝えた。
いつもなら馬車は一度帰り、昼食前に迎えに来るのだが、この強風でスケッチブックを持って歩けば先程のようになる。ハンナは見つけたらスケッチブックは馬車に放り込むつもりでいた。フルールがなんと言おうがここでのハンナの言葉は絶対だ。
今度もし強風に煽られたらフルールはスケッチブックを死守するだろう。ドレスが捲れ上がるのもそっちのけで。スケッチブックを見られるのもドレスの中を晒すのも令嬢失格である。
しかし、馬車を待たせたにも関わらずスケッチブックは見つからなかった。更に騎士団の動きがいつもと違うことに気づいたハンナは、嫌な予感を覚えここから離れるに越したことはないと思い、ごねるフルールを追い立て馬車に押し込んだ。
これがあの日ハンナが関わった出来事だった。