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4 訓練開始

「へぇー、ここがアジト?」

 アシュウィンは、建物の内部をキョロキョロと見回しながら、マナサに聞いた。


 ラーマの麒麟本部の施設は3階建ての建物で天井も想像以上に高かった。

 敷地内には他にも建物が何棟か建っている。


「アジトって、言い方が悪いわね。

 アシュウィン、最初に大師に会ってもらうわ。」


「ああ、了解。俺のじいさんだね?会うのは生まれて初めてだ。

 どんなだろう?俺に似ているのかな?」


「それはノーコメント。自分で確かめて。

 いい?大師の前では大人しくしているのよ。」


「大丈夫だって。マナサさんは心配し過ぎだよ。

 それにしても、マナサさんが隊長だなんて、凄いよな。

 何隊だっけ?」


「第3隊よ。全然覚えていないじゃない。

 凄いなんて、これっぽっちも思っていないでしょ?

 まったく……」

 マナサは、アシュウィンを置き去りにして、さっさと先に歩いて行った。


「ちょっと待ってよ!そんなことないよ。

 これだけの組織で隊長をやっているんだ、大したもんだよ。」

 アシュウィンは、小走りでマナサに追いつくと、並んで歩いた。


「大師は千里眼や予知夢の能力があるから、嘘をついてもバレるわよ。」


「へ?怖いな……

 まあ、そんなことしないけど。

 俺は分別のある人間だ。」


「そう願っているわ。」


 2人は通路の突き当たりの部屋にたどり着くと、マナサがドアをノックして中へ入った。


「大師、アシュウィンをお連れしました。」


「おお、君がアジットの息子か?千里眼の印象通りじゃな。」

 部屋の奥の椅子に掛けていた老人が立ち上がって、嬉しそうに口を開いた。


「私はアシュウィンです。あなたが私の……」


「アグリムじゃ。

 立派に成長したな、アシュウィン。

 アジットはどうしている?」


「もう何年も行方が知れません。」


「やはりな……」


 アシュウィンは大師の顔をしげしげと眺めた。

 白髪に白い口髭と長いあご髭。

 服装はガウンのような裾の長い服を身に付けていた。

 長老そのものといった感じ。


 しっかし、分かり易いな……

 俺も将来、あんな風になっちまうのかな?

「おじいさん……じゃない、大師。

 私は父のような無責任な行動は取りません。

 安心してください。」

 アシュウィンはチラッとマナサを見た。


 アシュウィンと目が合ったマナサは小さくうなずいた。


「我が孫よ。これからしっかりと修練を積んで、マントラを己のものとするのだ。

 その暁には、我らと共にバジット卿を倒そうぞ。

 この国を人民のために取り戻すのだ、アシュウィン。」


 アシュウィンは気持ちが高揚してきた。

「ああ、やってやるさっ!

