無駄無駄無駄無駄ァーーーッ(織田、織田、織田、織田、織田ァーーーッ)②
【2】織田大和守家
守護斯波氏に仕える尾張守護代織田家の傍流。織田大和守家と呼ばれる。
織田敏定の代に織田氏嫡流である岩倉織田家(織田伊勢守家)と争い、後に和睦。尾張を分割統治することとする。
大和守家は愛知郡、知多郡、海東郡、海西郡の下四郡を支配する守護代となった。
織田達定が、斯波義達に敗れ自害し、弟・達勝が継ぐと、清州三奉行の補佐を受ける。
━┳━織田常松……伊勢守家
┃
┃
┗━織田常竹━┳━織田久長━┳━織田敏定━┳━織田寛定━┳━織田達定
┗━織田敏貞 ┗━織田常寛 ┃ ┃
因幡守家 藤左衛門尉家┃ ┗━織田達勝━━織田信友
┣━織田寛村
┣━織田敏信
┣━織田良信……弾正忠家
┣━織田敏宗
┗━織田秀敏
織田敏定 (1452~1495)
織田大和守家当主(~1495)。清洲城城主。織田久長の子
織田寛定 (??~1495)
織田大和守家当主(1495)。敏定の嫡男。
船田合戦が起こると、父・敏定が陣中で死亡。家督を継ぐもののその年に戦死。
大和守家の没落の始まり①
織田寛村 (??~??)
織田大和守家当主(1495~1503)。敏定の子。寛定の弟。
船田合戦では参陣していた石丸方敗退に構わず織田伊勢守家と対立を続けたが、和睦。
織田敏信 (1466~1517)
織田敏定の子
織田敏宗(??~??)
織田敏定の子
織田秀敏( ??~1560)
織田敏定の子
織田達定(??~1513)
織田大和守家当主(1503~1513)。寛定の子。寛村の養子。
1513年、遠江奪還にこだわる守護・斯波義達と争うが敗れ自害する。
大和守家の没落の始まり②
織田達勝 (1480~1550)
織田大和守家当主。寛定の子。達定の弟。
兄・達定が尾張守護の斯波義達と争い、殺害されるとその家督を継ぐ。
体制立て直しのため清洲三奉行の補佐を受けるが、彼らの勢力拡大を許してしまうことになる。
織田信友 (~1555)
織田大和守家当主。達勝の養子 。
主君である斯波義統を殺したため、織田信長の命を受けた織田信光に攻められ、自害した。
坂井大膳
織田信友の重臣で、小守護代。
1547年、織田信秀が斎藤道三を攻めた加納口の戦いの隙を突いて、信秀の古渡城を攻撃。
1552年、松葉城の織田伊賀守と深田城の織田信次を人質に取って、信秀の跡を継いだ織田信長に反旗を翻した。(萱津の戦い)
1554年、河尻左馬丞・織田三位と謀り、守護斯波義統の城を攻め切腹させる。
信長による報復(安食の戦い)で大敗し、河尻左馬丞・織田三位は討ち死にする。翌年、織田信光に清州城を攻められると、駿河の今川氏の下に逃亡した。
坂井甚介
織田信友の重臣。萱津の戦いで討ち死にする。
河尻左馬丞( ~1554 )
織田信友の重臣。安食の戦いで討ち死にする。
織田三位( ~1554 )
織田信友の重臣。安食の戦いで討ち死にする。
川原兵助
【3】藤左衛門尉家
織田久長┳━織田敏定
┗織田常寛(良頼)━┳━織田寛故━┳織田寛維
┃ ┃ ┃ ┗織田信張━織田信直━織田信氏━津田清幽 ┃
┗━織田寛貞━━━織田忠寛━┳━忠遼
┗━信昌
織田常寛 (~1506)
藤左衛門尉家家当主。於田井城主。久長の子
別名:織田久孝、織田良頼
織田寛故(~1550)
藤左衛門尉家家当主。於田井城主。別名:織田寛政
織田寛維
(1520~1542)
藤左衛門尉家家当主。於田井城主。寛故の子
織田信張
(1527~1594)
藤左衛門尉家家当主。於田井城主。寛故の子
【4】藤左衛門尉家
織田常竹━┳━織田久長
┗━織田敏貞━━━織田広長━┳━織田広貞
┗━織田広延