 ……じゃない、やってやりますよっ!」


「ふぉっふぉっふぉっ。無理をせんでいいぞ。普段通りの言葉使いで構わん。」

 高笑いしたアグリムは、長く伸びたあごひげを撫でながら、目を細めてアシュウィンを見ていた。


「そりゃ、ありがたい。」

 アシュウィンはホッとしたような表情になった。


 マナサは慌ててアシュウィンの前に進み出て、「では、早速訓練を開始したいと思います」と、アグリムにやや早口で告げると、アシュウィンの手を引くように部屋を出た。


「何だか慌ただしいなぁ。」

 マナサに手を引かれながら歩いていたアシュウィンは、思わずつぶやいた。


「あなたと一緒にいるとヒヤヒヤするわよっ!」

 マナサは頬を膨らませた。


「孫とじいさんが初めて対面する感動のシーンなんだから、もう少しゆっくりしてもよかったんじゃない?」


「またの機会にね。さあ、早く行くわよっ!」


「おっと……

 怒ったマナサさんも可愛いね。」


「おちょくらないでっ!」マナサの端正な顔が赤くなった。


「ねえ、マナサさん。ちょっと聞いていい?」


「何?」


「マナサさんは、じいさんの孫じゃないよね?」


「ええ、違うわ。一族だけど、遠戚の関係。」


「じゃあ、俺とも遠い関係だ。」


「そうね。それがどうしたの?」


「いや、一緒になることがあっても大丈夫だなと思って。」


「はっ?何言っているの?」マナサは、また赤くなった。


 程なく、2人は訓練場と表示のある部屋の前にたどり着いた。


「はい、とっととこの訓練場に入って!ここで訓練するから。」

 マナサは扉を開けた。


 アシュウィンが訓練場に入ろうとした時、後ろから声をかけられた。

「アシュウィン、今日から訓練を始めるんだな?」


 アシュウィンとマナサが振り返ると、2人の後ろに第3隊副長のイシャンが立っていた。


「イシャン、これから支部に戻るのね?」

 マナサがアシュウィンの肩越しに聞いてきた。


「はい、これから戻ります。

 その前にアシュウィンの顔を見ようと思いまして。」

 イシャンはマナサからアシュウィンに視線を移した。


「俺ですか?」

 アシュウィンは自分の顔を指した。


「ああ。私はマナサ隊長の下で副長を務めているイシャンだ。

 よろしくな。」

 イシャンは右手を差し出した。


「初めまして、アシュウィンです。」

 アシュウィンはイシャンと力強く握手をした。


「実は、君と会うのは今回が初めてじゃないんだ。」


「えっ?どこかで会いましたか?」


「一方的にな。」


「一方的に?」


「そうだ。隊長が君をスカウトに行った時、あの場に私もいたんだ。」


「そうだったんですか?てっきり、隊長が1人で来たのかと……」


「むさ苦しい男が一緒にいるよりも、隊長1人の方が話し易かっただろ?」


「別にむさ苦しくはないわよ。アシュウィンの警戒心を解きたかっただけ。

 一応フォローしておくわね。」

 マナサが口を挟んだ。


「それって、フォローになっているの?」

 アシュウィンがマナサを見た。


「ん?なっているでしょ?」


「……ははは。と、とにかく、訓練を頑張ってな。」

 イシャンは苦笑した。


「はい。まだ、何をどうするのかよく分かっていないけど……」


「私は、正直なところ、初めて君を見た時、君がマントラの能力を持ち合わせているとは思えなかった。」


「そうなんですか?人は見かけによりませんから……」


「そうらしいな。君と一緒に第3隊として戦えることを楽しみにしているよ。」


「俺もです。」


「では、私はこれで失礼します。」

 イシャンは、そう言うと、マナサに頭を下げて去って行った。


 イシャンが去った後、アシュウィンがマナサに聞いた。

「副長もマントラの能力を持っているの?」


「ううん、イシャンは使えないわ。でも、剣術に長けている。それに人格者よ。

 隊員たちからの信頼も厚いし、私も頼りにしている。」


「そうか。俺も頑張らないとな。」


「うん、頑張ろうね。」


 2人は訓練場に入った。

 訓練場の中に入ったアシュウィンにとって、中の様子は少し意外だった。

 訓練をするというので、部屋の中にはトレーニング器具みたいなものがところ狭しと並んでいると思い込んでいたが、想像以上に何もなかった。

「さあ、何から始める?」


「私たちはマントラの能力があるのかどうか、幼少のころに調べるの。

 あらゆるマントラを繰り返し唱えることで、どの能力が現れるのか、それとも何も現れないのかを確認する。

 普通、現れる能力は、1人にひとつの能力。

 マントラを唱える時に手指で印を結ばないと発動しないマントラもあるの。私の結界を張るマントラもそう。

 つまり、発動にはマントラと印の2つのキーが必要になる。」


「結界を張るマントラの他にもあるの?」


「ええ。テレポート、つまり瞬間移動のマントラにも印が必要。」


「瞬間移動か、便利そうだな。俺はそれにする。」


「自分にどんな能力が宿っているのかは、生まれた時にすでに決まっているの。

 自分じゃ選べないのよ。」


「そうなの?残念。」


「アシュウィンの能力は生物に対する念動力。人に効果があるから。」


「生物?じゃあ、人以外にも効果があるんだ。」


「そうよ。人間だけじゃないの。

 動物や場合によっては植物にだって効果があるかもしれない。」


「場合によっては?」


「そう、マントラの能力はその強さや効果の範囲とかも人によって違うの。

 それを見極めるためにも、訓練が必要なのよ。」


「よーし、分かった。で、何から始める?」

 アシュウィンはふつふつとやる気が湧いてきた。


「光明真言という基本にして重要なマントラがあるの。

『アボキャベエロ シャノナカモ ダラマニ ハンドモ ジンバラハラハリタヤオン』

 まず、これを繰り返し唱えるのよ。

 その時の印の形は、左右の手のひらを合わせて、左右の指が交互になるように少しずらす。

 こんな風にね。」

 マナサはアシュウィンに印を結んで見せた。

「そして、精神を集中して、邪念を捨てるの。

 そうすることによって、どんな状況になっても集中してマントラを唱えて、瞬時に能力を発動することができるようになる。

 これがその第一歩。はい、経本。」


「繰り返しって、何回?」


「10万回。」マナサは小悪魔っぽい笑顔で答えた。


「へっ?!」


「だから10万回よ。3か日間位あれば終わると思うわ。大した事ないでしょ?」

 マナサはアシュウィンの反応が見たくて、いたずらっぽく言った。


「と、当然だよ。たった10万回でいいんだな?」


「強がっちゃって!

 無理をしないで、辛かったら休憩を取りながらでもいいわ。」


 マナサは優しさから言ったつもりだったが、それがアシュウィンの闘志に火を付けた。


 休憩を取りながらでもいい?馬鹿にしやがって……

「よーし、ノンストップで10万回だっ!」


「あっ、言い忘れていたけど、床に座って唱えるんじゃないのよ。」


「じゃあ、どこでやるの?」


「あ・そ・こ」

 マナサはアシュウィンの後ろの方を指さした。


 アシュウィンが振り返ると、マナサが指さしたところには、高さが3メートル位ありそうな、杭のような、柱のようなものが床に突き刺さっていた。


「あそこって……」


「そう、あの柱の上で座禅を組んで行うの。

 すこ~し狭いから、落ちないように気をつけてねっ!」

 マナサは上目遣いにして微笑んだ。


 クッソッ!おちょくりやがって!

「いやぁー、気を抜いたら、あの広い柱の上で横になって寝ちゃいそうだよ。」


「それなら良かったわ。

 柱の後ろにハシゴがあるから、それを使って登って。」


「よっし、分かった。」


「冗談抜きで本当に気を付けてね。アシュウィンのペースでいいから。」

 マナサは心配そうな表情に変わった。


「ああ、頑張るよ。」

 アシュウィンは、柱に立てかけてあるハシゴを登って、柱の上に立った。

 円柱の断面は直径30センチ位だった。


 予想以上に狭いな。

 これじゃ、落ちないようにすることに気を取られそうだ。

 それが狙いかな?負けねぇぞっ!

 アシュウィンは、自分を鼓舞して円柱の上で慎重に座禅を組んだ。

 少しでもバランスを崩したら、床に落ちてしまいそうだ。

 これで3か日間……

 拷問以外の何ものでもないな……


「アシュウィン、邪念を捨てるのよ。」


「はい、はい。分かってますよ。」


「私はこれからミーティングがあるから、しっかり訓練していてね。」


「ああ、造作も無い……」


 アシュウィンは、座禅を組んだ太ももの上に経本を乗せて印を結ぶと、光明真言を唱え始めた。

「ええっと、『アボキャベエロ シャノナカモ ダラマニ ハンドモ ジンバラハラハリタヤオン』。

 はい、1回。

 ……あと、99,999回。泣きそう。」


「君がアシュウィンだな?」

 アシュウィンは、声を掛けられるまで気が付かなかったが、円柱の下に筋肉質の体をした見知らぬ男が立っていた。

 男はその精悍な顔付きでアシュウィンを見上げた。


「えっ?はい、そうですけど……」


「そうか、私は副官のニキルだ。

 君のお父さんの弟。つまり、君の叔父だ。」


「マナサ隊長から聞いています。あなたが俺の叔父さんですか?

 これからよろしく!」


「君のお父さんは、若い頃、マントラの訓練が嫌で我々一族の元から逃げ出した。

 君は大丈夫かな?」


「あんな親父とは一緒にしないでもらいたい!

 俺は何があっても逃げ出したりはしない。やり遂げます。」


「大師の顔を潰さないように頑張るんだな。

 ちなみに、私の息子のインジゴの能力は物質に対する念動力だ。

 君は生物に対する念動力らしいな?

 みんなの期待に応えてくれよ。」


「……期待に応えますよ。」


 ニキルが訓練場から出ていくのを見計らったように、シーラが現れた。


 何なんだ?次から次と。

 まるで面通しみたいだな。


「あなたは確か……」


「副官のシーラよ。

 アシュウィン、どう?訓練は?」

 シーラは優しい口調で聞いてきた。


「まだ、始めたばかりですから……」

 入れ代わり立ち代わりやって来るから、進まないんだけど……


「マントラの能力だけに頼らないで戦闘能力も高めないとダメよ。

 そうじゃないと、戦場からは生きて帰れない。」


「はい。」


「マナサから聞いているかも知れないけど、峡谷の戦いでインジゴが大怪我を負ったの。

 ……完治するにはまだまだ時間がかかりそう。

 あの時のインジゴは、自分の能力に頼り過ぎて、隙ができたんだと思う。

 そこを狙われた。

 同じ過ちを犯してはダメ。

 いい?アシュウィン?」


「はい。気をつけます。」

 アシュウィンは、シーラの言葉に素直に従う自分に驚いた。

 何となく、母親と話しているような気がしていた。


 アシュウィンの母親のアディティは、父親のアジットが家を出てから、女手一つでアシュウィンを育ててきた。

 その心労がたたったせいか、大病を患って、2年前に他界してしまった。

 アシュウィンは、無意識のうちに母の面影をシーラのそれに重ね合わせていた。


 2日後


 アシュウィンの全身は感電したかのように痺れて、五感が無くなっていた。


「……よーし、これで99,999回。

 ラスト1回だ。

『アボキャベエロ シャノナカモ ダラマニ ハンドモ ジンバラハラハリタヤオン……』

 終わったぞ、100,000回……」


「おめでとう!ほとんど休まないで、やり切ったのね。」

 マナサはアシュウィンを見上げて小さく拍手していた。


「あれっ?いつからそこにいたの?」

 アシュウィンはマナサが下にいることに気付いていなかった。


「99,900回目位から。本当によくやったわ、アシュウィン。」


「ありがとう。俺は有言実行型なんだ……」

 アシュウィンはそう言うと、気を失って、円柱の上からマナサの目の前に落ちてきた。


「危ないっ!!」マナサは咄嗟に両手を差し出して、アシュウィンが頭を床に打ち付けるのを間一髪のところで防いた。


「アシュウィン、アシュウィン、大丈夫?」


 アシュウィンは目を覚ますと、マナサに抱きかかえられていた。

 マナサの柔らかくて弾力のある胸に顔をうずめていたアシュウィンは、思わずニヤついてしまった。


 それに気づいたマナサは、アシュウィンを突き飛ばした。

「ちょっと、何考えているのよ!」


「いや、なに?

 もう少し、労わってほしいなぁ。

 こんなにぎりぎりまで頑張ったのに……」


「それだけ元気なら問題ないわ。

 シャワーを浴びていらっしゃい。臭うわよ。」


「丸二日シャワーを浴びていないからな……

 腹も減った、死にそう。

 これじゃ、国なんて救えない……」


「分かった、分かった。

 食事を用意しておくから、さっさとシャワーに行きなさい。」マナサは笑顔で応じた。


 翌日


 マナサとアシュウィンは訓練場にいた。


「マナサさん、聞いていい?」


「マナサでいいわよ。私も呼び捨てにしているんだし。」


「分かった。

 俺、光明真言を唱えても何も変わっていない気がするんだけど、いいのかな?」


「自覚が無くても心配ないわ。

 心身は浄化されて、マントラの能力が発動されるのを待機している状態なの。

 例えるなら、土に種を撒いて、水をあげて、芽が出るのを待っているところ。」


「そうか。早く芽が出ないかな?」


「アシュウィンの場合、早ければ今日にも芽が出るかもね。

 本来であれば、今後の予定としては、その人にどんな能力が宿っているのかを見極める段階なんだけど、アシュウィンは生物に対する念動力が備わっていることが分かっているから、その段階を飛ばして次に進むわ。

 念動力の能力を最大限に引き出す。」


「よし、早速頼む。」


「うん。

 念動力のマントラは『バ・キ・ラ・ヤ・ソ・バ・カ』。これを唱えるんだけど、一文字一文字に意味と力があるから、それを意識して、正確に発音することが重要なの。

 まずは、唱えてみて。」


「分かった。印を結ばなくてもいいの?」


「ええ。念動力のマントラには印がないの。」


「いくぞ。

 バ・キ・ラ・ヤ・ソ・バ・カッ!

 ……何の変化もない。」


「違うの。マントラは一文字一文字に意味があって、さらにマントラ全体のひとつながりで大きな意味があるから、唱える時には区切らずに発音するの。

 やってみて。」


 アシュウィンは小さく息を吐くと、「バキラヤソバカ」と無心で唱えた。

 すると、両手が一瞬、黄色い光を発した。


「そう、その調子。もう一度。」


「バキラヤソバカ」

 アシュウィンの両手はより強く光った。


「繰り返して。」


「うん。」

 アシュウィンが繰り返しマントラを唱えると、両手はまばゆいくらいに光り輝くようになった。

「うわぁ、すげぇ。」

 アシュウィンは自分の両手を見つめていた。


「じゅあ、今度は、私を立たせてみて。」

 そう言うと、マナサは10メートル先にあるイスに腰掛けた。


「分かった。気を付けてよ、マナサ。」


「私は大丈夫。さあ、どうぞ。」

 マナサは笑顔で両手を広げた。


「バキラヤソバカッ!」

 アシュウィンは、マントラを唱えて、光り輝いている両手をマナサの方に向けた。

 そして、その両手を僅かに上の方に向けた。


 そうすると、マナサの上半身は見えない力によって真上に引っ張られて、マナサはイスから立ち上がった。


「うん、完璧。

 じゃあ、今度は立っている私を浮かせてみて。」


「そんなことしたら危ないぞ。」


「大丈夫。そう簡単に人を浮かせることは出来ないから。

 それに私はこれでもラーマの麒麟の人間よ。遠慮はいらないわ。」


「よーし、それじゃ、遠慮なく。

 バキラヤソバカッ!」

 アシュウィンはマナサの方に向けていた両手を天井の方に向けた。


 マナサの身体は天井の方に引っ張られたが、爪先が床から5センチくらい浮いただけで着地した。


「あれっ?おかしいな。それだけ?」

 アシュウィンは小首をかしげた。


「そんなすぐにはできないのよ。まだまだね。

 もっと、瞬時に集中力を高めて、対象を支配しないと上手く出来ないわ。

 さあ、もう一度。」


「よし。」


 アシュウィンがマナサの指導を受けながら念動力の訓練を続けていると、いつの間にか窓の外は白み始めて朝を迎えていた。


「クソっ!簡単にはできないもんだな。」


「アシュウィン、そろそろ休憩を取った方がよくない?もう、朝よ。」


「もう一度やってから、少し休むよ。」

 対象を支配して、意のままに操れるようなイメージを持つ……

 アシュウィンは目をつぶって深呼吸すると、「バキラヤソバカッ!」とマントラを唱えた。

 そして、まばゆく発光した両手をマナサの方から天井の方に向けた。

 すると、マナサの身体がスーッと音もなく空中に浮き上がった。


「うそっ!」

 マナサは驚きと感動で目を丸くした。


 マナサを空中に浮かせたアシュウィン自身も、驚きで口をポカンと開けたままだった。


 感動していたマナサは、その余韻に浸る間もなく、我が身に危険が迫っていることを悟った。

 訓練場の天井が目前まで近づいて来ていた。

 即座に右手の人差し指と中指を立てて胸の前で印を結び、「オンキリキリバサラバサリ」と唱えると、引き上げられる力が消滅して、床に降り立つことができた。


「この短時間で私を空中に浮かせることが出来るなんて、びっくり!」

 マナサはアシュウィンの元に駆け寄った。


「俺もびっくりだよ!」

 アシュウィンは満面の笑みで答えた。


「今の感覚を忘れないでね。」


「ああ、マントラの使い方が分かってきた気がする。」


「じゃあ、ちょっと趣向を変えるわよ。

 このまま、待っていて。」

 マナサはアシュウィンにそう告げると、訓練場から小走りで出ていった。


 暫くして、訓練場に戻ってきたマナサは、胸に白黒のブチの猫を抱えていた。

「ヒマっていうの。かわいいでしょ?わが組織の影の指導者。

 今度はこの子が相手よ。」


「へっ?よく分からないんだけど。」


「ヒマは見知らぬ人から逃げ回るから、念動力を使って自分の手元に引き寄せてみて。

 寝ているところを起こしちゃったから、ちょっと機嫌が悪いけど。」


「なるほど、そういうことか。所詮は猫だ。あっという間に捕まえてみせる。」


「シャーッ!」ヒマはアシュウィンの顔を見て威嚇している。


 おっ!やる気だな?

 アシュウィンは、「バキラヤソバカ!」と唱えると、黄色に輝く両手をヒマの方に向けた。

 正確には、向けようとした。


 それを察知したヒマは、素早く物陰に身を隠した。


 すばしっこいなぁ。

 アシュウィンは、ヒマの姿が見える所まで移動すると、両手を広げた。


 すると、ヒマは、アシュウィンが手を自分のほうに向けてきただけで、危険を察知して、別の物陰にダッシュした。


 ええい、ちょこまかと!

 いい子だから、じっとしていなさい。


「対象物を瞬時に操る訓練よ。

 実際にやってみると、激ムズでしょ?」


「……そうか。

 ヒマが反応するよりも早くヒマの動作を支配して、まずは動きを止めないとダメなんだな?」


「そうそう、段々分かってきたわね。

 それじゃあ、私は少し外すわ。シャワーも浴びたいし……」


「了解。」

 しかし、これは中々……

 じっとしているマナサを浮かせるのとは、全然違うぞ。


「ヒマ、ヒマ……」

 アシュウィンは、四つん這いになって、離れたところからヒマの様子を窺った。


 ヒマは、アシュウィンが視界に入るや否や前傾姿勢をとって、逃げ果せる気満々だ。

 やれるもんならやってみろ、とアシュウィンを挑発しているようだ。


 アシュウィンとヒマの攻防は、それから数時間続いた。


「はぁ、はぁ……」


「にゃあ、にゃあ……」


「くっそうぅぅ!」

 このままじゃ、らちが明かない。

 ……待て、待て。

 冷静に対処するぞ。

 あのすばしっこさに対応するには、ある程度ヒマの動きを予測しないとダメだ。


「バキラヤソバカ!」

 アシュウィンが唱えると、ヒマは一瞬だけ移動先に視線を移した。


 アシュウィンはヒマの視線の動きを見逃さなかった。

 そして、ヒマの視線の先を見極めて、ヒマが走るであろう方向に両手を素早く向けた。


 すると、ヒマはアシュウィンが両手を向けている方向の延長線上に飛び込んできた。


 よしっ、予測通りだ。


「にゃ?」

 ヒマは固まって身動きが取れなくなった。


 アシュウィンは両手を自分の足元近くに向けた。

 すると、その動きにシンクロして、ヒマがアシュウィンの足元に引き寄せられた。

 爪を立てて必死の抵抗を試みるも、みるみるアシュウィンの所へ近づいて行った。


「大・成・功!」

 そう言いながら、アシュウィンはヒマを抱きかかえた。


 ついに、静かなる激闘に終止符が打たれた。

 ヒマは観念したかのようにアシュウィンの腕の中でじっとしていた。


 よーし、自分で言うのもなんだけど、上出来だろ。

 マナサに褒めてもらう準備はできたぞ。


 アシュウィンはヒマを抱いたまま訓練場の外へ出た。


 通路に出てみると、訓練場の外は、慌ただしさに満ち満ちていた。

 隊員たちがバタバタと走り回っている。

 数人の隊員は殺気立っている様だった。


 アシュウィンは、1人の隊員を捕まえて、その理由を聞いた。

「みんなバタついているようだけど、何かあったの?」

 ヒマもアシュウィンの腕の中で隊員の顔を見上げていた。


「ん?聞いていないのか?

 カダクの町に突然近衛兵団が侵攻してきたって話だ。」


「カダク?」


「そうだ。あの町には我々第3隊の支部があるんだ。

 イシャン副長と隊員50人が常駐している。

 そこが急襲されたらしい。」


「それで被害は?どんな状況なんだ?」


「情報が錯綜していて、みんな混乱している。

 マナサ隊長からは、至急、戦闘装備を整えて正門前に集合するようにとの指令があった。

 これから援軍に行くんだと思う。

 君は入隊したばかりの新入隊員だろ?部屋で待機していてくれっ!」

 隊員はそう言い残すと、足早に正門の方に消えていった。


 第3隊が襲撃されたって?


 ヒマはアシュウィンの親指を甘噛みしていた。


応援コメントなどを頂けると、とても励みになります。

よろしくお願いいたします。

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